福島が拠点の大学4年間を振り返る
とうとう,あと数ヶ月で大学生活が終了します。
大学4年間を時系列で振り返ります!
大学入学
前回の投稿でも触れましたが,僕は2020年入学。
コロナ禍で入学式が無くなった代です。
さらに,授業開始は1ヶ月遅れの5月から。
札幌出身者が他に居ないので友達が1人もいないところからのスタートでした。
大学1年生
友達いないし,コロナで遠出も人と話すこともできない。
高校で辞めるつもりだったバレーボールを再開することにしました。
部活とオンラインの講義でほぼこの1年は終わりました。
自分のやりたかったことは何もできていなかったです。
オンラインの講義も,復興まちづくり系の講義をとってはみたものの,
原発被害と現状どれだけ復旧しているか,どんな震災伝承活動があるか。
同じ内容ばかりで,しかも復興のプロセスは内容に含まれていませんでした。
大学2年生
痺れを切らし,部活動を休部してまちづくりの本を読んだり,見に行くことに時間とお金を使いました。
学校で学べないなら自分で行っちゃおう,ということで,被災地縦断をスタートさせました。
沿岸部を,南は宮城県の荒浜,北は岩手県の宮古市までの約240kmの範囲,平日は講義があるので,2ヶ月かけて毎週末行っていました。
夏には,高校の同期がサプライズで遊びに来てくれ,急遽決まった東北一周旅行。
1週間かけて,車で2000kmを走り回りました。
この2つの旅をきっかけに,まちに実際に行くことの重要性ともっと色んなまちを見てみたいという欲に気づき,自分の行動範囲がグンと広がりました。
本当に僕にとって大きな1年でした。
11月ごろには,香川県の丸亀商店街を見に行ったりと,まち自体というよりは,まちの一部分に目がいくようになったのはこの辺りからだと思います。
大学3年生
前述の東北一周旅行中に,
「来年の夏,アメリカ一周するんだけど,来ない?」
とお誘いをもらい,1年間の貯金生活が始まります。
お盆後半から9月末まで,夏休みを全部使い旅に出ました。
トロントに1週間滞在した後,アメリカを車で一周,まっすぐ韓国に1週間滞在する,約1ヶ月半の大旅行でした。
アメリカで見たかったのは,憧れの生活スタイルと,ポップな雰囲気,そして住宅街の緑や大きな公園など,緑がある場所を中心に広がるまちの賑わいでした。
アメリカの旅行記を後日上げていきますが,毎日色んな影響を受けた,間違いなく人生のターニングポイントになる旅でした。
こうして海外思考のなかった僕に,「海外のまちづくり」という引き出しが加わったのでした。
ここでアメリカ式の公民連携,PPPに強く興味を持ちます。
春休みには9日間かけて九州一周の旅へ。車で1600kmを走りました。
人生で間違いなく一番多くのまちを見た年です。
学校では,研究室配属や学会発表など変化の1年でした。
そして,この年に福島での居場所と出会います。
福島市大町にある「Vase Stay&Launge」というカフェに通うようになり,ここをきっかけに色々な動きができて,僕の「福島の実家」のような存在になりました。
大学4年生
人生で一番多く,初めましてを言った年でした。色々な人に会いに行って話を聞かせてもらった年。
200人以上に顔と名前を覚えてもらいました。
5月に飯坂温泉の旧堀切邸でのコーヒーイベント「THE COFFEE'S」をきっかけに福島でのつながりも広がりました。
夏は大学院入試や国際学会のスタッフなど,バタバタしていましたが,秋には愛知県の岡崎市,豊田市,名古屋市栄地区にまちづくりの勉強に行きました。
高校生に大学生活のプレゼンをしたり,小学生とのまち歩き,伊達市でのマルシェ,第3回のTHE COFFEE'S,他大学の社会実験ゼミなど福島での活動に参加しつつ,山梨での学会や卒論など学校活動…
色々頑張りました。
11月末には,見たいところが溜まっていた関西方面への旅に出ました。
大阪のリバーサイドから始まり,小豆島(これは観光,笑),徳島県上勝町,広島県尾道市,生口島瀬戸田,愛媛県北条,松山市,大阪へ戻り難波駅前,北浜エリア,京都の三条通り,四条通り,花見小路,ねねの道,石塀小路
そんな12万歩,車で700km,バスや飛行機など14時間という,まさに旅をしました。
年末年始には,香港に6泊7日の旅へ。
久々の海外でしたが,香港の面白いところを沢山見れました。
他にも宮城県女川町で長期インターンをしたりと,自分のやりたいことと吸収したいことがそれぞれ一気に進んだ1年でした。
そんなバタバタの大学生活もついに終わります
「時間と体力のある学生のうちに」とは言いますが,ほぼ体力でゴリ押したこの4年間もとうとうあと数ヶ月です。
大学院生ではもっと実践的な活動に力を入れたい,そんな決意と共に,大学生活を振り返りました。