Amazonの米国本社に来て大変だったこと
シアトルに移住して3年目。アメリカに来てからはAmazonのUS本社でプロダクトマネージャーとして働いている。それまではずっと東京で働いていて、アマゾンジャパン (Amazonの日本支社) で6年、そして日本のベンチャー企業で3年ほど働いてきたという経歴だ。
ぼくは大学生ぐらいの時からテクノロジーの本場であるアメリカ西海岸側で働くことが夢だったので、今こういった環境で働けることにワクワクしているし凄く感謝している。ただこれが"おもしろい"とか"楽しい"とかいった言葉だけで片付けられないのが問題だ。
はっきり言ってめっちゃ大変なんだが。
正直言ってこれまでサバイブするだけでも結構必死だったぞ (笑)。今回の記事ではAmazonの米国本社で働く上でぶっちゃけ大変だと感じていること(過去形ではなく今でも思っていること)について書いてみようと思う。あくまで一つの個人の意見として、されど一つの意見として聞いていただければ嬉しい。
なんちゃっては通用しない
プロダクトマネージャーという開発を組織・リードする立場としてこれを痛感した。とても強く。
アマゾンジャパンでも"プロダクトマネージャー"というポジションで仕事はしていた。プロダクトのマネジャーなわけなので、いわゆるプロダクトの責任者という振る舞いが求められるように思う。例えばKindleのプロダクトのマネージャーだったらKindleの電子書籍アプリをどう開発していくか考えて実行していくかとか。はたまたAmazon Musicのプロダクトマネージャーだったらストリーミングサービスをより良いものにしていくために必要な新機能を考案してエンジニアと作っていくとか。
でも、ぼくが日本で"プロダクトマネージャー"としてやっていたことは限りなく"プロジェクトマネージャー"に近かった。ぼくはAmazonのセール担当だったのでPrime Day (プライムデー) などのセールイベントを指揮したり、もしくはUSのチームに掛け合って必要な機能を強くアピールしたりといったことをやっていた。もちろん日本のAmazonにプロダクト開発の仕事がないわけではないけれど、はっきり言って限定的だった。アマゾンジャパンにもプロダクト開発の組織はあるしエンジニアと働く機会だってないことはない。だけれど自分の時間とエネルギーを100%プロダクト開発に注げるということはなくて、アメリカの大きい開発チームになにか依頼するといった周辺的な仕事が多い(言い方はあまり良くないかもしれないけれど)。まあでもこれって外資系のIT企業ってそういうところが多いんじゃないかな?良い・悪いの問題ではなく事実として。よかったらコメントなどで教えてくださいませ。
アメリカに来て一気に変わったことは、そんな"なんちゃってプロダクトマネージャー"では通用しないということだった。プロダクトマネージャーとして働いている限りはプロダクトの責任者としてビジネスも技術面も理解していることが求められる。当然プロダクトマネージャーはシステム構成や各機能の裏側までの仕組みを(ざっくりとでも)理解しているものと見なされる。ビジネス面、例えばそのプロダクトがどのくらい売上や利益を産んでいるかなどはある程度プロジェクトマネージャーをやってきて数字に強ければ問題ないと思う。でも技術面となるとこれまでのキャリア次第では困難にぶち当たることになると思う。ぼくは少なくともぶつかった。
ぼくは日本のベンチャー企業で働いていた時に自分でプログラミングをして開発していたこともあったのでその経験はかなり役立った。とはいえエンジニアと対等に働くためには相当なストレッチが必要だったということは言っておきたい。「アメリカでプロダクトマネージャーとしてどのくらい技術を理解している必要があるか?」そして「どうやってキャッチアップするか?」ということについては別記事でまとめようと思うので乞うご期待。
英語はやっぱり大変だった
アメリカで働くわけなのでもちろん仕事の全ては英語で行われる。シアトルに来て思ったのはその英語のレベルが"本場"ということだ。
ぼくはアメリカで働きたかったこともあってずっと個人的に英語は勉強してきたし、なんならアマゾンジャパンの最後の2年間は上司がアメリカ人だった。だからプライベートでも仕事でも英語に触れる機会は多かった。この土台を作るのにぼくは10年ぐらいコツコツと英語を勉強してきたことになる。それはムダじゃなかったし、やってて良かったと思う。
でもアメリカに来て英語力が全然通用しなくてビビった。今でも衝撃で覚えていることがある。シアトルオフィスで初めて働いた日のこと。仕事前にコーヒーを買おうと思ってカフェに寄った。アメリカではあるあるだけど、カフェの店員が初めての客にもカジュアルに話しかけてくる。ぼくはカフェの店員がなんて話しかけてきたのか全然聞き取れなかったのだ。鮮やかに聞き取れなかった。引きつった表情のまま "…ア、アイム、ファイン (I'm fine)"とだけ言い放った。店員はどこも"I'm fine"な状態には見えないぼくを見て「あ、この人は英語が喋れない人なんだな」と察してそれからぼくには喋ってくれなくなった。仕事を始まる前から英語が通用しなかったことを受けて暗雲が立ちこめたのは言うまでもない。10年も日本で地味に英語を勉強してきたのにこの様である。
仕事以外でもそんな感じだったので仕事中の英語はもっとキツかった。アメリカ人のメンバーが言っていることが普通に分からないことがたくさんあって毎回聞き直すのは心が折れた。そして自分が話す英語が通じない時が幾度もあってその度にしょんぼりした。
でも3ヶ月ほど苦しんだところである時ブレイクスルーがあった。ある時期を過ぎた時に相手の言っていることがいきなりスラスラと頭に入ってくるようになったのだ。もちろん今でも全部が全部聞き取れるわけではないけれど、それでも支障なく仕事が出来る状態には持っていけてはいる。
「アメリカで働くのにどれくらい英語力が必要か?」そして「どうやって英語を勉強したらいいか?」についてはそれぞれ別の記事で詳しく書きます。乞うご期待。
責任が大きい
アメリカ本社の開発チームとなると大きな特徴がある。それは担当するプロダクトに対して全世界のカスタマーに責任を持つということになるということだ。
日本のアマゾンで働いていたときは日本のカスタマーにだけ責任を持っていた。それだけでもとてもやりがいがあったし大変な仕事だった。でもWW (ワールドワイド) のチームで仕事をするようになって、それが一気に20カ国以上をすベて見ないといけないとなった時には背筋がピンと伸びる思いだった。
各国によって求められるプロダクトの要件は異なってくる。ぼくが担当しているセールの分野で言えば、例えば日本だと書籍の割引には規制があるしお酒をセールで売る際にも酒税法の関係で割引率に制限がある。このような日本独自の規制が他の国でもすべて当てはまるというわけでないから、当然日本にはどうやって個別に対応しようかという話になる。こういった事例が各国ごとに違うのでプロダクトの要件定義も必然的に細かな配慮が必要になるし、なによりも小さなミスが一大事に繋がってしまう。
プロダクト開発には毎日トラブルがつきものだ。Amazonで普通にショッピングしているとカスタマー視点だとなにも問題ないようにパッと見えるかもしれないけれど、もちろん裏側では奔走している人たちがいるわけだ。グローバルのプロダクト開発をするとなると、毎日どこかの国で問題が起きてその対処に追われたりする。プロダクトマネージャーとしてなにか誤った仕様変更をエンジニアに指示してまうと、その変更をした途端に世界中で問題が起きてしまうということもザラにある。世界のカスタマーを相手にするというだけで責任はグッと重くなるのは間違いない。
今日はそんなところですね。ここまで読んでくださりありがとうございました。少しでも気に入っていただけたらスキしていただけると嬉しいです。
シアトルのジャズクラブ "Jazz Alley"でビールを飲みながら。この日のEmmet Cohenというピアニストのライブは凄まじかった。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!