mixi2(ミクシー2)~インターネット老人会の帰る場所~
「mixi2」(ミクシー2)という新たな言葉にわたしはすぐに反応した。
情報発信がしたいわけでもなく、人脈を広げたいわけでもなく、ただ「あの頃」に触れてみたい……
そんな欲求が湧いた。
mixi、、、あの懐かしい画面。オレンジ色のアイコン。友人の日記を読むために毎日通ったあの場所。バトンが回ってきたときのワクワク。足あとが残ることで生まれるゆるいコミュニケーション。
あの頃のわたしたちは未来のインターネットがこんなにも速く、激しく、疲れるものになるとは思っていなかった。みんながつながり、世界が近くなることが「未来」だと思っていたが、そこには息苦しさも伴っていた。
「mixi」に触れてみたい――そう思うのは、あの頃のゆるやかな「つながり」を取り戻したいからなのかもしれない。
mixiが日本のインターネット文化の中心にあった頃、わたしたちは毎日「日記」を書いていた。
それは誰かに見せるための文章ではなく、自分の気持ちを整理するための、ほぼ独白に近いものだった。
リアルな友達にも見せられない胸の内を、当時の「マイミク」という不思議なコミュニティにだけ打ち明ける。
「収益化」という概念もバズらせたいという承認欲求もなく、ただ「そこに誰かがいる」という感覚で心はじゅうぶん満たされていた。
あれから十数年が経ち、今やSNSは「情報発信」と「効率的な繋がりの手段」「収益化のツール」として発展し続けている。
Twitter(現X)は140文字の投稿が高速で流れ、Instagramは映える瞬間を切り取った画像で溢れ、TikTokでは流行が日々トレンドが作られる。
膨大な情報が流れるSNSのタイムラインを眺めていると、自己表現がまるで消耗品のように思えてしまうこともあった。
そんなとき、心の片隅に息づく「mixi」の存在が思い出されるのだ。
「mixi2」という新しい場が生まれ、あの場所を懐かしむ人たちが集まってくる。
mixi2は今を生きるわたしたちに必要な休息の場となるのではないだろうか。
インターネットがどんなに進化しても、わたしたちが求めているのは、「誰かがそこにいる」という確かな感覚なのかもしれない。
あの日、あの時、あの場所にいたわたしたちは、今も変わらず、インターネットの中に生きている。
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