先輩教師④
七三分け先輩教師は、元々は中学の理科教師だが高校では数学を担当していた。教養があり、とりわけ語学力が凄かった。ある時、中華料理店で中国からの留学生が働いていたので、「中国語で喋って」と同僚に囃し立てられた彼は流暢に中国語で会話をし始めた。またAET(現在のALT)がドイツ語を話せるというので、彼女と会話をしてもらった。AETは驚いていた。噂によると、英語は準1級、ロシア語、イタリア語、フランス語も堪能だとか。私が「なぜ語学がそんなに堪能なのですか?」と質問したところ、「ふくTさんがサッカーや恋愛をしていた頃に、私は政治や語学にしか興味がなかった。だから、できて当たり前。語学はNHKのラジオを聴いていた」と彼。
彼が30代半ばの時、「その語学力が宝の持ち腐れだ」と彼を説得し、2年連続欧州旅行に連れ出した。1回目はイギリス。彼は大英博物館等、名所・史跡を訪れるたびに様々な解説をしてくださり、その度に私も世界史をもっと勉強しておけば良かったと思った。私は、サッカーチームのショップでユニフォームやスカーフ(マフラー)を買って喜んでいた。スコットランドのグラスゴーではセルティックではなくレンジャースのユニフォームを買った(まだ中村俊輔が行くはるか前)。後に2002年W杯の年に横浜医療関係者、イングランド人、アイルランド人でのJヴィレッジでの試合の助っ人に呼ばれ、ロッカーでレンジャースの青いシャツを着ようとしていたところ、アイルランド人たちはセルティックのシャツを着ていたのを見て、「やばい」と思い、慌てて白Tシャツに着替えた(セルティックはアイルランド系、つまり、カトリック。一方、レンジャースはイギリス国教会系だと聞いた)。イングランドではリヴァプールやマンチェスターUのシャツやスカーフを買った。
2回目はフランクフルト経由ミラノ行きで、ドイツで彼は、まず英語で話しかけて、反応がないと「グーテンモルゲン」とドイツ語に切り替えていた。イタリアでは宿泊施設の予約をする際、まずは私に気を遣って英語で話しかけさせ、英語が通じないとなると、彼が出ていってイタリア語で話した。おそらくイタリア語を話したのは、あの時が初めてだったはず。