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ジョン・レノンが優しい口調で唄うこの曲を私はずいぶん長い事、嫌いだったように思う

35度を越える猛暑らしい猛暑が続く
仕事は忙しい。クーラー無しに成り立たないけど、みんながクーラーをガンガンにつければ、ますます暑くなっていく

私が、自分が、何に繋がっているのか

私は海辺に住んでいる

温暖化で海面上昇が進めば、ここも住めなくなるのだろうか


火力発電を少なくして、原子力発電も含めたクリーンなエネルギーをとの呼びかけが最近は、多く聞こえてきて辟易する。その原子力発電が、どれぐらいお金になるのか予想もつかないけど、どれだけの人が辛い思いをしたかなんてもっと計り知れないのに、まだそんなことをと憤る

次は、福島原発の汚染水が海洋放出される(されないで欲しい)

以下引用
トリチウムは放出基準を大きく上回らない限り、環境や人体に影響は及ぼさない。海洋放出は現在、世界中の原発で行われている。

 国際原子力機関(IAEA)や日本の原子力規制委員会も認めている処分方法で、海洋放出の決定は妥当な判断である。
(21.4月読売新聞より)


それが妥当な判断だとして、それもまた福島に?

東京電力で起こった事故なのに?その電力を必要として、使ったのは誰だ。

私は、もう、そんなに電気を使うのをやめたらいいと思う。
原発全部とまって供給が追いつかなくなると言われたあの年の夏だって、過ぎてしまえば全く問題なかったのだから。

私が毎年、海の恵みをもらいに行くあの海に、汚染水が、いや、もしかしたらすでに知らないだけで、放出されているのかもしれないけど

これから放出されるとしたら、体の一部分を切り取られたような悲しみとともに、私は海に行くのをやめると思う。


沖縄の映画監督、三上智恵さんが山形に来た時も、この海がもしも沖縄と同じように埋め立てられ、戦争に向かう場所になったら、どんなに辛いだろうと涙が止まらなくなった。


私の良く行く海は、数年前、海水浴場としての運営をやめた。

元々、砂浜のゴミは多かったが、海の中までゴミが漂うようになった。

異国から流れてくるゴミも多いけれど、少し前の賞味期限の食べ物の袋も多い。近くの誰かが捨てたゴミだ。

想像する

温暖化、気候変動、海面上昇によって、住む場所を追われることを

想像する

毎日恵みを与えてくれる海に汚染水が流された時のことを

想像する

ぼんやり夕陽を眺めた海が埋め立てられ、そこから戦争が始まることを

想像する

私が捨てたゴミの行き先が、私が泳ぐ海であることを


私の大好きなミュージシャンは

「人間は想像力を持っている、それを使ってみよう」と呼びかける


自分にされたら、とても嫌なこと

それは私の日々から生まれてくること


自己満足かもしれないけれど、なるべく公共交通を使う
自己満足かもしれないけれど、ゴミを拾う
自己満足かもしれないけれど、悲しみに寄り添う


そういう人が増えたら世界は変わると信じたくて

想像できないものは実現できないから。

想像しよう。少しずつ変わっていく世界を。

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