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自分の仕事が、見つかった。
昔、初めてカミングアウトしたとき、母に言われたことがあった。
「ちゃんと仕事をして、自分で生きていきなさい」
母は天職と言える仕事をしている人で、仕事が好きな人だ。定年になったあとでも働いている。
仕事をとても大事にしている人で、働くということを特別に思っているように俺には見えた。
自分を支えるものに出会いなさいと言われたように思った。
生活のために働けたらそれでいい、ではない、誇りと自覚を持って働いている背中に憧れていた。
自分も仕事をしたい。と思った。
母のように、「自分の仕事」に巡り会いたいとどこかで思っていた。
繁忙期を迎えて日々仕事をし、今日も研修を終えた帰り道にふと思った。
これが俺の仕事だ。
日々の現場の支えになる知識を気づきを伝えること。
1%でも、人生を変える時間を届けること。
講師が、講演家が、俺の仕事だ。
まさかこの自分に、こんな日が来るとは。
初めて人前に立って話し始めたのは、10数年前の大学のとあるゼミでのこと。
10人足らずの小さな部屋で、10分くらい、体験談を話した。
それでも声は震え、足は震え、話し終えたら握り拳の手のひらと背中は汗びっしょりだった。
その後も、壇上に立つたび声も足も震えた。
先輩に連れて行ってもらった時も、ほんの一部のパートでクロストークをするだけで、やはり参加者の顔は見られなかった。
依頼があるたび断りたくて仕方がなくて、でもほぼ引きこもりの無職の頃だったから、わずかな謝金のためにも足を引きずって向かった。
今思えば、ほとんどうつ状態だったあの頃でさえ、講演だけは行けていた。買い物や風呂でさえ億劫だったのに。
もう来ませんように、と願っても、不思議と機会は途切れなかった。
その度その度、「次を最後にしよう」と思って現場に向かった。
それがいつしか、先輩が忙しくなって話がやってくるようになり、1人で2時間、何百人の前で話すようになっていた。
入院して退院した直後も、友人が亡くなった時も、駅でパニック発作を起こした翌日でも、話してきた。
俺は緊張しぃだし、声は小さくて滑舌が良くない。早口でこもりやすいし、目を合わせるのも苦手。
決して人前で話すことは得意でも上手でもないと思う。
でも、伝えたいという思いはきっと人一倍強い。
緊張があっても、それでもなお人の前に立とうとするだけの思いがある。
他のどれでもなく、俺はこの仕事がしたい。
そう思うと、他の人にも頼る選択肢が思い浮かび始めた。
呼んでほしいし、俺を紹介して必要なところに届けてほしい。
リサーチや資料集めが苦手だから、ほしい情報をまとめるのが得意な人に力を借りたい。
お金のことや段取りが苦手だから、管理の仕組みなどをよくわかる人に教えてもらいたい。
0→1が苦手だから、伝えたいことを資料に落とし込むのに考えるのを手伝ってほしい。
俺が役に立てそうなところを教えてほしい。
苦手なことやわからないことに力を貸してほしい。
正直、今の主な市場的に稼げる仕事ではないので、現時点で金はない。
でもできることはなんでもやろう。なんとかしよう。求められているのはわかっている。
ふと、あと1年でちゃんと食えるようになる、と決めた。
この仕事は必要な仕事。社会にとっても、俺にとっても。
この仕事が、きっと俺の使い方としてすごくいいはずだから。