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若者が福祉を語る⑥カスハラから守ってくれた上司との別れ

こんばんは。
本日雨の中、災害ボランティア研修に出席してきた作者です。

明日も出勤。土日休みの職場とはなんでしょうか。悲しくなってきました。
今年は土日休みが消えに消えそうです。

今日は福祉の話、と言うか思い出話を語らせていただきます。とても個人的な話です。
この先は、ご理解ある方のみお読みください。

昨年3月まで私の直属の上司であった所長が今月帰らぬ人になりました。

所長との出会いは3年前。
私の職場は基本的に所長の任期は3年とされています。前任者が退職し、後任としてやってきたのが所長でした。

見た目、背が高い。ガタイがいい。声が低い。シンプル怖い。
いかにも威厳がある方でした。

上が変わると雰囲気も変わるな……とビクビクしていたのです。今だから言える話ですが(笑)

ただ、一緒にいるととても懐が深い方だと言うのが分かりました。
職員のことを考えた行動。守る行動をいつもとってくれたのを覚えています。

私の職場は誰でも出入りができるんです。関係者だけとかではなく、地域の方や支援を行っている対象者の方もひっきりなしに出入りします。

その中で、理不尽に怒鳴ったり脅迫めいたことを言う対象者の方もいたわけです。
最初は普通でも、何か気に入らないことを言われるとヒートアップしちゃうんですよね。
金銭の使い方の指摘をする、セクハラを流す、要求を金銭的理由で飲めないと言うとまあ声が大きくなる人いるんですよね。

最初は怯んでましたけど、経験と共に別に正論言ってるんだからこっちが怖気付く必要ないなと思い始めましたけど(笑)

そんな声を聞くと、真っ先に出てきてくれるのが所長でした。

「そんな怒鳴るなら帰ってもらいますよ。」
「何にそんなに怒ってるんですか?私が代わりに聞きますよ。」
「もうお昼ですよ。何食べるの?自分で作る?」

オンとオフがはっきりした人でした。
怒鳴ってる人に話を聞く。宥めて、落ち着かせて、最後には他愛のない話に持って行く。
それでもダメなら帰らせる。

コミュニケーションの取り方が一級品でした。見た目に反して、優しく問いかける場面が多く見られました。

でも勿論、逆に怒鳴って強制的に支援をやめさせた人もいました。

今で言う『超カスハラ』でした。無理な強要、電話や自宅での拘束、軟禁、過度な怒声罵声、「お前はバカか?」「仕事辞めちまえ!」「土下座しろ!」など。電話は最大80コール。逮捕歴あり。

そんな対象者の自宅に自ら行き一喝したのが所長でした。

「うちに辞めさせる職員はいない!」
「そのような態度が改善されないなら辞めていただいて結構!」

その時は敬語ではありませんでした。対象者と肩を並べる。お客様は神様じゃありません。その場で支援解約の締結をしました。

私はこの方のせいで2週間仕事に行けなくなりました。辞めようとも考えました。まあ別に私だけにこうなわけじゃないんですけど、まだあの頃は今よりも未熟で、カスハラ耐性が無かったのです。

定時後、時間をとってもらい辞めたいと話をしに行きました。
しかし言われたのです。

「貴方が辞める必要はない。何も悪くないから、ここで強くなれ。」
「この契約者は俺が直接話をする。納得がいかないようであれば辞めてもらう。貴方が支援に行くことはない。関係機関と連携しこれを逆手に取ってこの態度を改めさせる。」

所長は自ら全て動いてくれました。 

お陰様でその方の支援は停止。支援をされなければ生きていけないとご本人もおっしゃってましたが、その支援者を殺すのは言語道断。行政以外の介入がなくなりました。その後、役所もカスハラに対して強く訴えるようになりました。

これが『職員を守る上席の役目』だと。

昔は気合いでなんとかなハラスメント。
今はこうして守られるようになりました。

そんな1件から時間が経つと共に、所長は病に倒れました。

すぐに手術をされ成功していたと聞いていましたが、容態はあまり良くなかったようです。
ちょうど任期の3年も迎えるところだったので、昨年の3月に退職をされました。

その後にやった歓送迎会で会った所長はかなり痩せていました。大好きなお酒も飲まれずに。
でもまだ元気だったんです。

以降何度か会いました。 

職場に差し入れを持ってきてくれたり、退職のお礼を持ってきてくれたり。
仕事はどうだ?と立ち話ではなく座って話を聞いてくれて。
プライベートの話もご相談しました。退職も正直考えていると。

でも今回はカスハラや職場の風通しが悪いからではないです。
私が結婚について触れたからでした。

「何事もタイミングだから。仕事はどうにでもなる。だから、絶対に幸せになるんだよ。」

今回は辞めるなと言われませんでした。
強くなれとも、言われませんでした。

その代わり、幸せになれと。

この先の人生、まだ分かりません。
辞めるとも、まだ決まってません。

辞めたいとか言っていますが、なんだかんだ仕事は好きなんです。
この業界で、なんとか頑張りたいと。変えたいと。

そう思っているんです。

ただ引っ越しとか結婚とか出産とか、どうしても人生のターニングポイントはあります。

転職は昔ほどハードルが高いものではなくなりましたし、寿退社はあれど結婚、出産後も働きやすい社会になってきました。

仕事も、結婚も、どちらも頑張って幸せになれと。
そう、言ってくださったんです。

私は、このことを所長にしか言っていませんでした。
所内の人間にはもちろん言えません。退職して今でも交流がある人にも言えません。

ただ、所長だけには相談していました。
悪いことは何も言われませんでした。

私の努力を認め、幸せを願ってくれる人でした。

10月の話でした。

それからお会いすることはなかったのですが、1月の連休明けに聞いた突然の訃報。
実感が湧かなくて、驚くだけで泣けませんでした。

事実?本当に亡くなったの?もう話が出来ないの?
私まだ、昇格してないよ。結婚の報告出来てないよ。子供の顔、見せてないよ。

何も出来ないまま、見送るだけで。

所内ではあまり触れられませんでしたが、通夜と告別式の日程と場所が提示され、参列することとしました。

多くの人が参列していました。あまりにも多く、外で立って待つ人もいました。
綺麗なお花に囲まれて、笑う所長の写真がそこにはありました。

式が始まり、ご住職がお念仏を唱えました。皆で手を合わせ。
そしてお焼香。遺族の方々に一礼。まだお母様がご健在で車椅子に座ってずっと泣いていました。
お孫さんはまだ小さく、何が起こったのか分かっていないようでした。

お念仏が終わると、ご住職が話をしてくれました。

ありとあらゆる福祉に尽力してきた方が、最後病院で会った時は車椅子に乗っていたと。
でも自分も病院に来ていたから、「お身体気をつけてください」と声をかけてもらったと。

息子様からの手紙もありました。

「父が父で良かった。それに尽きます。」と。

最後お顔を見た時、あまりにも痩せていました。あのガタイの良さは全くありませんでした。
人の心配ばかりで、ご自身の闘病生活が、どれほどお辛いものだったのか私は何も知りませんでした。

涙が止まりませんでした。

所長、3年間と言う短い間でしたがお世話になりました。

貴方のおかげで正しく守られた私がいます。
貴方のおかげでこの業界で生きる私がいます。
貴方のおかげで幸せと強さを得た私がいます。

ありがとうございました。
私も所長のように、福祉の道で強く生きたいと思います。

天国ではどうか、大好きなお酒を沢山飲んで、ゆっくりお休みください。
とか言って、根っからの仕事人間だから休まず働いちゃうかもしれないですね。

ご冥福をお祈りいたします。


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