【観劇メモ】月組公演『今夜、ロマンス劇場で』を観る
1月15日の午後と22日のやはり午後の公演を観劇することができた。月城かなと・海乃美月のトップコンビ大劇場お披露目公演である。前回の花組公演からお披露目が続いている。今回は年始のお正月公演でもあり、おめでたい気持ちがいっそう高まる。
15日の公演では、開演前のトップスターによる「あけましておめでとうございます」から始まるアナウンスを初めて聞くことができた。調べると、年始から松の内の期間のみ聞くことができるそうだ(今回は、15日の公演が最後だったよう)。そういうことを知らなかった私は、いつものアナウンスと違っていてちょっとびっくりした。そして貴重なアナウンスを聞けたことで少し嬉しくなった。
ちなみに楽屋口にも門松が飾られていることを休憩時間の散歩中に知った(コロナ禍で間の休憩が35分に伸びたのを機に、休憩中は武庫川沿いまで散歩に出ることにしている)。散歩から帰ってくるとすでに撤去されていたので、これも15日までだったのだろう。
『今夜、ロマンス劇場で』は、以前、たまたまAmazonプライムで映画版を見ていた。映画それ自体も、宝塚で上演されるにふさわしいロマンスとファンタジーにあふれた作品であった。漫画・アニメなどの2次元作品や映画原作の舞台化で定評のある小柳奈穂子の脚本・演出であることも安心材料であったので発表時から期待していた。
結果は期待に違わず、どころか期待以上の舞台に仕上がっていた。今回は舞台の感想に交えて、映像作品を舞台化することの面白さについて考えてみたい。
物語は映画会社で助監督として働く青年・牧野健司と古いモノクロ映画の登場人物であるお姫様・美雪とのロマンスを軸にしている。健司は映画監督になることを夢見ているのだが、仕事が終わると毎晩、映画の中の美雪に会うために「ロマンス劇場」に通っている。ある日、その映画フィルムが売りに出されると聞いて健司はショックを受ける。映画の中の美雪を見つめながら、ずっと彼女といたいと強く願う健司。突然雷鳴が響き渡り、あたりが闇に包まれる。健司が起き上がると、側には映画から抜け出した美雪がいた…。
このように原作の物語自体、映画という2次元世界と健司らが生きる劇中世界を行き来する内容になっている。それを舞台という3次元の世界に(宝塚歌劇の様々なルールに合致する仕方で)移し替えることが、今回の舞台化における主要なチャレンジであったと思われる。
映画という2次元世界と劇中世界をつなぐために、原作映画も今回の舞台も、それぞれに工夫がしてある。原作においては、そもそもが映画作品なので、劇中映画の世界と健司らの生きる劇中世界との違いをどうやって際立たせるかが課題となる。原作では映画の中から美雪がモノクロームのまま登場するという仕掛けがある(途中からカラーに変わるが)。これが結構効果を発揮していて、異次元の世界から来た人物との遭遇という現実にはありえない状況を印象的に描いている。
基本的には宝塚版もこれを踏襲している。美雪をはじめ、映画の登場人物たちはすべてモノトーンの衣装を身につけている。映画の世界から美雪が抜け出す場面もモノトーンのドレス姿である。さすがに顔までモノクロにするわけにはいかず、その点は劇中世界の人間と同じである。だが、今回の舞台を観て、映画の世界と劇中世界とを行き来するという設定において、舞台ならではの強みが生かされていると感じた。
例えばプロローグでは、舞台上のスクリーンにモノクロ映画が映し出されているが、舞踏会がはじまろうとするシーンにおいて途中からスクリーン上の人物と舞台上の本物の役者がオーバーラップし、3次元の世界へと切り替わるという見事な仕掛けがなされている。おそらく半透明のスクリーンで舞台を仕切り、奥にあらかじめ生徒らがポジションを決めて待機しているのだと思う。照明を操作することで、映像からバックに控える本物の役者たちに情景が切り替わるという仕組みなのだろう。
こうした仕掛けのおかげで、舞台を観るわれわれは、途中からまるで映画の世界に入り込んだような感覚になる。3次元の、生の舞台でこそ味わえる不思議な感覚である。これだけでも驚きなのだが、ラストの場面では同様の仕掛けを用いながら、さらに観るものを喜ばせる仕掛けがある(こちらはぜひ実際に見てもらいたい)。
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では舞台の全体的な感想とキャストについて記そう。舞台は、最初おおむねコメディタッチで進む。映画の世界から抜け出した美雪が、健司の働く映画スタジオで大騒動を巻き起こす。こうしたドタバタ喜劇は小柳先生の得意分野と見え、私の印象では、紅ゆずると綺咲愛里の退団公演『God of Star』を思わせるところがある。
一方、中盤以降は美雪が映画の世界を抜け出した理由やその代償をめぐる秘密が明らかにされ、物語はややシリアスな雰囲気を帯びる。その後、健司と美雪の大きな決断が描かれ、ラストは悲しくも美しい結末となる。お正月に見た1度目の観劇では、劇場中がすすり泣きの状態だった(私も例外ではない)。2度目の時はリピーターも増え、そこまで泣いている人はいなかったと思う(それでも隣の人は号泣していた)。
笑わせられる部分と泣かせられる部分が絶妙の塩梅で、原作のよさもあるが、小柳先生の演出の手腕は評価されるべきだと思う。
つづいてキャストについて。今回が大劇場トップお披露目となった健司役の月城かなとは、もともとお芝居に定評がある。健司はトップスターが演じるには地味な役で、月城は見た目も動きも、あえてスターオーラを抑えた演技に徹していたように思う。それでも立っているだけで美しいので、宝塚版では晩年の牧野を看護する看護師役に「牧野さんかっこいい」と言わせざるをえなかったのだろう(オーラ全開の月城さんとして『ダルレークの恋』のラッチマン役を挙げておきたい)。真面目な印象のあるスターなので、健司役はハマっていた。けれども私は月城さんのコミカルな部分も好きである。今回は大蛇丸(暁千星)とのやり取りなどで存分に楽しませてもらった。
美雪役の海乃美月は、同じく芝居がうまく、これまでにもいろんな役で力量を発揮してきた。月城との芝居も、すでに何度も組んできているので安心感があった。今回は大劇場でのヒロイン役ということで、多くの観客を魅了する華やかさが期待されるところだ。私が見た限り、抜群の頭身バランスでお姫様のドレスをはじめいくつもの衣装を着こなし、観客の目をさらっていた。また、劇中の歌唱もよかった。技術的に特別に優れているわけではないと思うけれども、役の心を歌に乗せて自然に聴かせることができていた。これは月城にも同じことが言えると思う。ミュージカルにおいてはとても大切な要素である。
”ハンサムガイ”こと俊藤龍之介を演じる鳳月杏には、登場するたびに笑わされた。特に面白かったのが、ダイナマイト事件で死にかけた後の復帰の記者会見で相手役(?)の白雪さち花演じる大女優とともに歌舞伎の連獅子の姿で登場する場面である。もうこれは出落ちでしかないのだが、無駄に派手な衣装と真面目なのかふざけているのかわからない記者とのやり取りが面白くて仕方なかった。
大蛇丸の暁千星にも笑わされた。このキャラクターは宝塚版オリジナルである(映画では劇中映画に作り物の大蛇が登場するだけ)。これは完全に『エリザベート』のトート閣下のパロディである。健司の部屋に現れた際に歌う曲も、「最後に美雪と踊るのは俺だ」みたいな歌詞があったと思う。礼華はると天紫珠李が演じる手下の二人もまるで黒天使のよう。タンゴを踊ったりと見せ場が多い役だ。
健司に恋心を抱く社長令嬢役の彩みちるもやっぱり上手い。雪組時代は『fff』でのモーツァルト役や最近では『シティ・ハンター』での令嬢は令嬢でも全然違う男を翻弄する役を演じていた。振れ幅が大きい役を自在に演じ分ける才能に改めて気づかされた。
健司の同僚で助監督役の風間柚乃もよかった。風間は以前轟悠主演の『チェ・ゲバラ』の時に、休演の月城に代わってゲバラの盟友カストロ役を演じていて、代演であることや年次を感じさせない堂々たる演技が印象に残っている。今回も健司の親友かつライバルという微妙な間柄をよく表現していたと思う。
今作は、もともと宝塚ファンの人もそうでない人も文句なしに楽しめる作品になっていると思う。どちらも良作なので映画版と見比べてみるのも楽しいのではないかと思う。