自然神との対話の足跡②
梅雨の曇が灼熱を遮っている頃合いを縫って、(2023年7月15日午後、七五三のお参り以来)およそ20年ぶりに鷲宮神社を訪れました。この頃少しこだわっている神社巡りですが、各社のそもそもの存在に惹かれます。
光天之池(みひかりのいけ)と名付けられている池が境内にありますが、鷲宮神社は沼地に囲まれて鎮座しています。
近所にある埼玉の大社は、高台に位置して古来より主に水の霊を祀っていたこと、縄文海進の時(最も海面が高かった頃)には四方が海だったこと、その後も江戸時代に至るまで沼地であったことなど、共通する存在の背景があるように見えます。そして今でも、道沿いを散策してみるとその痕跡が至る所に残っています。
鷲宮神社も(氷川三社と同様)創建より古い時代に縄文人が定住していた場所であり、沼(一時期は海)の向こう岸にあたる高台(現在の久喜市街)との間に多数の遺跡(足利遺跡、甘棠院西遺跡など)から縄文土器等が出土しています。
遺跡は標高10~11mの古利根の自然堤防上に位置していたとのことですので、同じ古利根の自然堤防上にあるお家のすぐ近所にも、もしかしたら縄文の遺跡が埋もれているかもと楽しくなりました。
一つ前の散策「自然神(自身)との対話の足跡①」を目下、推敲中です。次の散策は、太陽を神格化した天照大御神を祀る伊勢神宮、あるはさらに古い神社(伊弉諾神宮、磐境神明神社あたり)の存在の背景に迫る計画ですのでご期待下さい。
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人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……