わかりやすい!の差異
「わかりやすい、読みやすい」は主観的な感覚で、万人に共通するものではないということに最近になって気がついた。
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たとえば、あなたの趣味は漫画を描くことだったとする。もっと画力を向上させたいと考えたあなたは、本屋に行って適当な解説書を選ぶことにした。
パラパラとページを繰って紙面を見た段階で、スッと頭に内容が入る本と、理解するのに時間がかかる本がある。どちらも入門書として評価は高い。説明されている対象もまた同じく人体のデッサン技法について。なのに文面を情報としてインプットするまでの速度が全く違う。
ひとまず両方を買ってみたけれど、一冊は本棚にしまい込まれたまま埃を被っている…どうしてこうなったのか?
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何かの技術を習得しようとするとき、万人にとってわかりやすい本というのはおそらく存在しない。なぜなら、未知のモノを認識するアプローチは人によって異なるから。
先にあげた入門書の例で言えば、ヒトを描くにあたって「人体の構造を把握していないと描けない!筋肉の構造を知りたい」という人もいれば、「構造なんて頭に入らないよ!手っ取り早く模写できる様なポーズ集をください」という人もいる。
もちろんこれはどちらが優れているかという話じゃない。情報をどういう点から捉えるかという特性と、その差異の話だ。
視覚から情報を把握する人。「なぜそうなるのか?」という理論から捉える人。情報のインプットの方法が全く異なるから、わかりやすいと判断する基準は個々人で違う。
この事実を、私はこれまで明確には意識してこなかった。その所為で、買ってはみたものの手付かずのままにしている本がいくつもある。ごく最近までその事に妙な罪悪感を抱いていたんだけど、これは単なる適性の問題だったのだ。
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このシンプルな事実に思い至ったきっかけは、先輩から教わった野口晴哉氏による体癖という概念だ。
体癖 -Wikipediaより引用
体癖(たいへき)とは、野口整体の創始者である野口晴哉がまとめ上げた、人間の感受性の癖を表す概念。
身体の重心の偏り・腰椎のゆがみと個人の生理的・心理的感受性(体質、体型、性格、行動規範、価値観など)が相互に作用していることを野口は診療から見出し、その傾向を12種類(10+2種類)に分類した。
人間の骨格特性と行動特性は重なっていて、明らかに数種類に分類できること。その人が置かれている環境によって、この行動特性は変化していくこと。
世界を捉える方法論は身体と繋がっていて、その人が生きてきた歴史によって培われていくのだ。
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情報リテラシーにまつわる悲喜交々は、その人がもつ身体と感性に密接に結びついている。これは情報のインプットに限定される話ではない。アウトプットについてもそうなんだ。
アウトプットの特性については、また別項で書こうと思う(実はこのアウトプットの方が本題だったりする)。
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