1
「労働基準法は、日本国憲法25条の生存権を、その内容をより具体的にするために作られた法律です。昭和22年から使われている、今なお労働関係の中心となる法なので・・・」
今日は、地元の経営者団体から依頼された「経営者が知っておくべき労基法」の講演だ。参加者は50名ぐらい。昨年に引き続き2回目の依頼である。
僕は開業して約3年で、自分一人ぐらいが生活できるぐらいの収入を得られるようになったけど、開業当初は大変だった。
通帳とにらめっこをする日々。30代半ばで、親に頼るわけにもいかない。大してない貯金を切り崩して、どうにか生活をしている状態だった。
「士業」というと難しそうな試験を合格しているから、それだけで仕事があるんじゃないか、安泰と思われているけど、そんなことはない。
大体は僕と同じように、貯金を切り崩しながら、少しずつ顧問先を増やしていく。ただ社労士の場合ありがたいことに、地元の「社会保険労務士協会」を通じて仕事の斡旋があったりするのだ。
47都道府県に、社労士協会があって、その取りまとめの組織として、全日本社会保険労務士協会がある。僕たち社労士は、協会に加入しないと社労士として、名乗ることも仕事をすることもできない。年会費も必要で都道府県によって違うが、僕の場合、年間12万円を支払っている。
協会では、社労士自身の管理、手続きを行ってくれたり、各種研修会の開催、広報誌の発行をしてくれている。目立ちはしないが、縁の下の力持ち的存在だ。
そして協会には、行政や地元の経営者団体などから、研修会の講師派遣依頼があり、その依頼に対して、僕たちに公募がある。
最近だと、「パワハラの研修会」「採用に関する研修」の依頼が多いようだ。公募に応募した社労士に、適格性があると協会が判断した場合、研修会に派遣されることになる。
社労士自身に実績がついてくると、自主、自社開催セミナーなどを行っていくこともできる。しかし開業当初は、こういった協会を通じていただいた研修会の仕事をこなしていくことで、実績を作っていくのは大変よい機会だ。
ただ、総じて単価は低い。1時間10,000円なんてのもあるが、あくまで経験値を高め、勉強の場と考えられるなら悪くはないし、ありがたい仕事である。
2
「経営者が知っておくべき労基法」の講義は無事終了した。
終演後、演台に近づいてこられた聴講者の方数名と名刺交換をし、主催団体の担当者の方に挨拶を済ませた。
ちなみ担当者からは「来年もお願いします。」と言われてしまった。初めて仕事を受けたのは、社労士協会を通じてだったが、今年は、協会を通さず僕に直接の依頼だった。
評価をしてくれるのはありがたいけど、本音を言えば、僕も大分忙しくなってきたし、(実は単価も合わないので)今年までにしようと思っていたけど、押し切られ、しぶしぶ受託してしまった。まぁ、仕方ない。
「あやみ先生、ご無沙汰しています」
帰ろうとしたときに後ろから、声がした。
「ご無沙汰しています」と言うぐらいだから、以前あったことがある人なのだろう。
えっーと、誰だっけ、思い出せない。時間にすれば1秒ほどだが、頭の中を、数多く名前が、大型ハリケーンのように回転するが、だめだ。さっぱり思い出せない。
「以前、お会いした増田です。増田健三郎です」
「あっ、増田先生。ご無沙汰しています。」
さっきまで思い出せなかったことは、心のうちに秘めておき、うまくごまかし挨拶をする。でも思い出せないのも当然だ。大分雰囲気が変わっている。増田先生は、僕と同じで3年ほど前に開業した社労士だ。
年齢は多分40代後半なので、年齢は10歳ほど増田先生が上。個人事業主で社労士事務所を運営していて、まだ従業員はいない。
以前、開業直後に会ったときは、どちらかと言えば、細身で真面目そうな感じだったが、会わない間に、大分 少し太ったかなという印象。
髪も短髪だったのだが、昭和のフォークシンガー風の長髪で、金髪に近い茶髪になっている。
「先生の講義聞いてましたよ。労基法の堅苦しい話を、初心者の方でもわかるように、うまくかみ砕いていて分かりやすかったです。」
「嬉しい感想ありがとうございます。ところでなんで増田先生が、労基法の講義を受けられているのですか?先生には初歩的な内容で退屈だったでしょう。」
「今日は、あやみ先生が講演するって、商工会の会報誌で見かけたんです。先生はセミナーが上手って聞いていたし、それにいろんなセミナーを受けて研鑽をしているところです。」
「勉強家なんですね。」
「先生、時間ありますか?せっかくだから近くの喫茶店に場所を移して少しお話できませんか」
「いいですよ。ただ次があるので、30分ほどでいいですか」
本当は次の予定はなかったけど、少し長くなりそうな気がしたので、最初で予防線を張った。
3
「いやー、あやみ先生と、久しぶりにお話できてうれしいです。ご活躍ですね」
この「ご活躍ですね」は、士業同士が挨拶するときに、社交辞令的に使う決まり文句だ。僕は活躍などしていない。”自宅開業だし、特に目立つこともしてないし”と思いつつ返事をする。
「ありがとうございます。増田先生は、いかがですか?」
「オレの方は、ぼちぼちです。顧客先も増えてきましたよ。ここ最近、高額セミナーを結構、受けています。この業界は、人気商売ですし常に勉強。人と違ったことをしないと勝ち抜けないですからね。」
増田先生が、右手で長く伸びた茶髪をサラッとかきあげる。どこかのシャンプーのテレビCMで見た仕草だ。増田先生には、お世辞にも似合っているとは言えない。
「先生、オレね、全国区の社労士になりたいんです。社労士と言えば、『増田』みたいな」
「すごい野望ですね。だから高額セミナーを受けているんですか?」
「そうなんです。社労士はやっぱり知識の仕入れをしないと。そして著名人と知り合いになりたくて」
社労士は、試験合格率が例年5%前後。5回、10回、試験を受けている人も珍しくない。そういった状況を潜り抜けてきた人ばかりだから、なんだかんだ言って勉強好きな人が多い。
試験合格後も、有料無料関わらず、セミナーも沢山受けるし、中には20万、50万、100万円するようなセミナーもあるが、躊躇なく受ける人も多い。儲かっている大きい事務所の先生は、それでもいいけど、僕のようなおひとり様、弱小事務所では、簡単にポーンと出せるお金ではない。
「この前は、大阪で上畑(かみはた)みち子先生のセミナーを受けてきて、2日で参加費は20万。交通費、宿泊費も含めると30万ぐらいかかったけど、すごくよかったです。人材育成に関するものだったのですが、さすが業界の有名人。学びが多くて。懇親会も全国の社労士と盛り上がってよかったです」
「それはすごいじゃないですか。」
上畑みち子先生とは、社労士業界では名の知られた方で、「浪速のおばちゃん社労士」を自ら公言し、人材育成で、ここ数年有名になった方だ。たぶん60代だと思う。愛称は「かみっち」。
推しの強い、コテコテの関西弁から発せられる、ユーモアたっぷりの講義が人を惹き付ける。この間、かみっちが、全国放送のテレビに出演していた。経営者の悩みに社労士が応えるという番組だった。
番組中ある経営者から
「今、ホントに応募がありません。採用に困っているんですが何をしたらいいですか?」
の相談があった。
それに対し、かみっちは
「カネや、カネっ!、あんた、くっだらない飲ん方や、付き合いのゴルフ言うて、ぎょうさん、カネ使っとるくせに、会社経営で重要な採用に、ケチってカネ使わんといて、どないするんや。経営者は、本当に必要なもんに、カネ使わんかい!そんなことも分からんのか。しばいたろか。この、あほんだらっ!」
と一喝していた。かみっちのコメントに、僕はドン引きした。コンプラ的に視聴者からクレームがきそうなもんだが、この分かりやすい言葉が、好評らしい。
確かに、採用は一定程度のお金はかける必要がある。かみっちの言葉は、経営者に対して、しっかりした愛があり、また他の社労士が言えない物事の核心を「ズバっ」というので心地よい。
言われた経営者も、みな感謝している。言葉のウラにしっかりした経営者への思いがにじみ出ているからだ。関西弁の親しみのある言葉、かみっちのキャラクターもあって、悪い気は全くしない。
増田先生が続けて話し出す。
「あと来週は、『士業売上研究会』にリアル参加するため、東京に行ってきます。」
「士業売上研究会」は、「士業事務所の営業力強化」に特化した団体だ。僕も名前ぐらいは知っている。「株式会社ファイヤービジネス」という、経営コンサルティング会社の主催だ。士業売上研究会、略して「売研」(うりけん)と言われている。体育会系のノリで、とにかく熱い。
インドア派、文科系の僕には、生理的に受けつけない無理な会である。「熱すぎて」怪しさ満載に感じるのだが、結構な数の士業が参加しているらしい。そういったノリが好きだとか、会員の方々が満足しているなら、僕が何かを言うことではないと思うけど。
「売研、いいですよ。社労士に限らず、司法書士、税理士、行政書士など多くの士業の先生にお会いできます。上昇志向の強い、熱量の高い方々ばかりなので、とても刺激を受けます。あやみ先生も参加してみませんか?」
「僕ですか?お誘いはありがたいのですが、遠慮しておきます。」
「そうですか。もったいないですね。売研に入れば、先生だったら、すぐ全国区になるのに」
この「全国的に有名」になることに敏感に反応する士業もいるが、僕は、全国区の有名人になるだの、という話には興味がない。
以前、ある会合で、名刺交換の際に「私、全国区でして~」と言ってきた地元の行政書士がいた。悪気はなかったけど、僕は「存じ上げなくて申し訳ないです」と返事をしてしまった。
今考えてみれば、少なくとも僕が知らなかった時点で「全国区」ではない。さぞ、その先生も内心ご立腹されたかもしれない。本当に全国区の有名人の方なら、自ら、「私、全国区なんで~」など言ったりはしない。
「僕の場合は、まだまだ地元での仕事をしっかりしていきたいので、今は遠慮しておきますね」
我ながら、うまい返事である。「今は」と言ったが、この先も入会することはないだろう。増田先生とは、他にも、事務所運営のことや、顧問先の傾向、動向などを差しさわりない範囲で話して、約束の30分が経過したので別れた。
予防線を張っておいてよかった。
4
「社労士事務所運営、あなたの武器はなんですか?それで大丈夫ですか?不安はありませんか?」
「これからの時代、士業はAIに全て仕事を奪われる。あなたは残れるか?今すぐ対策を!」
「1か月で20社顧問先が増えました。その秘密、包み隠さず教えます」
事務所に戻り、メール、SNSを開けると、だいたいこんな広告が入る。中には迷惑メールと大して変わらないものもあって、うんざりしている。
うんざりしてはいるが、気になるものも中にはある。この辺は、購買意欲を掻き立てるような、若干煽りのような、セールスレターの技術が盛り込まれているのだろう。
僕は、なんで増田先生は、セミナーを受けまくり、売研に熱心に参加するのか、しばらく考えていた。それを否定するわけではないのだ。自分の目標に向かって、自分に投資するのは素晴らしいことだと思う。
ただ、増田先生の話を聞いて気になったのが、セミナーに参加すること、売研のような会合に参加するのが目的になってしまっている感じがした。その後の仕事への展開の話がなかったのだ。
社労士で開業当初から仕事があって安泰というのは、「事務所を引き継いだ」「のれん分け」があったなどでなければ、難しい。社労士に限らず、どんな仕事でも、独立当初は顧客が付くことは稀だ。
開業当初にしんどいのは、顧客が付かないことよりも、「暇で時間を持て余す」ことだったりする。だから何かをして忙しくする必要がある。
セミナーを受けていると「勉強」した気にはなるし、これは「顧問先を得るために必要な知識」として、暇な自分から、忙しい自分になれる。
高額セミナーや会に参加していると、有名な先生に容易に会えたりして、サインをもらったり、写真に収まったりできる。それをSNSにアップすれば、「いいね」がたくさんつくだろうし、自分がレベルアップし、ステイタスがあがり、高い位置にきた気がするだろう。その優越感は僕だってわかる。
ただ、それが自らの仕事になるかは別の話だ。有名な先生と「友達」になっても、自らの仕事が増える訳ではない。そこは勘違いをしてはいけない。
どんなに有益な高額セミナーを受けても、そこから自分なりにアレンジして、自分のものとしてアウトプットしていかなければ、それが仕事に繋がることはない。要するに「いい話聞いたー」で終わってしまうのだ。
5
翌日、事務所の固定電話が鳴る。
「はい、あやみ社労士事務所です。」
電話に出ると、増田先生だ。深く付き合うと面倒くさそうなので、増田先生には携帯番号は教えてない。
「先生、売研の無料セミナーに参加しませんか。オンラインです。一回だけでいいので」
無料セミナーと称するものは、フロントセミナーなので、後で必ず勧誘がある。なので、無料と言えども、その後の誘いを断るのが煩わしいので、安易に参加しないというのが、僕のポリシーだ。
ただ、他の社労士の先生から、売研の話は聞くので、入る気はないが、「どういったものか体験する」目的で、増田先生の誘いに乗ることにした。ポリシーを崩したのではなく、柔軟ということで自らを納得させる。
「僕は入会する気はないけど、それでよければ、参加しますよ」
「もちろんです。体験なので、あやみ先生に参加してもらえるだけで嬉しいです。無料セミナーの予定日ですが、来月の10日、朝7時からです。URLなどは後で送ります」
「大分早い時間に行うんですね。」
「そうなんです。でも意識の高い士業の先生方は、だいたい朝が早いんです」
”どうせ、僕は、朝は寝坊助さんで、意識低いですよー”と、心の中で叫ぶが、そこは大人の返事をする。
「それは確かにあるかもしれないですね。分かりました。来月10日に参加しますね」
実は、僕は、売研の無料セミナーの大体の流れは知っている。ネット上にも、口コミがあるのだ。
朝7時にオンラインで参加すると、まずは、コーディネーターという人物が出席者、今回であれば僕のことを、これでもかというぐらい褒めまくる。とにかく褒めちぎる。
雑談で10分ぐらい褒めちぎった後に、売研の理念や実績などの説明が15分程度ある。その後、月例会と言うのがあるらしいのが、その月例会がどんな雰囲気なのかを、ちょっと見てみたいと思っている。
6
売研の無料セミナーの日だ。増田先生の教えてくれたURLで入室する。
そこには、赤い壁紙に、画面右上に「URIKEN めざせ全国区」のロゴとキャッチコピーと記されている。とにかく熱いギラギラしたものを感じる。
数秒後、コーディネーターが登場する。胡散臭いおじさんが現れるかと思いきや、親しみのある柔らかい笑顔で、それでいて聡明さがにじみ出るような、色白で透明感のある、まるでテレビ局のアナウンサーのような女性が現われた。
「はじめまして。あやみ先生ですね。私は鳩島花乃子(はとじまかのこ)と申します。売研にご参加いただきありがとうございます。増田先生から、あやみ先生の話は聞いています。社会保険労務士で開業3年にして、地元で名の通った方、若手のホープと伺っています。素晴らしいですね」
「名が通っている」は大分誇張している感じはするが、鳩島さんのような素敵な女性に褒められると、それが営業トークだと分かっていても気分よく舞い上がりそうになる。モテない男の悲しい性である。
「先生のような方は、ぜひ全国区の社労士の先生になっていただけると、最近開業された方、若手の士業のよい目標になるはずです。ぜひ一緒に頑張っていきましょう!」
鳩島さんが、パソコンの画面越しに目をキラキラさせながら訴えてくる。少女漫画にある、瞳に3つぐらい反射がある感じの目である。思わずフラーっとなびきそうになるが、ここも、だいたい想定内。
鳩島さんとの10分の雑談、15分の売研の理念と実績説明の間、売研に入ってほしいという、「瞳キラキラ攻撃」をなんとか耐えて、僕は平静を装い言葉を発する。
「ご説明等ありがとうございました。この後は何があるんですか?」
「月例会があります。毎月一回朝の七時半から。一時間半ぐらいです。このままお待ち下さい」
そのまま待っていると7時半、月例会が始まった。開始のファンファーレがなり、会長らしき人が挨拶をする。その後、今月のセミナーが30分程度ある。
今日の講話は、「全国区になるための営業術」で、売研の専任コンサルトが、どうやったらBIGになれるか、マインドを高められるか、どう営業したら即決で契約がいただけるかの話だ。熱い、とにかく語り口が熱い。
オンラインの画面を通じても、事務所内の温度が2度くらいあがりそうだ。暑苦しいセミナー等が終わると、今度は、オンライン上で参加した会員一人一人が、全員に向けて話す時間があり、前月営業した先、結果などを報告するのである。
売研では、決めポーズがあるらしく、話の最後には、「私は全国区」と言って、右手で親指を立てた「いいね」のポーズをしながら「全国区、全国区、全国区」と3回連呼しながら、こぶしを3回振る。
あまりに滑稽な様子に、僕は失笑を抑えつつも、真面目に聞いているフリをする。ここで吹き出そうものなら、きっと会員の方々に、袋叩きになりそうだ。同調圧力とは怖いものである。客観的にみるとどうみてもおかしなものが、その環境にいると「おかしい」と言えなくなるのだ。
月例会終了後、オンライン上の個別ルームに移動し、鳩島さんから、熱心な勧誘を受けた。僕は、あの意味の分からないポーズはやりたくないので、丁重に全力でお断りさせていただいた。予定通りである。しかし世の中、いろんな団体があるし、いろんな人がいるものだ。
7
その日の夜、増田先生から電話がかかってきた。
「先生、売研どうでしたか?よかったでしょう。加入しませんか。」
「そうですね。大変申し訳ないのですが、加入は遠慮させていただきますね。鳩島さんにも、その場で丁重にお断りをさせていただきました。」
「えーっ、そうですか。先生なら一番いいと思うのに。先生は『全国区』に憧れるとか、ないのですか?」
「僕は無いですね。先々どうなるかは分からないけど、有名になるとかどうでもよくて、一人事務所だし、あまり手を広げず目の前の顧問先さんを、フォローしっかりしたいですね」
「それも大事ですよね。でも、難しい試験に受かったのだから、BIGになっていいと思いますよ。また声をかけさせて下さいね」
僕が入会に「No」を伝えると増田先生は、ちょっと荒っぽく電話を切った。
その後、僕は、売研のどこがいいんだろうと考えていた。月会費が42,000円する。今日の月例会のほかに、勉強会も月2回、リアル&オンラインである。営業ツールがもらえる。
4半期に一度、東京・大阪で懇親会もあるらしい。そこには業界に限らず有名人も出席されて、名刺交換もできる。
もちろんそれをメリットに感じる方にとっては、それはそれでいいのだろう。
僕はまだ、売研が求める全国区レベルに達していない弱小社労士なだけかもしれないし。
8
売研のセミナーから1週間ほど経過した。
ここ最近、僕は目の奥に少しチラチラと光を感じることがある。痛いなどはないけど、ちょっと気になっていた。
「最近、仕事が忙しかったからかな。まぁ、いずれよくなるだろう。あっ、そうだそうだ。先週の売研のセミナー、一応録画していたから、もう一回ぐらい見ておこう。なにか仕事のヒントはないかな。」
売研のセミナーは、特に、録音録画禁止とはなってなかった。パソコンのオンラインの画面を、ちょっと離したところからスマホで録画しておいた。
その売研の映像を見ると、なんとなく違和感を感じる。目がチカチカする。
「えっ、もしかしてこれって・・・」
僕はすぐさま、売研セミナーの視聴をやめ、駒川さんに連絡をとる。駒川さんは、近所で動画制作をする個人のクリエーターだ。あやみ社労士事務所のホームページの制作にも携わってもらった。
「駒川さん、もし時間があったらちょっと見てほしい映像があるんです。売研という団体のセミナーなんです。」
「おー、あやみ先生。そんな会があるんだね。高額セミナーへ誘い込む、フロントセミナーみたいなものかな。」
連絡ののち、駒川さんのオフィスで、売研のセミナーの映像をみてもらう。
「あーっ、そういうことか。なんとなくわかったよ。」
駒川さんが、専用の機械で操作をしながら、画面を凝視している。
「やっぱりそうだ。サブリミナルだ。また巧妙だねー。ホント一回一回は、ほんの僅かな時間だけど、結構多く散りばめられている。あやみ先生、よく気づいたねー。」
「僕も、なんとなくサブリミナルかもと思って、駒川さんに連絡したんです。でも、そもそもサブリミナルは科学的には根拠がないって、聞いたことありますよ」
「確かに、科学的には根拠はないとは言われていわれているけどね。人間の深層心理に全く影響がないかといえば、そうとも言い切れないんだよね。だってテレビ放送局が各社、サブリミナル広告を禁止しているわけけだし。」
「確かにそうですね。完全に否定されるものではなく、分からないこともあるかもしれないですね」
「そう。それに、あやみ先生は社労士だから分かると思うけど、メラビアンの法則とか、ザイオンスの法則なんか、人事関係の法則の超有名どころでしょう。そこにサブリミナルなんか組み合わせたら、そりゃ、人によっては洗脳みたいになってしまってもおかしくはないわけさ。」
メラビアンの法則とは、視覚からの情報が行動に多くの影響を及ぼす、ザイオンスの法則は、単純接触効果とも言い、会えば会うほど会うほど好意を持つという法則だ。
このあたりは人間関係を書いたビジネス書には、何度も登場する。
「僕は売研のセミナーをいま、初めて見たけど、他のセミナーのあるんだよね。そっちもにも、サブリミナル、メラビアン、ザイオンスなど巧妙に組み合わされているはずだよ。もちろん、どれも法律で禁止されている訳じゃないから、違法ではないけどね。」
違法ではないにしろ、売研の営業の巧妙さ、開業数年程度の、仕事を得ていくのに、不安な社労士や士業に漬け込む狡猾さを感じずにはいられなかった。
9
「サブリミナル?初めて聞きました。そんなものが、売研のセミナーに組み込まれていたんですね。」
増田先生に駒川さんとのやり取りをお話しすると、驚いた表情をする。
「そうなんです。随所に。専門の方に頼んで映像を確認したんですが、特に『全国区』『稼げ』「今しかない」の3つのワードはよく入ってました。会員の皆さんに無意識のうちに「焦り」「不安」を与えるのが目的だったのでしょう」
「確かにそうです。焦り、不安に漬け込んで、煽られた感じがします。もちろんセミナーなど有益だとは思いますが、サブリミナルを使っている時点で、企業姿勢としてどうかなとは感じています。」
「よかった。増田先生が正気になったようで。正直この前までの増田先生、何かにとりつかれたようでした。」
「オレなんて40半ばを超えての開業での後発組で、特に知識経験もないから、どうしても武器を持つ必要がある。そのために、高額セミナーや、団体に入る、業界の有名人と写真をとってSNSに投稿することで、自らの承認欲求を満たしていたんですよね。焦り、不安です。虚勢を張っていたんです・・・」
「みんな、そうですよ。僕だって不安ですから。でもね、その不安は、顧問先が増えたり、自らの収入が増えないことには払拭されないと思います。セミナーを受けたり、会に所属して、ただそこに居ただけでは、収入になったり、顧問先が増えることになりませんよね。セミナー参加、団体加入は、自分たちが支払う側、つまりお客様側です。そりゃ、チヤホヤされます。乗せられちゃ、だめです。」
「あやみ先生の言う通りですね。」
「オレ自身もまずいなと思っていたんです。セミナーとか会に参加するでしょ。見栄を張っているけど、お金はどんどん減っていくし不安だったんです。でも一度参加すると、次も参加しないといけない雰囲気になっちゃうんです。周りも、次も出ましょう、当然出るよね、みたいな感じなんです。」
「一種の同調圧力ですね」
「それと、どんどん後に引けなくなったんです。セミナーも会もどんどん参加して費用は掛かっている。でも、つぎこんだ分以上の仕事には、つながらず、回収は全くできていない。売上が上がらないもんだから、よけいに意地になって、セミナーや会合に参加してしまうんです」
「パチンコで負けた時にそこでやめればいいのに、余計につぎ込んで、余計に負けが込む感じですか」
「まさに、その通りです」
「僕は、セミナーや会自体が悪いとは思いません。ただ、それを利用する人たちには、何のために使っているのかを、しっかり分かっておく必要があると思います。」
「オレの場合、いつの間にか、仕事につなげることでなく、参加することがステイタスになっていたんですね」
「有名な先生のセミナーを受けた、懇親会で、ワーっ騒いで集合写真撮って、関係性の薄い友人が増えても、仕事は増えないです。売研に入ったからといって、それだけで売り上げが上がるものではないです」
「オレは何を勘違いしてしまったんですかね・・・」
増田先生も、これまで虚勢を張り、相当苦しかったのだろう。話をするたびに表情が暗くなっていき、その場で膝をついて泣き崩れた。
10
「強引な勧誘。コンサル会社ファイヤービジネス 強制捜査」
増田先生との一件があって、1か月もしないうちに、こんな見出し。
新聞の3面の下の方にあった小さな記事だ。
記事を読むと、大分強引な勧誘、営業で多くの士業が、無理やり契約を結ばされていた感じである。サブリミナル広報は、違法とはいえないが、記事を読む限り、他にも決してよいとはいえないような営業手法があり、被害届が出ているようだった。
僕が参加した、無料セミナーへの勧誘、呼び込みも、会員には大きなノルマが課せられ、達成できない場合ペナルティがあったようだ。
そんな状況なら辞めればいいのにと思うが、「自分が加入した団体だから間違いなくいい会」だと信じたいこともあるだろうし、売研に長くいればいるほど、正常な判断が出来なくなっているのが、一種の「洗脳」の怖いところである。
新聞の記事に見入って、そんな考え事をしていたら、事務所の電話が鳴った。増田先生だ。
「あやみ先生、先日はお世話になりました。」
「今朝の新聞見ましたか?」
「ええ、見ましたよ。なんか、記事を見てがっかりもしたけど、完全に吹っ切れました。僕は間違った会に入っていたんですね。」
「よかった。これから増田先生の新たなステージが始まりますね」
「はい、少しずつ頑張っていきます。しばらくセミナーは受けないことにします。それと売研以外にも入っていた団体も、全て今月末で退会することにしました。」
「相変わらず仕事がはやいですね。」
これも士業同士がよく使う、社交辞令的な褒め言葉だ。
「だっていろんなセミナーや会合に出席したけど、恥ずかしながらその後に活かしたものが全然ないんです。これからは、これまで学んできたことを、自分が発信していくって決めたんです。」
「それでいいと思いますよ。」
「オレは、この前の研修会で見た、あやみ先生のように、地に足がついていて、そして、しっかり話ができる講師になりたいと思っています。これまで学んだことをしっかりアウトプットしていきます。」
「ええ、頑張って下さいね」
「実は、しっかり人前で話せるように、人を惹き付けることができる話し方ができるように、地元のテレビ局が主催している、『誰でもスピーチプロ』の講座に申し込みました!一緒に、スピーチプロの会に入会しちゃいました。月会費は20,000円くらいで、いい学び、交流がありそうです。」
「はぁ、そうなんですね・・・」
膝から崩れて涙した姿は、なんだったのだろう。
売研の呪縛が解けていないのか、単に、増田先生の気質なのかは分からないが、この人は変わることはなさそうだ。
僕の携帯番号を教えることもないだろう。
残念だけど、こういう人は意外と多い。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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