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日本語で繋がる安心感、海外在住者にとってのSNSの効果

ブラジル国内でX(旧Twitter)のサービスが停止されるとのニュースを知り、

「海外在住者にとって日本語で繋がるSNS」

について考えさせられました。

SNSの使用については個人差が激しいので、あくまでも(※個人の感想です)な考えを書き留めておきたいと思います。

▼事の発端

詳しくは以下の記事をご参照ください。


母国語で「きょう、こんなことがあった」と言える場所

オーストラリアでの生活は20年を超え、この国での暮らしが「当たり前」になりつつあります。

と、同時に、

日本のニュースやコンビニの新作スイーツ、ミスドの期間限定商品など、母国に対する興味は日本に住んでいた時よりも強くなりました。

SNSで繋がっている日本在住の方たちからの「生の日本の情報」はわたしにとってなくてはならないもの。

そして、SNS=「情報収集ツール」の側面だけでなく、

「きょう、こんなことがあった」

を、日本語でつぶやける場所として、母国語以外で生活している海外在住者にとって「ほっと一息つける存在」なのだと思います。

取るに足らない投稿に反応してくれる人たち

わたしがTwitterに投稿する内容は、たいしたことのない日常の断片。

ランチの写真、散歩中の風景、ふと浮かんだ思い。

取るに足らないつぶやきに反応してくれる誰かがいるという事実が純粋に嬉しい。

仕事中は基本ひとりでパソコンに向かい、同居家族との会話は8割がた英語。

海外にいるんだから当然…..という意見はごもっとも!なんだけど、

在住国や職業、世代、性別、関係なく「なんか気が合う」「その考えかた好き」と思える方との日本語でのコミュニケーションはプライスレス。

もし、突然SNSが使えなくなったら…?

SNSのアプリを開けば、会ったことも話したこともないのに「友だち」と思える人たちの日常の出来事が流れてきます。

現実の世界では話せないことも「ここでは言える」という不思議な空間。

ある日突然、そんなSNSが奪われたらどんな気持ちになるのだろう?

ふとスマホを手に取り、いつものようにSNSを開いても、そこに誰の言葉も届かない、誰の姿も見えないとしたら。

心にぽっかりと穴が開いたような虚無感を覚えるのではないか……

Twitterの利用ができなくなったブラジル在住の方から、インスタグラムにこんなメッセージが届きました。

この気持ち、わかる。

何年もつぶやいてきたSNSにアクセスできなくなった寂しさ。

「情報の欠如」や「暇つぶしの手段の欠如」だけじゃないですよね。

SNSのゆるいつながりは「精神的な安心感をもたらしてくれる存在」と捉えている方も多いのではないでしょうか。

最後に:SNSの人間関係は流動的だけど

SNSを何年も続けていると、

何年もやり取りが途切れない方もいれば
疎遠になってしまう方もいる。

何かのきっかけで親しくなり、
何かのきっかけで距離を置く。

人間関係は流動的だと感じざるをえません。

だからこそ、一瞬一瞬のつながりをだいじにしたい。

無機質な文字だけのやり取りだとしても、

画面越しに心を通わせることができたとき、その温かさは現実世界と遜色ないものだと信じています。

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