私の経験としての新聞歌壇
(2025年を迎えるにあたり、有料記事を無料公開とさせていただきました。ご関心のあるかたに、広くお読みいただければ幸いです
また、それまでに代価を払ってお読みくださいました数名の皆さまありがとうございました。心より御礼申し上げます 2024.12.30記)
新聞歌壇、というのは、新聞に週一回くらいで掲載される短歌の投稿欄のことです。だいたい俳句の投稿欄と一緒にして1ページ、2~4人の選者の先生がいて、それぞれ10首から20首前後の投稿作が選ばれて掲載されている欄です。
私は、もちろん、プロでもなんでもなく普通のいち読者として、2017年から、日本経済新聞の歌壇(以降、日経歌壇と表記する)に投稿してきました。2019年から「広里ふかさ」の筆名で投稿してからは、範囲をひろげて、読売新聞や、毎日新聞の歌壇にも応募してみました。経緯はあとに書きますが、2022年くらいでは月1回 10首ほどの投稿で、年に4,5回載せてもらう感じになりました。月々の掲載率は1~2割くらいで落ち着いたのかもしれません。
それほどの常連だったというわけではないと思います。継続して、欄を見ていると、毎週、毎月のように載るお名前をある程度見かけます。また、私が投稿を始める前から載っていらして、現在もコンスタントに各新聞紙面でお名前をお見掛けする、心の「先輩がた」もいます。
私は、毎週、結果をチェックするために、歌壇の欄を拝読することで、ほかの常連投稿者のかたのお名前や作品は、わりと、おぼえていたほうだったと思います。それは投稿に必ずしも必要なことではないのですが、私の場合は覚えてみた、という経験があることで、ネットのSNSでの交流もありましたし、リアルでも人と人どうしの出会いがあり、友人のような交流も得ました。(交流の範囲が拡がりすぎて、ネット上では、思いがけない災難を招いた一面もありますが)。
現在は、あまり多くは作品を作っておらず、送る量も減りました。二~三ヶ月に一回(三首)くらいでしょうか。いま他のことをやっているだけで、短歌を休んでも、自分のできることを放棄したつもりではないのですが。
かれこれ7年も、新聞歌壇の欄をそれまで在ることは知っていても、自分で投稿してみたことがきっかけになり、毎週注目することになった経緯はすこし不思議なものがあり、一時期にしても自分にとって大事な経験のひとつだったと思っています。
いますこし、ひとつの節目として、あまり積極的に短歌を作らなくなっている時期なので、新聞歌壇投稿について、自分でやってみて、私が、いろいろ分かってきたことなど、振り返ってまとめてみます。
そもそも
私が新聞歌壇に投稿を始めたきっかけは、当時、比較的、雑談相手になってくれていた同僚の作品が、日経俳壇に掲載されたことでした(短歌じゃなくて、俳句のほう)。その作品も興味深かったけれど、「あ、世の中には、そういう趣味の世界があるんだな」と思い、意外と身近にあった場の存在にふっと気づきました。
むかし、20年以上も遡る高校生のころ、漫画風のイラストをハガキに描いていろいろな雑誌に投稿しては、謝礼の図書券などいただいて、お小遣いの足しにしていたことが私はあります。そのため、投稿すること自体には、抵抗がないほうだったと思います(ときには落選があっても耐えることに「免疫」があって)。むしろ、作品の投稿は、ただの抽選よりは手応えがある世界だし、やってみればもしかしたら、自分にはできるかもしれない、という予感と興味がわいたわけです。
ただ、あまりに出来てしまったら(こう考えることはちょっとおこがましかいとも思うんですが)その同僚との関係が悪くなりそうだし、何しろ短歌のほうが俳句より字数も多いし、季語などのルールも少ない、、。
それで、私は短歌にしておこうかな、と照準をさだめました。
すぐに投稿するつもりや、まさか数ヶ月で入選することまで起きるとは思っていませんでしたが、スマホには、いろいろ自作短歌を作り始めました。その時のタイミングが、ちょうど、そう人生には何度もないであろう婚約解消レベルの失恋のあとで、いろいろ心のモヤモヤはあったし、何か新しいことにエネルギーを向ける必要もありました。
もともとは、作る作業だけで良かった短歌なのですが、なんだか、一ヶ月くらい経ったところで、拙さをともかくとすれば、それなりの量の作品ができました。
作ってしまった作品を自分で眺めて、テーマ別に分けて並べたら、失恋のことの連作と、その頃の日常での何首かが、その日々の足跡として残っていました。久しぶりに、創作をして、作品ができた感じは悪くないものでした。
そして、なんだか自己表現の封印を解いたついでに、ちょっとそれも外に出してみたくなり、投稿を思いつきました。
べつに、そんな最初から、いい結果を出せるものが出来たと思っていたわけでもなかったです。が、もしかしたら、とりあえず、宝くじも買っておかなきゃ当たるはずもない、というのが私の投稿者としての心の持ちようです。ダメでもともとだけど、出す。出しておかなきゃ、何も始まるわけがない、、というのは自明のことです。
そういうわけで、2017年9月、NHK全国大会の近藤芳美賞(15首連作)と、日経歌壇の穂村弘欄に短歌を投稿しました。
日経歌壇 初入選
2017年の9月に、投稿を始めて、わりとまもない10月の日経新聞に載り、まさかと思ったのですが、その、数か月前に俳壇に入選していた同僚が教えてくれました。日経歌壇に送った3回めくらいのメールに書いた作品。穂村弘先生の欄の二席で、評もいただいていました。
当然ながら、そんなに早く報われるというか、送っておきながら、全然載るとは思っていません。
自分の作品が活字になって載っていることにうれしく感動しつつも、「うわ。ほんとうにメールって新聞社に届いてるんだな、、、」と現実的な証拠を目の当たりに確認したまっさらな気持ちもありました。
当時は、二席入選の事の価値(素晴らしさと、翌週になれば更新される些細さも含めて)があんまりわかっていなかったと思います。当時の心のざわつきと、経験を経た数年後の私の認識はかなり違ってきています。
しかし、それにしても、他者から自分の短歌にもらった初めてのコメントが、こういう形だった、、というのは光栄な話すぎます。この、新聞の紙面に活字で自分の名前と作品が載ってる、という経験は、わりと平穏を志向していた私の人生の小さな窓をひらく出来事としてけっこう強いインパクトを与えました。
つい「もしかしたら、これは私に向いた世界なんだろうか?」と思い始めて、素人なりではありますが、短歌を作ることに、ちょっとその気になってしまったわけです。
その後 二匹目のドジョウ(断続的な再度入選)までの停滞
ちょっと短歌をやってみよう、と思ってから、しばらく、毎週のように、三首ずつ書いたメールを日経の穂村先生宛てに送っていました(実際にはもっと作っていて、選んで三首です)。
しかし、そう話がうまくいくわけもなく、初心者は初心者なりの実力が順当なころ、、、やっぱり、秋から次の春まで、半年くらいは全部 没が続きました。没作でも、あとから見直して、NHK学園の添削を受ける練習作品として提出し、使いまわしながら反省していました。(この再利用のしかたは、誰にも迷惑がかからないのでおすすめです)
しかし、そういう期間は意味があって、たぶん、それなりに成長していたのだと思います。練り直し続けていれば、いずれ良い波がきます。
特に宣伝するいわれもないのですが、私の経験としてお伝えすると、NHK学園の通信添削講座は、わりと褒めてくれるので、褒められて伸びるタイプのかたには良いなぐさめとなるかもしれません。もちろん、鋭い指摘もときには、含んでいるのですが、複数の結社の複数の歌人の先生がランダムに一期一会でその月のレポートを添削してくれます。結社の会費よりは割高ですが、質問を書いておけば、ちゃんと教えてくれるし、どこに所属するというわけではないので、立場的には自由度が高いと思います。二回くらい継続して、講座三年ぶんくらいをお世話になりました。
そのうち、さまざまな事情があって、せめて同じ名字の家族親族に「迷惑」と思われないよう、私の創作作品を発表するさいには、この筆名を使うことに決め、この名前でのツイッターのアカウントも開設しました(2019年2月)。
自分の投稿の入選/落選をチェックし、入選作を鑑賞するついでに、その投稿者のかたがたのお名前だけを任意で、手短に、ある一定の形式で毎週ツイートさせてもらうことを思いつきました。2019年の春から、日経新聞を毎週土曜日の朝、コンビニに行って買ってきては、日経歌壇の入選速報的なツイートを始めました。
ちょうど、私の広里名義での短歌作品も4月に二席で採用され、筆名での活動が始まりました。6月、NHKテレビの短歌にも入選し、私の短歌が放送された(それはその後あんまりないんですが)、私にとって稀有な機会でした。
そういう感じで新しい習慣をはじめた後、徐々に、Twitterの短歌投稿仲間との交流が始まり、ゆるい繋がりでの情報交換、助け合いや励まし合いが、約5年間、この2024年春までは続きました。
その間、接点のあった皆さまには御礼を申し上げたく思っています。私じしんでは気づかなかった、Twitterの外からも見てくださったかたがいらして、お声がけいただいたこともありました。どうもありがとうございました。
投稿のさい、気をくばるポイント
※目次には、二重投稿厳禁、という部分しか表われないようにしてありますが、以降有料部分で、具体的なポイント(期間、頻度、数、書式、選歌風景、新聞入手、著作権、筆名の話など)が続きます。
さてそういう感じでやってきた、新聞歌壇投稿ですが、私は、これといったノウハウは無い、と思っています。
応募規定は各紙とも、明らかにされ、欄に併記されているし、新聞社各社のウェブで投稿フォームも最近は整備されている。
それをよく見て、よく読んで、自分の頭で考えて、行動するのが、一番悔いのない結果につながると思っています。
とはいうものの、私じしんが、自分でやってみる前は気づかなかったけれど、やってみてわかってきたことはあります。
・投稿するときは、投稿内容と投稿した日付などの、控えを手元に必ず残す
まず、この点は大きな字にしておきますが、二重投稿は厳禁です。その作品がもし、別々の新聞など、二か所以上のところで活字になったことが、最低最悪に判断された場合は、もうその投稿欄では名前を見ただけで採用してもらえなくなるくらいの重いルール違反になることがあります(自主的な反省の推測も含みますが、そういうことがあったと実際の経験者の声も聞きました)。まあ、選ぶ側からしたら他の応募作は何百何千とある状況なので、選者側に迷惑をかける行為は、作品を選んでもらうためには命取りになると思います。ここは緊張感をもって、くれぐれも気をつけましょう。
つまり、ほかのどこでもまだ活字になっていない未発表作品が対象ということです。あえて確認すると、ネット上で公開された作品も、既に発表された作品として扱われます。SNSやブログでつぶやいたことのある短歌は新聞歌壇には投稿できません。たとえ非公開モードであったとしても、何人と共有したかの限度はあると思うので、他人と共有したものは厳密には投稿できなくなるリスクが常にあります(とくにオンラインで複製可能な状況下)。
・新聞歌壇の投稿から掲載までの期間
およそ1~3か月かと思います。選者の先生によるし、紙面の構成の都合もある場合があり、実際のところは一般応募者側ではわかりません。
メールやフォームではほぼ即時に、新聞社側に届いているのではないかと思います。ただしチェックのための取りまとめ時期や曜日などは不明です。
(週一回くらいだとは思いますが)郵便はがきでの投稿だと届くまでに数日間がさらにかかることも想像できますね。
私の経験の範囲内では、
日経歌壇 穂村弘先生欄 一ヶ月くらい、三枝昻之先生欄 三か月くらい
毎日新聞 米川千嘉子先生欄 一ヶ月くらい
読売新聞 俵万智先生欄 栗木京子先生欄 黒瀬珂瀾先生欄 一ヶ月くらい
掲載する順番もきっと流れを考えて並べていらっしゃると思えるときがあるので、歌の内容によっては早めに掲載される歌も、遅めに掲載される歌もあると思います。推測ですが、同じ日の掲載ぶんでも投稿受領のタイミングには若干のばらつきがあるのではないでしょうか、またばらついていても、選ぶ権利はあくまでも選者の先生にあるのでなんともいえません。
年末年始など、特別な時期のタイミングによることもあると思います。二重投稿を避けるためにも、載りそうな期間プラス一ヶ月くらいは、判断を留保したほうがいいかと思います。
季節感のことを考えたら、いっそ、推敲しての再投稿などは、来年の同じ季節のころ(か少し前)に投稿するのもよいかもしれません。
・投稿の間隔
毎週掲載のある欄だから、毎週投稿するのが最大の頻度として可能な範囲でしょう。
同じ曜日に出すのもひとつの方法です。あるいは不定期であれば、10日おきくらいが安全かと思います。
私の場合は、結社の月ごとの締切に合わせて、自作を整理していたので、最近二年間は投稿も月末か月はじめに一回くらいでした。
・投稿する歌の数
日経歌壇は一回に三首まで、ということなので、三首書くのが限度です。
ほかの読売歌壇や毎日歌壇など、一首ずつ送信するウェブフォームの利用でも、まあ、、一回の応募として節度があるのは、私は、2、3首くらいまでかと思っています。が、どうなんでしょう。十首くらい送る、というツワモノもいらっしゃるとは噂で聞きます。
このへんの感覚や考え方にはかなり、投稿者によって幅があるようです。
私は、量よりは、質が大事な戦い(笑)だと思っています。無選別に送るよりも、すこし自分のセンスを鍛えるためにも、なるべく自分で選んでからのほうが心象もいいような気がするのですが、気がはやったまま沢山送ってみたい方もいるのでしょうし、別にその方を止めることはできません。
・新聞歌壇(朝日)の選歌のようす(動画)
これを見ると、いろいろ気づかれる点があるかとは思います(先生方の率直なお言葉が面白いです)。まず、多くの応募作品のなかで、全部読んでもらえる歌を目標にしましょう、ということがわかります。送るべきものは、作品が主役です。なので、作品のほうをはっきりと書きましょう。(自分の名前が作品より大きい字なのはいかがなものかね、って部分があります)
また、ハガキの場合はワープロ打ちを貼るなどの読みやすくする工夫もあるみたいです。
・投稿書式(メールやはがきなど、自由なフォーマットの場合)
作品と連絡先以外のことは書かない。おおむね、作品の説明などはしないほうがいいと思います。
受け取った側が、自然に、読みやすいのが一番だと思います。
・新聞は、なるべく買ったほうがいい
コンビニなどでその日だけを買える場合もあるし、日経新聞は曜日ごとの指定でも毎週配達してくれます。
他の新聞は販売所に、そういう契約のしかたがあるか問い合わせてもダメだったので、これもいつまで維持してもらえるかはわかりません(2024年現在)
けっきょく、どんな作品が入選するのかをよく読んだほうが、自分なりにコツを発見できるかと思います。
新聞のサイトによっては、ウェブ版でも入選落選をチェックする方法はあります(入選すれば、歌の掲載部分が直接表示されるモードでなくても、検索対象範囲のデータとして収録はされているようです)。
ただ、やっぱり、新聞発行の存続を願うのだったら、紙の新聞発行事業は縮小傾向にあります(最近は地方の夕刊を発行しなくなることが起きています)。なるべく続いてほしいのなら、投稿者の皆さんが自分のお金を出して買ったほうが、紙の新聞発行事業を支える結果に、なると思います。
・著作権法のこと
もし入選した場合の作品の著作権は、作者にありますが、評をいただいた場合の、評の著作権は選者の先生にあります。また、掲載紙面の画像の権利は、新聞社にあるそうです。なので、自作の入選報告などをSNS上でするさいは、そのへんを考慮した方法をとる必要はあります。
・筆名にまつわること
連絡先の手続きでいちばん差異のない、筆名のつけかたは、1)本名の苗字に下の名前だけ筆名をつくるケースです。
次に手間のかかるケースとしては、2)筆名でしか使わない姓を現実の連絡先として表記する場合があります。方法は、一般常識的には 「(本名の苗字)様方(筆名)」という書き方が、手続き上の負担が少ないのでおすすめです。(本名の家に筆名の人が下宿しているような意味になります)
筆名を使うことについての頻度や、実際の交流の状況にもよりますが、もうすこしして、3)筆名あてに郵便が複数回届くようになると、郵便局から「この家(本名)にこういう方(筆名)はいらっしゃいますか?」ということを問い合わせるハガキが来るので、それに回答をして、表札に表示をする(旧姓みたいに、、)という手続きが生じます。でも、それまで数年間は、私の経験の範囲では、「~様方」の表記のしかたで投稿していて、入選記念品や副賞の受取など、応募先とのやりとりには差支えありませんでした。
最後にエール
私の知ったことは、これくらいでしょうか。なんでもそうですが、行動しながら、自分の頭で考え、行動を修正していくのが一番だと思います。
新聞歌壇投稿に興味のある、皆さまのご武運をお祈りします。
もし偶然にも、これを読んでくださった皆さまの作品と、私の作品と、紙面でご一緒できることがありましたら幸いです。