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自分らしさについて(子どもの宿題からの考察)

今日は「自分らしさについて」というちょっと壮大なテーマになりますが、なるべく短めにまとめていこうと思います。


昨日の出来事

昨日8時すぎ、9時前頃。小学校3年生の長女が、宿題をやるのを忘れていたと騒ぎ出しました。我が家は一応9時までに寝ましょうというルールがあります。9時すぎたからってなんか罰をあたえるみたいなことはないですけど、「9時になったよ」とかいうわけですよ。で、その時間が近づいてきているぐらいの時間でそう言い出したわけです。ここ最近9時を過ぎていることが多いので、約束を守らないことに対して、僕と妻は少しいらいらがあったりする。
しかも昨日は宿題をやるのかやらないのかっていう以前に、そもそも宿題を学校に置いてきたと言って、機嫌が悪く半泣きなわけです。「9時に寝る」というのも守ろうとしていないように思えてきて、僕自身が「なるべく早く寝る」という大事にしてほしいことを蔑ろにされているような気持ちになってさらにいらいら。
とまあ、そんな風に自分が苛立っていることも感じながら、極力抑えて対応してたんですけど、あまりにギャーギャーうるさいもんで、僕もついついイラついた気持ちで対応してしまった。「宿題面倒くさいとかやりたくないとか言うならやんなくていいじゃん」って。

宿題やらなくてもいいじゃん

よく僕は「宿題やらなくてもいいじゃん」と言います。僕の本当意図としては、「もし宿題をやらなくて、それで怒られたとしたって、長女自身のことを僕がダメだと思うことはないよ」ということ。長女は先生に怒られるのが嫌だってよく言います。宿題やらなかった事そのものよりも、怒られることにすごく抵抗感を覚えているので、あなた自身に問題があるわけじゃないんだよって、本当はね、伝えたかったんですよね。だけど「宿題なんてやらなくていいじゃん」みたいな感じで、ちょっと怒りっぽく言っちゃったわけですよ。
どうして宿題やらなくていいの?
まぁ、ギャアギャア言ってたのも、時間とともにだんだん落ち着いて、しばらくして長女が「どうしてそういう風にいったの?」って僕に聞いてきたんですね。なんかそれもすごいなと思いました。「宿題やらなくていいってどうしてなの?」と。
なので、僕の意図を伝えました。そして「怒られるからやるっていうのはちょっとおかしいと思う。宿題っていうのは、先生が、もう少し勉強して欲しいとか、理解して欲しいと思って、考えて作ってくれているんだと思うよ。それをやるならやる、やれるならやったほうがいいと思う。ただ、怒られるからやらなきゃっていう風なつもりでやるんだったら、別にやらないでもいいんじゃない?それで怒られたとしたって、うちの子は宿題をやらないでいきますとお父さんが伝えるよ」と言ったんですね。だけど、別にそうして欲しいわけではないわけですよね。長女は、一旦表面上は怒られるのが嫌だからって言うんですけど、割ときっちりやりたいっていうのが、本当は奥にあるんじゃないのかなと僕は思っています。そもそもそういう課題をきっちりやりたいとか、テストでも満点を取りたいって思っていたりするようなんですよ。親としてはそれを求めているわけではないけど、感じ取ってるのかもしれませんけどね。
今でこそ僕は優秀であらねばならないというところから、少し抜け出してきているなと自分自身は思っているけれど、娘に対してそれを求めていないつもりでも、ぬぐいきれないものが伝わってるって事はあるのかもしれません。

怒られるからやる

評価されることとか、うんと罰せられるみたいなネガティブなものがあるからやるっていう、そういう状況が、僕はあんまり好きじゃないんですね。それよりも、どうしてやるのか、宿題をやりたいとまで思わないとしても、宿題をやることのメリットを本人が理解して、やるぞというつもりでやってほしいなあと僕は思っているわけです。
10対0ではないと思うんですよね。もちろん他者から評価されること、認められることを気にするのが人間なんじゃないかと思います。一方で自分の中から自発的に湧き起こってくるもの、自分の衝動や心の動きみたいな所を特に大事にして欲しいなぁと思っているんです。なので、宿題をやることのメリットを本人が感じられるのかとか、他人に何かされるとかだけでなく、自分がどうして宿題をやろうと思うのかにフォーカスして欲しいなあと思っています。

長女の気持ちを聞く

長女にとって宿題をやるってどういうことなのかと聞きました。そうするとやっぱり、出された課題はきっちりやりたいこととか、テストで100点取りたいとも言っていました。テストについては外部からの評価なので、それに固執、こだわりすぎるのは僕としてはいやだなと思いながら、今の時点で長女の中にあることなので、それについては否定せず「ああ、そうなんだね」と返しておきました。長女の中にある「怒られないように」とか「他者の評価を求める」みたいなところっていうのは、まああるんですよね。外部からの評価じゃないものにこそ、あなたの価値があるんだよってことは、充分伝えているつもりではあるんですけれど、それでもやっぱり気にするんですよね。0にはならないのかな。
長女の中にある心の動きにフォーカスできるようにやり取りをしたつもりです。もちろん僕も今の時点で100点満点の対応ができるわけじゃないんですけど、やりなさいやりなさいと学校の先生からも言われ、親からも押し付けられるのはるような形ではなく、なるべく本人の心の中にあるやる気の種みたいなところに注目していけたらいいなと思いながら接しております。
宿題一つとってみても、一部にやらされてる感を感じるとしても、やらないという選択肢を取らないということは、本人が望んでいる部分がちょっとはあると思うんです。そこにフォーカスしていけたらいいなと思います。

やりたいという気持ちにフォーカスする

もう少し全般的なところに広げて考えると、どうしても親の視点でこれをやった方がいいとか、あれをやって欲しいとかに意識がいきがちですよね。けど、そもそもその親の価値観が、子供の時代の価値観にフィットするかどうかなんて分からないし、むしろ親の価値観が足かせになる場合の方が多いんじゃないかと僕は考えてます。どうしても僕自身の価値観を子供にすりこみがちだと思っているのでそこをなるべく少なく、そう思ってもすりこみは出るものですから、極力0にしようと心がけています。
その上で子供たち自身が、何を望んで、何に興味を持って、どんなところで心が踊るのか、何に心が動かされるのか、というところに注目して、子供自身が気がついていけるように対話をしていくことがとても大事ですよね。自分の価値観を押し付けるんじゃなくて、相手の価値観がどういうものなのかを聞くということです。質問をすることで相手も気づきます。そしてそれが自分と相いれなかったとしても、それはそれ。僕はこう、あなたはこう、ただそれだけだと思うんですよね。
子供もそうだし仕事もそう、自分の価値観と相手の価値観が、必ずしも重ならなくても良くて、それたちが関わり合うからこそ、自分らしさって言う物が出来上がっていくんじゃないのかという風に考えています。
なんだか長女の宿題の話から随分と話が飛んでしまいましたけれど、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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ファミリードクター福田幸寛
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