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嘘つきは泥棒のはじまり。EQが伴わない輝かしい経歴や学歴は、ただの危険な武器。魔物には気をつけて。

バチって本当に当たる。

どうやら私は1番最初に人の本質、心の奥底を見るらしい。
だから鎧を着ている人を見ると、鎧の部分なんてどうだっていいし、鎧を大切にしている人の劣等感やコンプレックスを不思議に思ってしまうのだ。
演じている事が辛そうにしか見えないから、早く脱いでしまえば楽なのにと。
内側の不完全さに宿る美しさに魅力や愛しさを感じるから。

かつて友達に言われた事がある。
「フキさん、気づいてる?フキさんが、見放した人は軒並み落ちぶれたり、センスなくなるの…。全然ダメになるじゃん。ある意味、人を見る目めちゃくちゃあるって事だよ。〇〇さん(私が神様だと思ってる人)からも、『フキちゃんと付き合ってる時のアイツが好きだった』っていわれたでしょ?〇〇さん言ってたよ。△さん□さんも『フキちゃん絶対ブレないからカッコイイんだ』って。あれだけのレジェンド達にそう言われたり相談されるって凄いことだよ。だから、フキさんに一生可愛がって貰えるように頑張ってる。 フキさんが太鼓判押した人、全員上手くいってるじゃん。笑 だからヤバいって思ったら軌道修正してね。」
と。

そんな見る目があるはずの私だが、また映画が一本書けるんじゃないかと思うような、とんでもない事件が自分の身に降り注いだ。
前回、脚本を書いた時は自分の身に起きた事ではないし、社会的テーマが題材だった為、こんなしょーもないし心が動くことでもないような事は私の題材にする価値もないのだけど、とにかくこんな化け物が世の中にいるのか!と驚きを隠せないような恐ろしい生き物に出会ってしまった。
時空が歪んで、普段なら巡り合う訳のないレベルの違う出会ってはいけない見てはいけないものを見てしまった感じ?
きっと歌詞にしたらこの一年で5曲くらいにはなるかな?
いや、やっぱ歌詞にする程の価値もないか。笑

事の始まりは、色んな人がいる中で、こんなにも人を陥れたり嘘をついたりする事ができる人が居るのかと思うような事が仕事で起きて、トラウマになってしまって心身共に弱ってしまった。

結果、確かにその友人が言ったように、バチが当たったのか、何なのか、私とは関係のないところで、その人には社会的制裁が下されてしまい、見えなくなったのだけど、だからといって私の傷がすぐに癒えるわけではなく。。。
でも確かに友人が言うように、こういう不思議な事が起きたのは初めてではない。。。

神様がみてるのかな?

魔物の性質

とはいえ、そうやって人が本当に弱まっているところに、本当の魔物ってものはスッと隙間を見つけて入ってくるもので…。
弱まっている時だからこそ、そういうものを引き寄せてしまったのだろう。もしかしたら変われるかもしれないと思って近づいてきたのかもしれないが、あまりにも心が弱すぎたのかもしれない。
人の良心を最大限に利用して、欺いて、心の中ではほくそ笑んだりするのが怪物で。
なんならそこには悪気もなく、自分が正しい事、それらしい理由をつけて仕方ない事をしたとさえ思っているのかもしれない。
だからまともに謝ることすらできないのだろう。
そうなってくると、自分にさえ嘘をついているのだから、目も当てられないし、自分の身体はどんどんと蝕まれて堕ちていくだけなのに…。
あまりにも今まで無縁だった魔物というものに出会ってしまったものだから、ちょっと自分の理解できる常識や良心レベルを超えすぎていて、情報処理能力が追いつかないし、良心の呵責や自責の念すら持たず、それでいいと思っているのなら、本当に心からお気の毒で仕方がない。
まぁ、そうとしか思えない行動しかとっていないから、きっと一生繰り返すのだろうし、本人も周りにいる人もお気の毒なのだけど。

何故なら、お金がなくなるとか、仕事が上手くいかないとか、自分の弱いところ、もしかするとかけがえのない人の元に、何かしらのお知らせがきてしまう事になるだろうから、その時になって、やっと後悔するような事にならない事を祈るばかりだが、そうなっても自分自身に降り注がなければ、笑っていられるようなバケモノなのかもしれない。
どちらにせよ、このままでは幸せにはなれない事は確かだ。

上手くできているようでも、必ずボロがでてくるわけで、見せかけでは人の信用を得られる事は決して出来ないから、何をしても決してうまくいかなくなるのは、スピリチュアルな事を言ってるわけではなく、ごく当たり前で、理にかなった話だと思う。

嘘つきは泥棒の始まりとはよくいったもので、嘘をついたまま謝ることもなく、まさに物も返せない泥棒。
どういう育てられ方をしたのかとそんな他人のご両親を否定するような事は正直言いたくないが、もう良い年した大人だが、社会的にある程度の経験を積んで繋がりがあるこちらにしてみると、下手にご家族を知っている手前、再教育でもしてもらった方が良いのでは?社会的制裁を下すのは簡単なのだから、その方が良いのでは?と、むしろ友人の怒りが収まらず、自分がそこまでする程の価値がある者なのかと言われると、ないに等しいが、さすがに、あまりに無礼で無神経、無配慮、利己主義だが、本人には理解する能力がないであろうろころから、きちんと伝えねばという意見も多く悩みどころではある。笑
実際に言われたり、された過去があったと言っていた理由が、今となってはよくわかる。
思い返せば、武勇伝のように面白おかしく語っていた事に対し、「それは実はあなたにも問題があったんじゃなくて?」と私が問うた時に、全否定をした言い草と、後に実際に私が実感した事を踏まえると、原因を作った加害者が被害者ぶる際の典型的な例であって、反省することもなく、今までこうして解釈して自分に向き合う事なく生きてきたのだろうなと思うと、自ら神だけでなくご両親やご家族、ご先祖にまで唾を吐くような行為を平気でやっているのだから致命的だ。心から反省している者は2度も3度も繰り返さないし、武勇伝にはしないという私の信念は残念ながら当たっていたのだ。

最近、仲間内でも、そんな魔物が潜んでいることが発覚した。
同じように、嘘をつき、平気で人を利用し、その上利用していると堂々と言い放ち、怒りに任せて人を売ろうとし、なんなら人の金品を勝手に使う、まさに泥棒だ。

被害にあった友人が自分の事を「キャバ嬢と本気で恋愛してる気にさせられたオジサンと一緒よね、きっと」
と例えた。それに対し、
「なんなら東南アジアあたりでスキミングされて気付いてなくて、カード会社から、最近タイ行かれました?って言われるやつねw で、それに対して、まだ、その女にどういうつもりでスキミングしたん?
って聞こうとしてるよね。笑 そんな根っからの詐欺師が本当のこと言うわけないよね。。。」
と私は言った。

そういう類の魔物はどうやら反省というものを知らないどころか自責はフリで、本当に自責の念がないから繰り返すしエスカレートする。
テヘペロとばかりにワザとなのか実は正真正銘のアホなのか(賢い悪魔はツメが甘くないでしょうから、こんなダサいことはしないでしょうよ。笑)、後先考えずに、平気で人を傷つける行為や人を馬鹿にする行為をやってのけるのだ。

最初から騙そうとしたり、嘘で固められたような化け物に対して、真っ向から、本当の事を教えて欲しい、誠意ある態度をせめてして欲しいとまともな事を言っても、自己中心的な考えしか持っていないものだから、言語が違いすぎて通じないところまできっといってしまっているんだとおもう。

人に何をされても責任がとれるからしているのだろうか?そういうモノに限って、被害者が藁をも掴む思いで仕方なく最後の手段としてとった行動に対し、面白おかしくネタにしたり、被害者ぶりがちな事が不思議でたまらない。そしてデジャヴかのように一生繰り返すのだろうな。
だから怖いし、魔物なのだ。

そういう嘘をつくものは、本当の自分に自信がなくて、コンプレックスをもっているから、なんなら親にまでそんな嘘の姿を見せて、嘘で嘘を塗り固めてしまうみたいだ。

もちろん、人である限り、嘘をつかなくてはならない時だってあるだろうし、相手の為を思ってつく嘘だって存在するし、嘘全てが悪いわけではないと思う。
ただ、そこに対する誠意が結果としてどう伝わるのかというところが大事であって。途中どんな思いだったか、本当も嘘も全てが欺きになる程の大嘘で塗り固めて、人の良心を利用するだけ利用して騙して笑ってるような者は人間ではなくなってしまうのだ。

そしてそういうナニモノかは、嘘をつくことに慣れすぎて、嘘をついている事すら、なんの後ろめたさも悪気もなく息を吐くようにつけるのかもしれない。ナニモノかは、さぞ気を遣えるかのように偽って自分の為の嘘を平気でつくのだ。
存在自体も嘘に等しいくらい霞んでしまっているだろうから、本人も本当は苦しいんじゃないかな。

絶対についてはいけない嘘

先日、私の大切な友人が突然亡くなってしまった。

ちょっと風邪をひいて体調を崩して、4、5日経った頃の夕食時に、突然、胸痛がして、腕が動きにくくなり、そのまま容態が悪くなって、救急搬送されたが、何が何だかわからないまま亡くなってしまい、後の解剖で肺の他に異常がなく、肺炎が原因ということだった。

素敵なミュージシャンであり、僧侶にもなった素晴らしい人だった。
きっと、人々の業を背負ったんだなと思う。


少し前にそんなナニモノかがついた嘘は、正にそんな病気の嘘も含まれていた。そして人の命に関わる仕事をする者だった。
本気で心配して嘘だと知った後に、友人が同じような症状で亡くなった時には、本当に辛くて辛くて仕方がなかった。

そんな酷い嘘をついて人を心配させて欺く心ない者、そして、本当に胸を痛めて亡くなってしまった友人。。。そんな友人の事を思うと、仮にもそんな仕事をしてきた者が、命について語ってきた人間が、人の命を弄ぶような欺き方を、それだけでなく、複数回に渡ってできること、そのことの重大性を理解していないほどの馬鹿ではないはずなだけに、私には恐ろしくて倫理的に理解ができず、苦しくなってしまった。
なぜならそのナニモノかが過去に他の人についていたという嘘の方がよっぽどマシだからだ。
この嘘のタチの悪さを理解せずに、それを嘘ではないと言っていた大嘘こそが人ではないものがすることだから。
きっとそういうモノは実際にそういう病気で自分が本当に命を失うとか大切な方を失うことになった時にやっと気づくのか気づかないのか、、、という程、浅はかなんだと思う。
しょっ中、ご家族も嘘でお亡くなりになったことになっていて、親何人いるんだよ!?みたいなタイプなんじゃないかな・・・。汗
本当に活字にすると、ロクデモナイ生き物だな。

EQが伴わない輝かしい経歴や学歴は、勘違いを生み出し、危険な武器になる

そもそも人に対して100%誠実じゃない以前に、まともな人間として最低限のマナーもなっていない。
以前、プライドだけ高いできると思いこんでいる人間が扱いにくい話も書いたと思うが、それと同じように、輝かしい経歴や学歴は、EQが伴ってないと、大きな勘違いを生みだし、本当に危険な武器になってしまうのだ。
本当に賢い悪魔はスマートに人を騙すから、騙された事すら気づかずにいられる。それが心遣いというものだ。
それがないと、本当は、この人仕事もツメ甘いんだろうな〜、1人では結局まともに仕事もできんだろうな〜と思う。

優しいふりをして、自分自身を省みることなく、心の中ではアリ、ナシ人をジャッジしては切り捨てていく。
その矛先を自分に向けなければ、一生その答えが見えることはないのに。
そのまま歳を重ねてしまうと、稚拙で深みのない軽いただの老いた生き物が出来上がってしまう。
上部だけで知った気になって、本当に本質を咀嚼して理解して吸収したわけではないから、成長がないからだ。

きっと本当に悪いと思っていないから、とるにたたらないようなことでは「ゴメン」がいえても、本当に謝らなくてはならないような事をした時には「ゴメン」の一言も「大丈夫?」の一言も言わずに笑ってただ、「よくあることだ」と言えてしまうのだ。
人が命を失うかどうかの選択をしていようが自分が人に今後どんなリスクを背負わせるような事をしたか、人の命を奪う立場になろうが、自分が仕事で関わっていて阻止しなくてはいけない立場だったにも関わらず、正に諸悪の根源だった事など責任もとる由もなく、おかまいなしだ。

多分、そういうどうしようもないことをするような化け物には本当のマトモな友達がいないのだろう。
「それはどうかと思うよ」とか「未だにそんな事やってんの?」とか、ちゃんとマトモな事を言ってくれる人もいないどころか、学生ノリの間違った調子に乗った遅咲きの人みたいな人の集まりでウェイウェイワイワイやってる上部だけの集まりっていうんですかね?
甘やかされて育ったのか、単にちゃんと親の言うことすらまともに聞こうとしなかったのか、ひとりの大人として、そもそも人間としていかがなモノかと問われるようなモノでしかないものに成り下がるほど、落ちぶれてしまったまま、年を重ねてしまったのだろう。
上部だけの挨拶やコミュニケーションしかできないようなモノなんだろうなと思う。
自分ではテンポよくコミュニケーションをしているつもりでも、空っぽの状態で入れて出してという事をしている事で吸収した気になって、何も蓄積されていないのだろうな。
ある程度若いうちはそれで通用できても歳を重ねた時に、自分に何も残っていない時に愕然としないといいが。

前職のグループトップがいつも言っていた言葉が
「責任が取れる範囲が自由の範囲」
という言葉で、とても的を得たいい言葉だなと思っている。
大人の自由には責任がつきものだということなのだ。好き勝手に人を傷つけたり貶めたり騙したりして相手に選ぶ権利さえ与えないような自分勝手な権利は通用しない。
責任が取れないのであればしてはいけないのだ。

誠意をもって謝るってそんなに難しいことかね?

せめて、心ある言葉と誠意が伝わればそれでいいことなのに。
そこにはとてつもない量の嘘しか存在しないから、あまりにも嘘が多すぎて説明できないのかもしれないし、そうする事すら面倒なだけなのかもしれないが、せめてそれを説明する真摯な態度を取るのが私が知る人間というもの、それが誠意というものだとおもう。そして、ちゃんとごめんなさいが言えること。

人と向き合う度胸もないから、もちろん本当は自分にも自信がないのだろう。
本当に心の奥底で誰も信用していないから信用される事もない。
事実、本人が友人と思っている人からも、記憶にないと言われていたもので、それは可哀想だから言えなかったが、薄っぺらい付き合いや生き方をしてきたからこそ、こういったマイナスのイメージくらいしか人に残せてこなかったのではないだろうかと思う。
自信があるふりをする事で疲弊していくのだろうな…。

どうすればそんな事ができるのだろうって、人として、1番してはならない欺き方だと思うけど、きっといつのまにか人ではなくなってしまっていたんだろうな…。

そこに良心がなくなってしまえば、ソシオパスのモンスターだ。もしかすると生まれ持ってのサイコパスだったのかもしれないが、実際にサイコパスはそうそういるものではないとおもうから。。。


私は性善説を信じているから、どうしてそんな鎧を着てしまったのだろう?と思ってしまう。
素朴な光が美しいこと心の奥底では知ってる人間だったはずなのに。
普通でいれたらよかったのに。
普通の人には普通の人の美しさがあるのだから。
こんな姿になってしまうくらいなら、頑張らなくてよかったのに。

すべての出会いに意味はある

私は、全ての出会いには意味があると思う人間なので、自分の役目を常に意識したりはする。

だからこそ、私が出会った人には、本当に困った時にならないと気づかないというようなことにはならないようには願ってるのだけど…
私のエゴなのかもしれないが、悲しいかな、その言葉は届かず、堕ちて朽ちていく人もいらっしゃる。

だからこそ、言いたい。
できたら自分を正当化してまで人を傷つけるのは、私を最後にしてほしい。自己欺瞞にしかならないし自分を蝕むだけだよ、と。

自分が変わらないと自分を一生蝕んでいくことに気付かずに堕ちて朽ちていってしまうのだ。
言葉が光が届かなかった、可哀想な怪物なのかもしれない。

とんでもない欺き方をしても、諭してくれる人がいるのなら、言われているうちが華。
何か気づきになればいいけれど、何の気づきにもならないような人は残念ながら、きっと堕ちていくだけだ。
誰からも労力を使うほどでもないと思われてしまえば、本当におしまいだ。


私は生身の人間だから、騙されてたとしても、絶対に騙して人を傷つけるような不誠実な人にはなりたくない。

私にとっては、そういうモンスターが世の中にいると教えてくれたナニモノかという事で、勉強になったからそれでいい。そして嘘偽りなく自然体でいる事。そういう時間だった。そうやって人として成長していければいい。

それから、素敵な韓国の俳優さんの存在を教えてくれたことには感謝。笑
友達も最初バカにしていた癖に、見たらハマって、
「この人と結婚してよ。笑」と言ってきた。笑
「冗談も程々にしてよ。いくら何でも、韓国人俳優と、どうやって知り合うのよ?」
「いや、いけんじゃない?」
と冗談言っていたら、案外近場にいて、
「コロナじゃなければ会うのは不可能でもないね。笑」
となった。笑
会いたい人には会えたり、何故だか知らんが惹きつけられる不思議な力だけはあるので、会える事を信じておこう。笑


話は最初に戻るが、確かに例えば人とお付き合いする時においては、私も自分の役目をわかって人と付き合ってきた気がする。だからその人との付き合いの中で自分が必要だと思う部分やキッカケを与えて手放す、の繰り返しをしてきた。

手放されたほうは、その時はワケがわからないらしいが、それはポジティブな意味で理由があってのリリースなので、その私が残した役目の理由の意味がわかった時に「ありがとう」という連絡をくれた時は嬉しい。
勿論、良い別ればかりでもなく、見るに見かねて去らなければならなかった時もある。それもそういう役目だと思って思いを伝えるようにしている。それは僅かながらも、いつかわかる時が来るという期待があるからだ。
すると「やっと言ってる意味がわかった、言ってくれて有難う」と必ず連絡がくる。
何故なら言っても通じないとわかっている相手には言わないからだ。
時間をかける価値があるという希望が見える相手にだけ時間をかけるのだ。
仕事でも同じ事。

そして新しいポジティブなステップに上がる為のリレーションシップが必要なら始まるのだ。それは対、人として。
そういう相手には、道を外れているなと思った時も、深く関わった人だからこそ、違うんじゃない?と声をかけるようにしている。
すると、必ず、目が覚めたと言われる。
勿論、私も常に正しいわけもないし、道を外した時や見失った時や不安な時には誰かに導いてほしいから。

素晴らしい巡り合わせ

とはいえ、嫌な出来事や悲しい別ればかりだけでもなくて、素晴らしい出会いや、再会、再会の予感もあって。

丁度そんな頃の、友人のお店の周年パーティーで2人の素敵な出会いがあった。

1人は同世代の女優さんのマネジメント事務所を経営しているひと。
なんと、彼女はこの3月にフキという女性に出会ったのが2回目だという。

しかも彼女の会社の看板女優さんの妹さんを私はたまたま知っていて、その関係でお姉さんのその女優さんにもお会いした事があり、なんと彼女は私が脚本を書いた映画を知っていてくれていたのだ。

同世代と言う事からお互い独身という話題になり、彼女はもう恋愛は疲れたと言った。
振り回される事が嫌だし、うまくいかなかった時に時間の無駄になると。
勿論それもわかるし、例えば恋愛であっても友情であっても、人としての最低限の礼儀を守れない人は同じだし、どんな出会いにだって起こり得る。どんな最低な結果になろうが、全ての出会いには、プライベートも仕事も意味がある、失敗は学びになるから、無駄な時間にはなってないよ、あなたと出会った事も必然だから意味がある、だってさっきあなたが言った事でしょ?じゃあ失敗だって同じじゃない?と私は彼女に異論を唱えた。

すると彼女から「フキちゃん女優業はしてないの?」と聞かれたので「してないよ、でも来年公開の〇〇さんの映画にちょっと出たんだ〜笑」
と言ったら、
「やっぱりね…。セリフあるって凄いよ。ピュアさと輝きが漏れ出てるから、〇〇さんが使いたくなるのわかる。よく言われるでしょ?向いてるって。やった方がいいよ。」
と言われた。プロの方に言われると嬉しい。
まさか女優さんになれるとは思わないけれど、また何か新しい道が開けるかもしれない。。。
そんな事を思っていたら、また映画に関わる仕事の依頼の相談がきた。また新たなる挑戦。ワクワクが止まらない!

もう1人は共通の知人がいる人だったのだけど、一方的に私が知っているだけだと思っていたら、まさかの先方が「あの、〇〇さんの映画に出ている方ですよね!?」と、私を認識していてくれていた。
一瞬のチョイ役なのに、よくわかったなと。笑

実は、思い返せば、丁度一年前頃に本当は出会うチャンスがあったのだけど、私のスケジュールが合わずに会えなかった。でもその時に会っていても、こういう仲の良くなり方にはなっていなかった気がする。出会うべくタイミングが今だったんだな、となんとなく思わされた感じ。
その人とは、実は同じ場所にそのまた丁度2年前も居合わせた事が発覚したり、意外な共通の知り合いがいたりして盛り上がった。

かつての誰かを彷彿させるような素晴らしい才能と、子供みたいな無邪気さがあって、柔らかいようで、ちょっと時々強引で芯の強い意志を感じさせるような人で、あの頃の私達を思い出して、なんだか不思議な気持ちになった。

多分自分と同じ空気感を持った人。
そして素直に気持ちを表現してくれる人。

すごく縁を感じる出来事が多くあって、私には色んな事をお互い経て見てきて、ある意味赦しあってこそ今がある、17~8年来の友人と、ここ2年で再会して急にまた仲良くするようになったのだが、その人と同業者だったのと彼らが家が近い事もわかっていたので是非紹介したいな、と思っていた。
そしたら、先日、なんとひょんなことから2人が知り合って私の話になったとその人から連絡がきたのだ。
是非会わせたいと私が勝手に思っていた2人が私のいないところで、ちゃんと出会って私の話をしてくれているという偶然は、必然としか思えなくて、ご縁を感じずにはいられなくて、とても嬉しくて、仲良くさせてもらっている。

最近の新たなる出会いは勿論それだけじゃなくて、もっと沢山あるけれど、そうやって断捨離と同じで、それ以上の出会いも必ずある。

会うべく人とは会うタイミングが決まっていて、会うようになっていると思うのだ。


再会の予感は、オリンピックのように4年に一回くらいの周期で双子のようにくっつく、多分、スピリチュアルな言い方で言うと、ソウルメイトの1人からお知らせがきた。

なんか知らんが、いつも相手の都合で呼び戻される感じで、相変わらず自分勝手な奴だなと思っていたけど、よくよく考えてみると、そういう時に限って私が弱っているときも多い事に気付かされた。笑

私が呼んでいて相手がキャッチしているのかもしれない。笑
勿論、相手が本当に辛い時に突然呼び出される事もある。でもよくよく考えてみるとどちらが先に連絡したのか覚えていない。私が察知して連絡したのかもしれない。

輝かしい仕事をする人なのだが、そんな人にも光と影の側面がある。
私は素の時のその人の姿しか見ていないから、逆に輝かしい仕事している時は辛そうに見えてしまう時が多い。無理をしているのがわかるからだ。
そんな人が、誰にも打ち明けられないような辛い事を吐露する相手が自分である事、その時は受け止めるにはあまりにも大きすぎてビックリしたけど、それでもそれが嬉しいと思える相手である事は確かで。

お互いありのままの姿になって、しょーもない話をしたり、真面目な話をしたり、泣きじゃくったり、大笑いしたり、喧嘩したり、夫婦漫才のように罵りあったり、ワガママ言ったり、ただ側にいたり、実際に家族とも仲良いから本当の家族のようだけど、でも相変わらず私よりぶっ飛んでるから理解できない謎な事も多い。だから一緒にいて楽しいのだけど。

何かをキッカケに数年ぶりでも、いつも何事もなく昨日まで毎日四六時中一緒にいたかのように、また戻っていくから、本当に「気が合う」という言葉がピッタリだと思うのだが、お互いにとっての良き理解者であって、どれだけ連絡をとっていなくても心友ってお互いに思っていると思える相手。

そうやって人生は必要な人が必要なタイミングでやってきて、癒やしてくれるようになっている。

結果、誰といるかが重要

自分に正直に、人にも誠実にいる事で、誰を選んで、誰といるかも重要で、すると自ずと歯車が良い方向に動き出して良い流れに乗っていくようになっていることに気付かされる。
ずっと長い間、自営で仕事をしてきたから、それがよくわかる。

類は友を呼ぶってよく言うけど、本当に誰と居るかで人の人生は大きく変わるし、その時の自分に相応しい人が寄って来るし、キーパーソンとして誰を選択するかは本当に大切だ。
その人が自分の行きたい場所へ連れて行ってくれるのだから。

同じ匂いのする人たちや初めて会った気のしない人、)同じようなレベルのエネルギーを持つ人に出会った時に、自分の心地いい居場所ってこういう場所なんだな、と再確認する。
ちょっと上のレベルの人に出会った時は、チャンスのお知らせであり、引き上げて貰える。そして、相乗効果でどんどんと上昇気流に乗っていけるのだ。
そうやってなんだか嘘みたいな夢物語みたいな話かもしれないけれど、不思議な力に導かれるように、ステップアップしてきた。
今、また新たなる出会いと共に、新たな流れに乗って、仕事でも調子が戻ってきたようで、色んなワクワクするお誘いを、沢山頂いているところだから、このまま突き進んでいければいいなと。

最後に。私が歌詞にしなくても、素晴らしく才能ある人達が歌詞にしてくれていた。
すっごい昔、仕事で辛い事があった時に、当時付き合ってた彼がいつもの迎えの車で黙ってクラムボンのこの曲かけてくれて、とても救われた気持ちになったから、皆さんにもシェア。
「コントラスト」

そして丁度、まさに悪魔の曲があった。
面白い歌詞書くな・・・。改めて活字で読むと、譜割りのバランス含め、やっぱすごい。
ドレスコーズの「この悪魔め」


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Fuki Ikeda
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