小説家になりたいなら、とにかく気合いっす
最初に、記事タイトルの答えを書く。
小説家になりたければ、とにかく、書くこと。
そして一番大事なのが〝書ききる〟こと。
これが小説家になれる唯一の方法であり、誰にでもできる方法。
小説を書きたいな、と書き始める人はいても、最後まで書ききれる人は一握りで、それ全て〝気合い〟である。
小説家に必要なのは、ストーリーの発想だけ。
書き方や物語の構成なんて、100年前からお手本が腐るほど出ている。
さらに言えば、発想のタネも、お手本がある。
似たような内容であろうが、そこまで盗作扱いされないのも小説の面白いところ。
極端な話、登場人物の性別と名前の変更、舞台場所の変更、そして構成さえ変えれば、既存の小説をマルっとパクっても、よっぽど有名な小説でない限りバレることはない。
登場人物に方言など使わせると、ほぼほぼバレないだろうし、似ていると誰かが気づいても、大事になるほど本が売れるわけもなく、労力や時間を費やすことを考えると誰の特にもならない。
紙媒体の購買減少、小説離れ、サブスク配信動画の充実、が拍車をかける。
売れていないので単純に、その小説を〝知っている人〟の絶対数が少ない。
なので人物名や場所や構成やオチなどが違えば、パクったと判定しずらい。
探偵が主人公の小説は多種多様に出ているが、探偵を便利屋に変えるだけでもだいぶ印象が違う。
トリックにしても、鋭利な氷を使って刺殺して溶ける、小銭を袋に入れて撲殺して小銭は買い物で使う、など、ババがちびるほど使われているジャンルもある。
トリック本体の主軸にはならなくとも、殺人方法の〝謎とき感〟の満足度がまぁまぁあるからだ。
なので、例えば『鋭利な氷で刺殺してから溶かす』なら『炊いたお米を鋭利な刃物のようにして乾かして刺殺したあとに米を食べる』など、似通って全然よいので、そこを変えるだけで、パクリではなくオリジナルになる。
じゃあなぜ、簡単な氷ではなく米にしたのか。
氷で刺したあと、シンクで溶かして流すと水道管に血液の成分が残る可能性がある。米は食べれば何も残らない。など。
氷を食べる(飲む)という選択もあるが、凶器にした米を食べるというほうが狂気じみて犯人像に深みが出る。
日本人は特に、マネしてはいけないとの文化を重んじる。
違う。マネしてもいい。
自分がいいと思ったものは全然マネしていい。
そこに少しでも自分のオリジナルを加えれば、また違ったモノになる。
たこ焼きも数多くの店舗があるが、すべてで味が違うように。
万万が一、盗作だと騒がれたとする。
が、炎上商法しかり、それはお金をかけない強大な広告になる。
本当に似ているのか? と、買ってくれる人が一定数はいるからだ。
で、盗作疑惑に関しては、自分で考えたと言い張ってもいいし、パクった作品の作者を大尊敬しているとか、なんにせよ、その弁明を聞いている人はいない。
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