『親切な物理』の復刊 今も現役!? 65年前の物理の大学入試参考書
大学入試の参考書『親切な物理』が初めて出版されたのは、1959年のことです。書名の通り、物理の基礎から応用までを“親切に”解説する同書。
一時期絶版になっていたものの、2003年に復刊ドットコムから復刊され、現在でも多くの受験生に愛読されています。
初版から65年が経った参考書、と聞くと、今も本当に使えるのかと疑問に思う方もいるかもしれません。たしかに、学問は日々進化し、大学受験のあり方も当時と今とでは大きく異なります。
歴史の教科書は幾度となく改訂され、これまで常識と思っていたことが変わっていることもありますね。
ですが、物理学は、自然現象の普遍的な原理や法則を追求していく学問です。知識に知識を積み重ねていくことで進化する学問であり、その根幹となる部分が揺らぐことはないとされています。
だからこそ、『親切な物理』の内容は古びることなく、今なお現役の参考書として、親や教師から、子の世代へと受け継がれているのです。
本記事では、同書がいかに多くの受験生に支持されてきたかを振り返るとともに、その復刊の裏話をご紹介します
親から子へ、教師から生徒へ
復刊ドットコムでは、ある一定数の復刊リクエストが集まると、復刊の実現に向けた検討が始まります。『親切な物理』の復刊に向けて動き出したのも、100票を超えるリクエストが寄せられたことがきっかけでした。
非常に優れた内容であるにも関わらず、出版元であった正林書院が2度も倒産してしまったことから、出版の継続が困難になっていた同書。集まったコメントからは、『親切な物理』への深い思い入れが感じられます。
単に大学受験に役立つ“技術”としての知識ではなく、物理という学問に興味を持ち、面白いと思わせてくれる内容だからこそ、親から子へ、教師から生徒へ、ときには兄姉から弟妹へと手渡されてきたのでしょう。毎年春になると、良書を求める受験生が新たな読者となり、現在までに16刷を重ねています。
京都発!『親切な物理』復刊こぼれ話
ところで、『親切な物理』の復刊には、ちょっとした苦労譚があります。
同書が復刊されたのは、復刊ドットコムが創業してから3年がたった頃でした。まだ若い事業であったために、ある困りごとが発生したのです。
それは、『親切な物理』の復刊交渉が無事成立し、印刷まで問題なく終えた後のことでした。
同書の著者、渡辺久夫氏は、京都学芸大学(現・京都教育大学)で教鞭を取った人物です。そして、出版元の正林書院は京都に存在した出版社で、本を印刷したのも京都の印刷会社でした。つまり、同書は京都で生まれ、京都で印刷、出版された本。復刊時の印刷も、当時印刷に使用された版が保管されていたことから、その印刷会社で行われました。
かたや、復刊ドットコムは東京に社を構える会社であり、書籍を保管する倉庫も東京にあります。仕上がった本を京都から東京に運ばなければなりません。そこで発生したのが、どうやって本を運ぶのか、という問題です。
もちろん、どんな本の出版でも、印刷された本を運搬する工程は発生します。ですが、地元密着の印刷社と、駆け出し出版社の復刊ドットコムには、どちらにも本を運ぶ仕組みがなかったのです。
分厚い上下2巻組となれば、ダンボールでは収まりきらず、パレット単位の物量になります。結局、復刊ドットコムの当時の親会社にあたる日本出版販売株式会社(日販)のグループ会社のつてからトラックを手配して一件落着となりましたが、復刊ドットコム創業初期の懐かしくも苦い思い出として、当時関わった社員の脳裏に記憶されています。
知る人ぞ知る名著として
さて、すでにご紹介したように、『親切な物理』は大学受験生や、そこに関わる教師や親からの復刊リクエストが多く集まって復刊されました。
ですが、実は少なくない数のリクエストが、物理を学び直したい社会人からも寄せられていました。復刊当時、書店へ営業に回っていた社員は、専門書担当の書店員が同書の存在を知っていたことに驚き、感銘を受けたと言います。
同書は受験参考書にとどまらず、物理の基礎を網羅する「物理のバイブル」としての地位を確立していたのです。
同書の著者、渡辺氏はすでに他界されていますが、その出版から半世紀以上も愛読され続けることになるとは、当時想像していたでしょうか。
名著は時に、何十年、何百年と時代を超えて受け継がれていきます。
しかし、どれだけ優れた本であっても、多くの本がその存在に気づかれず、知らず知らずのうちに消えていくものです。次の世代へ繋がっていくのは、星の数ほどある書籍のうち、ごく一握り。そして今、『親切な物理』はそのごく一握りの本にその名を連ねようとしています。
『親切な物理』はこれからも長い旅路を辿ることでしょう。その行き先は、もはや私たちが見届けることが叶わないほど、先の未来にあるかもしれません。
■取材・文
Akari Miyama
元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/