「責任の重さが違う」という謎理論
「責任の重さが違う」。
この言葉が問題なのは「格差を正当化するために持ち出されることがほとんどだから」です。
現代では、正社員と非正規の格差を説明する理由に挙げられることが多いですね。
これに対して「責任とは具体的にどのようなものですか?たとえば賃金格差が年収で300万円あるとしたら、どの責任がどれだけの金額に該当するのか、内訳を示してください」と言ったら、たぶん誰も答えられないです。
責任の定義があいまいなことは、異議を唱える者を脅す効果があります。「なんだかわからないが相手はすごい責任を負っているらしい。同等の権利を求めたら自分も際限のない責任を負わされるのでは。とても無理…」と要求を断念してしまうからです。
しかし実際には「責任の重さが違う」と称する人たちが本当にそんなごたいそうな責任を果たしているのか、そしてそれがそこまでの格差に相当するものなのかは、かなり疑問です。
たとえば「非正規は定時で帰ってしまう。正社員は業務を終わらせる責任がある」と主張する人がいますが、それってただの「残業代」でいいんじゃないでしょうか。そもそも非正規でも夜中まで残業している業界もありますし、正社員でもさっさと帰る人はいるので、雇用形態ではなく残業の有無で基本給に差をつける必要が出てきますよね。
あるいは「転勤や異動の有無」を挙げる人もいますが、これも実際に転勤を命じられた場合の補償額を設定するか「転勤・異動があるかもしれない手当」を基本給に上乗せするかしてほしいところです。そのうえで「あ、私は転勤ありでもいいです!」という非正規の人がいたら給料を上げないといけなくなります。
(個人的には、異動のある人はそれまでの数年間を無難にやり過ごす方向に流れがちで、担当業務にはむしろ無責任だと思いますが…)
「部下のミスの責任を取らなければいけない」という意見もかなりうさんくさいです。むしろ下っ端のほうがミスで怒られる度合いは高いでしょうし、雇い止めなどでミスを理由に職を失うリスクも非正規のほうが高いです。上司がどこかの会議で「私の監督不行き届きで…」と頭を下げたとして、それが年間数百万円に相当する精神的苦痛かは疑問です。
またいわゆるバイトテロなどで会社に損害を与えたとして、非正規だから損害賠償請求を受けないという法律などありません。保育士や看護師であれば、自分のミスで園児や患者に事故があれば業務上過失致死傷などに問われる可能性もあります。
私が「上に立つ者は責任の重さが違う」という言葉に疑問を持ったきっかけは、2005年に起きたJR福知山線脱線事故でした。
この事故で23歳の運転士のほか、乗客106人が死亡しましたが、JR西日本の歴代社長3名は、刑事裁判で無罪になっています。
その時「ああ、えらい人は責任が重いっていうのは噓だったんだな」と思いました。
社長3名は「責任を取って」職を辞してはいますが、その段階で辞めたところで破産するわけでも一家路頭に迷うわけでもなさそうです。
運転士にもたしかに落ち度はあったのでしょうが、彼が自分と会社の過ちをすべて背負って自らの命で贖わなければならなかったことを考えると、社長3名の責任は、あまりに軽いです。
事故後、過密なダイヤ編成や日勤教育、安全装置の不備、人員削減など、JR西日本の経営上の問題がいくつも指摘されましたが、運転士はそのどれにも何の権限もありません。もし自分で決めていいなら、事故が起きた時に死ぬのは自分ですから、反対したのではないでしょうか。
責任の重さが報酬に比例するなら、社長の給料は運転士より安くなるはずです。
責任の重さに、違いなどありません。
責任の範囲と種類に違いがあるだけです。
もし重さに違いがあるとするなら、いざというときに死ぬ現場の人間が一番重いです。