HSPな私が、写真の世界で生きる理由
皆様は「HSP」という言葉を聞いたことがありますか?
一言で表すと「繊細な人」のことを指します。
今まで40年以上の人生を送ってきましたが、自分がHSPだと自覚したのは2020年11月くらいのこと。
それなのに、表現活動の一つである「写真」という世界で活動しています。
では、繊細な私がなぜ「写真」という世界で生きるのか…
「HSP」とは、どんな人?
「HSP」とは「Highly Sensitive Person」の略。
一言でいえば「とても繊細な人」「とても敏感な人」です。
さらに詳しい内容は、下記ページでわかりやすく解説されています。参考までにご覧ください。
人それぞれなので一概には言えませんが、
感受性が強く、周りの影響を受けやすいなど
繊細な性格・気質を持った人のこと
であり、良くも悪くも日常生活に影響が及びます。
日常生活において「人間関係」や「仕事」により特に大きく影響を受けると思われます。
また、周囲の影響を受けやすく、色んなことを細かく考えてしまいます。
特に現代では、流行病や社会情勢をはじめとしたネットなどの情報過多による影響もあるのでは、と思われます。
このように「繊細=ネガティブ」と思われがちですが、これで片付けられては可哀想だし、もったいないと思います。
私が自覚したHSPの気質
今まで私は様々な仕事に就いており、また複数の業務を並行してこなしていた時期もありました。
私がHSPじゃないか?と自覚したのは、執筆時点(2022年2月)から1年半ほど前のこと。
業務において精神的に追い込まれて「適応障害」を発症し、休業に追い込まれました。
それから自分の性格・気質について見つめていくうちに、「私はHSPではないか?」と思うようになりました。
また、私は以下のような気質・性格があります。(解消しつつある事項も含みます)
優柔不断で、自分なりの正解がないと決められない
物事に対して常に「考え過ぎ」で、時間だけが過ぎていき先に進めない。
人と話をする時、まず相手の反応を伺う。
また、相手の反応が怖いため、ストレートに物事を伝えられない。(怒られたらどうしよう、とか)几帳面で、何をするにもキッチリしないと気が済まない。
失敗したり叱責を受けると、すぐに落ち込む
こういうことが重なり、「自分はダメ人間」と思ったり、思い通りにならずイライラ・八つ当たりしたりと自分自身をコントロールできないことがありました。
しまいには、自分の将来に対して不安になったり、自分自身で存在を否定するようになったりと、ネガティブ思考にハマっていったのです。
さらに、サラリーマン時代は体調を崩し、退職に追い込まれました。
今でこそ冷静に過去の自分を分析することができますが、当時は目の前にある仕事のことで精一杯で、自分を見つめる余裕すらなかったのだと思います。
写真をはじめる前の自分自身の気質
社会人になったのが、1998年。
当時はプログラマーだったのですが、遠距離通勤&深夜残業、技術の追いかけっこばかりで
休みの日を含め全力で楽しめませんでした。
そんな中、2000年代後半から持ち出したデジタルカメラで、なんとなく撮っていた私がいました。
そして2014年、趣味で撮っていただけの私に「講演会を撮って」と知人から依頼が。
(もちろんノーギャラですが)
それが「カメラマン」としての始まりであり、だんだんと自分の「本業の一つ」として活動するようになっていきました。
※当時は他の複数の業務と並行してこなしてました
結局、他の業務と並行してこなしてきたことが「アダ」となり、さらに流行病の関係で一時期写真をお休みして稼いだことで、別の問題に直面することに。
それが、冒頭で述べた「適応障害」の発症に繋がり、自分がHSPであることの自覚と、写真に対する思いを認識することができました。
自分の担当業務を含めた周辺の「断捨離」をし、スッキリしたというのもあったと思います。
「写真の世界」における自分自身の気質
カメラマンという活動を始めてしばらくは、お客さまからのフィードバックを受け入れられず、自分自身でも納得のいく写真が撮れていませんでした。
結局は自分自身で「心を閉ざしていた」ということであり、まだ自分自身に心の余裕がなかったんだと思いました。
自分自身で納得のいかない写真の例は、以下の点
構図に収めたくない(写りたくない)ものが入っている
→ 所謂「必要悪」と言われるもので、構図の中にどうしても写り込んでしまう「邪魔な物」をどう捉えるかによって、作品の出来を左右する。
特に外での撮影の場合、太陽の光からくる「フレア」が入り込んでいる
→ 記念撮影など大切な記録であれば、フレアが入り込まないよう入射角を意識することが重要
(もっとも、高価なレンズを使えばフレアは抑えられるのだが…)
特にポートレート撮影の場合、ゴチャゴチャした背景や水平線などで
→ これは事前のロケハン・撮影時の周辺の確認不足で起こることであり、カメラマンとして注意せねばならないこと
なお、「必要悪」については、鉄道カメラマンの中井精也さんが『カメラは魔法の小箱です』(フォート・ナカイ発行/発売)という著書で述べています。
要は…
通常は構図の中に入れたくない「邪魔者」も、時には入れざるを得ないという判断も必要だということです。
まぁ、作品の出来を左右するのは、己の感性だということです。
ある程度で妥協することも、精神的に穏やかにするための方法(の一つ)ですね。
繊細はいいけど、完璧を求めなくていい!
以前に紹介しましたが、毎日YouTubeで配信しているカメラマンの西田航(にしだ・わたる)さんが動画で述べておられました。
この動画はあくまで「写真の世界で成功して有名になりたい方法」がテーマなのですが、これは私のような繊細さんにも言えることだと思います。
この中で、西田さんは
とのことでした。
写真も芸術の一つであり、「観る人によって点数の付け方が違う」から。
自分自身で完璧だと思っても、観る人が「全然ダメだ!」と思えばそうだと割り切る。
逆に、自分が納得できない仕上がりで公開したとしても、観る人が「素晴らしい!」と思えば素直に喜ぶ。
それでいいんじゃないかな、と思います。
そもそも「万人受け」するために写真をしているわけではなく、あくまで写真に必要な要素と自分自身の「感覚」で勝負する。
それが自信になっていければ、自分が写真で勝負できる。
そう信じて続けていく所存です。
余談ですが、プロカメラマンと言っても撮影目的や用途などによって
お客さまからの要望通り(構図、場面など)に撮影
カメラマン自身が描く作風で撮影
と大きく2つに分かれます。
上記1.については、お世話になっている写真スタジオ様からの学校関係の撮影依頼がメインとなっています。
これは、(生徒様及び保護者様向けの)販売や卒業アルバムへの掲載に大きく関係するからです。
2.については、自分地震による創作が中心。風景・スナップ・私個人へ直接ご依頼のイベント撮影やプロフィール撮影がそうです。
ただし、ある程度はお客さまからの意向を確認する必要があります。(カメラマンの裁量に任せるという場合もあります)
ただ単に撮れればいいというわけではない、カメラマンのお仕事。
カメラマンとお客様の間でよく確認し、大切かつ素敵な記録として残すこと。
さらに、自身で繊細だと認める私のように、過度な不安や緊張のないよう、自信を持って写真に取り組んでいきたいと思っています。
お読みいただき、ありがとうございました!
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