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祖母が亡くなった日、私は泣きながらご飯を食べた

2021年9月1日、大好きなおばあちゃんが永眠。

私はコロナの影響で国境封鎖中のオーストラリア在住。祖母の死に目にもお葬式にも駆けつけることができませんでした。

その日の朝、母からのLINEで祖母が息を引き取ったことを知りました。

持病があった90過ぎのおばあちゃん。

「いつ何があってもおかしくない」と心のどこかで覚悟していたものの、しばらく呆然と過ごし、母への返信もできないまま。

その数時間後、Twitterに1件のダイレクトメッセージが届きました。

仲良しのフォロワーさんからで、

「体調はどうですか?」

前日、私は2回目のワクチン接種をし、副反応を心配してくれていた内容でした。

そう言われれば、なんとなく熱っぽいし、なんとなく頭痛がする...と、副反応の存在を思い出しました。

気が動転していたのか、

「祖母が他界しました。〇〇さんは死なないでください」

こんな突拍子のない内容をネット上でしか付き合いがない人に送っていました。

すぐにお悔やみの言葉と「ふくちゃんも生きてください」と返信が。

そうだ。

私は生きなければ。

無気力だった心と体にほんの少しだけ「今やることはなんだろう」と考える力が湧いてきました。

それから、母に通夜と葬儀の予定を聞き、弔辞・香典・供花についての相談と手配、お仕事のご依頼をいただいているクライアントに連絡。

そして、なぜか一番最初に連絡すべきだったパートナーが後回しになっていたことに気付きました。

パートナーは私からの連絡を受け、すぐに帰宅。

祖母は生前「孫の中でタムタム(パートナー)が一番優しい」と口癖のように言っていました。

パートナーは外国人で日本語は片言。それでも、祖母とは気持ちが通じ、本人も「孫としての自覚」があったようです。

彼は朝から何も食べていなかった私にミロとヤクルトを飲ませ、その間にキッチンで角煮作りを開始。

「こんな時に料理?」「お腹すいてないんだけど」と思いながら、彼がてきぱきと豚肉をタレの中で煮込む姿をみていました。

できあがった角煮とほかほかのご飯を目の前に置かれても、私は食欲がわくことはなく・・・

パートナーからの「食べなきゃだめだよ。ひとくちでいいから」と懇願するような言葉に促され、私はお箸をもちました。

こんな悲しい日でもタムタムが作るごはんはおいしい。

おばあちゃんも彼が作ったポテトサラダや茶わん蒸しをおいしそうに食べていたっけな。。。

そう思ったら、もうダメ。

涙が止まらなくなりました。

私はおいおい泣きながら、パートナーに励まされながら、一生懸命ごはんを食べました。

おばあちゃんは死んじゃったけど、私は生きよう。

そんな強い意志を持って食事をしたのはこれが初めてでした。

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9月3日、祖母のお葬式が営まれました。

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棺桶の中にはたくさんのお花と祖母が好きだったお饅頭とお刺身。

お葬式の様子は参列した母がLINEで写真を送ってくれました。

私は遠く離れたオーストラリアで祖母が天国で幸せに過ごすことを願うことしかできません。

本音をいえば、まだ祖母がこの世からいなくなった実感はなく、一時帰国をすれば、また祖母に会えるんじゃないか・・・そんな気がしています。

気持ちの整理がつくまではしばらく時間がかかりそう。

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最後に祖母が私に教えてくれたことは、

これから辛いことや悲しいことがあった時

「生きよう」と泣きながらご飯を食べた夜のことを思い出せば、きっとなんとかやっていける・・・

ということなんじゃないかな、、、とぼんやり考えました。

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ふくちゃん
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