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自然神との対話の足跡⑪

祭りの中止は私たちの存続に関わる大事

ふるさとでも祭りが戻ってきているようです。祭りが担う文化の伝承は、わたしたちの存続に欠くことができない大切な機能であり機会です。

新庄まつり
秋田なまはげ

ふり返れば、世界中でお祭りや団欒を一斉中止しなければいけないほどの大事(おおごと)でなかったことは明らかです。風邪をひくのがいやな人たちだけが囲炉裏の前で籠っていればよかったのです。
秋田の方言で、怠けて囲炉裏の前にばかりいると「ナモミができる:低音やけどで赤いかさぶたができる」と言います。世界中が怠け者になってしまうのを戒めるのが「なまはげ=ナモミ剥ぎ」ですが、このような祭りを中止しては文明は衰退の坂を転げ落ちてしまいます。
そもそもの祭りが本来持つ意味や価値をよく理解していれば中止にする必然性が無かったように思います。人々が祭りの役割を見失って単なる形式になってしまっているために、巧妙に操られて存続を危うくしていると考えます。

歌い継がれる古い歌に納得した旅

久しぶりに首都圏を離れ(数週間首都圏を離れるのはなんと数十年ぶりで)、ふるさと四国と東北を巡った旅を終えました。個人的な旅の感想(気付き)を、万人に響く歌2つを引用してお知らせします。

線路は続くよどこまでも~
家の前を通っている線路が四国にも東北にも、日本各地と繋がっていることを体験した旅でした。現在の日本が文明国であるということを生まれて初めて体験し、実感したのでした。実際に東京からローカル線のみで青森、鳴門まで(青春18切符は一日2,400円)乗車し、車窓から各地の山や海や川を眺めながら、乗換駅で道草を食いつつ楽しく移動できることがわかりました。米国、英国、ユーロ諸国などで過去に鉄道を利用して移動したことがありますが、これほど快適、安全、かつ時間の正確な旅ができる国は日本の他にはないと断言します。
これは文明の証ですが、これと同じ遠隔移動の機能は縄文時代に沿海交通の形で実現していたことも今回の遺跡探索で確認できました。黒曜石の石器が一万年前から日本各地に普及していること、翡翠の玉や装飾品が各地の縄文遺跡で加工されたり祭祀などに利用されたりしていること、辰砂が各地の縄文遺跡で加工されたり遺構で発見されたりしていることなどです。狼煙や巨石の鏡を使って公開の安全を確保したり、光通信による情報伝達が行なわれた跡が各地にあります。文字に記されていなくても、遺構や出土品が縄文文明の存在を証明しています。

柱のキズはおととしの~
文明は日々の団欒、親から子への伝承、体系化した社会システムの構築と継承により受け継がれ、深耕されてきています。自分たちのよって立つ位置を確認しながら、受け継いだ先祖伝来の道具や叡智を共に活用して子どもたちに伝え、人々が生き続けることが文明の継承と深耕であると考えます。
美味しい食べ物の調理方法、家族・近隣が何によって糧を得て成長してきているのかの伝承、遠くの親類・友人と交流や便りの交換など、個の存続を超える連帯・連携など自助努力のたいせつさを感じました。
LGBTQなど個の権利を特別と見る風潮、スマートシティで個を最大限に高める施策など、個人の人権をうたい文句に形式的な行政サービスが展開していますが、魂の入っていない他人ごとの行政は、文明の衰退の証であり大切な血税の浪費でしかないと考えます。

私たちが叡智を受け継ぐ方法について

もちろん火山が噴火(鬼界アカホヤ噴火)したり、隕石が落ちたら町もろともなくなるだろうし、文明が一瞬に消えてしまうことも過去にはあったのでしかたないことです。
ところが起こっている災難は、ほぼすべて人災であると言ってよいと思います。(現在の政権が大手を振って推進している核兵器使用など人災の可能性は自然災害に比べて格段に高いので)予期できる一大事に備えて、命や魂を繋ぐ手法を準備しておいた方がよいかもしれません。緊急事態条項のような憲法改正は、形式的行政の暴走を増長してしまう愚策でしかありません。新型コロナ、気候変動、カーボン・ニュートラルのような操られた危機に対してではなく、本物の危機管理、本物の抑止を人類の叡智を前提に考えたいと思います。
例えば、遺伝子は生物がサバイバルのために編み出した一つの機構であるし、環状列石は縄文人が残してくれた固定資産であるように思います。縄文の時代から私たちは自ら生存と魂に根ざした自助努力を重ねてきています。

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JinseiDohraku
人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……