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ネガティブな感情の周りには宝物がある

今日はネガティブな感情の周りには宝物があるという話をしようと思います。

サイゼリア事件

先日、家族でサイゼリヤに行ってきました。
長男はたらこパスタが好きで、毎回のように頼みます。「それなら僕が超絶美味しいたらこパスタを作ってやろう!」と思って、この間自宅でたらこと生クリームを使って、美味しい絶品パスタを作ったんです。だから妻に「この間のたらこパスタ美味かったよね。家でまた作るからね」って話をしていました。で、それを横で聞いていた長男が、「いやサイゼリヤのたらこパスタのほうがおいしい」って言ったんです。
で、僕はめちゃくちゃカチンときて、腹が立ちました。なんでそういうこと言うのって思いました。僕が一生懸命作ったたらこパスタより、サイゼリアのたらこパスタが美味しかったならおいしかったで別にいいんです。だけどまた今度作るからねって話していた横で。じゃあ、お前にはもうたらこパスタ作らんぞって思ったし、まあそれに近いようなことは言いました。
本当に我慢ならなくて、その後も結構言い合いをしました。「何のためにそれを言ったの?」とか、「そう言われてすごい悲しい気持ちになったよ」みたいなことを言ったわけです。
結局は「サイゼリヤのパスタだって美味しいよ」というようなことを言いたかったみたいですが、僕にとっては、自分の作った料理を比較されダメ出しされ、それだけではなく、また喜んでもらうために美味しい料理を作ろうと思っている、僕の気持ちごと否定されたような気がして、すごく悲しかったんです。

後から考察する

「料理を作っているのに食べてくれない」とか、一生懸命家族のためにやったのにそれが返ってこなくて、イライラしたというのを何度も繰り返したことがあります。自分が家族に貢献したい、役に立ちたい、喜んでほしいというのが根っこにあって強いから、サイゼリアのパスタが美味しいと言われて強い怒りとして出てくるわけです。根本の気持ちはただ家族を喜ばせたいという思いでしかないはずなのに、それをないがしろにされた感じや、傷つけられた感じがする時に、反動で怒りが大きくなる。大事なものがあるからこそ、強い怒りが出てくるんですよね。

怒りの裏側にある願い

本当は現在進行形で、怒りがワーッと湧いてきた瞬間にふっと立ち止まることができて、「この怒りは何なんだろう」とか「その怒りの裏側にある自分の願いってなんだろう」と考えられたらいいんですよね。
今回のケースで言えば、「サイゼリアのパスタがの方が美味しい」と言われて怒りが大きくなった時に、「これだけ家族を喜ばせたい気持ちが大きいんだ」って、気持ちにしっかり繋がってさえいれば、もう少し穏やかに自分の方にフォーカスしながら伝えることができたはずなんです。でもその時僕は怒りに任せて「そういう言い方する傷つくぞ」みたいに言ってしまう。言葉としては「I message」として、自分を主語にして言ってますけど、「お前が間違っている」っていう自分の攻撃な気持ちが乗っかって伝えてしまう。
本当は現在進行形でやれたらいいんだけれども、僕もまだまだこうやって後から振り返って怒りの原因や、その日起こった原因は何かって考えています。原因が外にあるって考えると、子供のあの言い方が悪かったとか、外側を探し始めちゃうんだけど、本当はどうあってほしかったのかなとか、自分の内側の願いっていうところにフォーカスすると、結局は家族を喜ばせたいんだよな、家族への愛情なんだよなというところに行きつきます。自分の家族への愛情を受け取ってもらえることがすごく大事だし、受け取ってもらえた時の喜びはすごく大きい。

宝物に気づくことが大切

イライラする、怒る、悲しくなる、そういういわゆるネガティブとされている感情に常に襲われているとエネルギーを消耗しています。だけどネガティブな感情自体が良い悪いではなくて、その感情の周りには宝物が眠っている。その宝物、自分自身が持っている心の奥にある願いに気づくことが大切です。
今回でいえば、「サイゼリアのパスタの方が美味しい!って言われたごときであんな怒り方を
したのは何なんだと。サイゼリアのパスタ美味しいのに。そんなことであんなに怒るくらい、家族に愛情を伝えること、そして受け取ってもらえることが大事なことだということです。そこに気がつけるっていうことが大事だし、それを受け取ってもらえた過去の経験があるから、それがうまくいかない時に悲しくなるんですね。

愛情を満たして満たされる

この話には続きがあって。普段長男が寝るとき、おやすみのハグぐらいはよくしますけど、最近添い寝はしなくなりました。でも、昨日はそばに行って軽く添い寝をして、サイゼリヤの件はもうなんとなくもう落ち着いちゃっていたので、「お手伝いをしてくれてありがとうね」「お手伝いをしてくれるのは嬉しかったけど、お手伝いをしてくれてもしてくれなくても、君が居てくれればお父さんはすごく嬉しいし、生まれてきてくれたことに感謝しているよ。大好きだよ。」ということを伝えました。そしたら半分寝ぼけた彼が、ありがとうみたいな感じでぎゅっとハグを返してくれました。僕の愛情を伝えて、息子が受け取ってくれたのをぐっとかみしめて。彼の愛情を満たすつもりでやったことだったけれど、そう受け取ってもらえた時に自分の方が満たされて。自分の根本にある願いっていうのはこういうことだなということを噛みしめました。

まとめ

普段些細なことで、自分の愛情を受け取ってもらえないと感じて怒ってしまうことがまだまだあります。でもこうやって振り返りながら、自分の怒ったりイライラした感情の周りには家族への愛情があるんだなって思います。そこにしっかり繋がり続けられたらなと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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ファミリードクター福田幸寛
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