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書けなかった中学校の卒業文集の作文〜小説『十三歳の地図』を書いた理由〜



「を、思い出す。
大人になった私は中学生の時の、いったい何を思い出すのだろうか。」



中学三年生の私の卒業文集の作文を要約すると、こんな感じである。

作文の頭の文字は、皆んなで合わせてある文章になるように、指定されていた。
よりによって私は「を」をあてがれてしまったのだ。だからこうなった。
他にも難しい字をあてがわれたクラスメイトもいたので、何も自分だけが不運という訳ではなかったのだ。

作文が得意というか、国語の担当教諭からは「天才的な文学センスがある」言われていた当時の私は何の苦もなく、冒頭のような文章をさらりと書いてみせた。

文集係の担当のM君は、それを読むなり、「上手いなあ」と呟いてくれたのを覚えている。

だが、私は自分の文章に満足しておらず、何十年もの間……そう、未だにあの卒業文集の作文を悔いている。

はっきり言ってあれは駄作である。断言する。あれは失敗作だ。
あんなものは卒業文集の作文ではない。



私は、ヤンキーのAちゃんみたいに素直に、「(廃屋になった)国鉄寮を探検したり、運動会で応援団員が出来たりして、楽しかった」と書きたかった。

そう書かなかったのは、国鉄寮に入って遊んだ事を大人に咎められたくなかった……いや、あの冒険は、私たち子供だけの秘密にしておきたかったからだった。

応援団員もやってみればよかったのに、当時はあまり興味がなかった。
だから、ヤンキーに憧れている、あの硬派の?コスプレをやりたがっていたAちゃんに二回とも譲った。

少なくとも二年生の時は私の方がヤンキーの先輩に気に入られていたし、番格的存在だったのに。

しかし、やはりAちゃんにやって貰ってよかった。その選択をした私には後悔はない。

不良少女とはいえ、気分屋で虚弱体質の私に、応援団の練習も実演もやり通せるとは思えなかったからだ。




クラス委員のMちゃんみたいに、「みんなありがとう。大好きだよ」なんて書けなかった。

今は、ありがとう、とごめんね、が書きたい。

私は当時、他人に興味が無さすぎた。
一年生の時はイジメにあったいたし、二年生でデビューしても、三年生で隣の中学との喧嘩の助っ人に呼ばれるくらいになっても(もちろん普段、挨拶もろくにしてこない知り合い程度の人間の頼みなど断った)、私へのイジメというか、ちょっかいは続いた。

私の机だけが、休み時間の度にひっくり返されていたのだ。
犯人は見当がついていたが、興味が無かったので、毎回黙って机を直して、何事もなかったように、授業を受け続けた。

卒業間際までそのイタズラ?は続いたが、私は犯人にも犯行動機にも無関心だった。
今思えば私の周囲への無関心さは、ある意味残酷だったように思う。


そんな事もあったが、時にお喋りをしたり、漫画なんかを見せあったりした仲の良いクラスメイトや友達も何人かいた。苦しい事が多かったけど、楽しかった事も確かにあった。


今はあの埃臭い中学校の思い出は、宝物か何かみたいに、たまに箱から取り出して眺めたりしている。

勿論、机倒しの犯人の犯行動機なんて可愛いものだと、ちょっとニヤニヤしてしまう。

ごめんよ、H君。私は君みたいなコドモよりもU先生みたいなオトナの方が、当時は好みだったのだよ。

だって、U先生は私のよき理解者だったし、その上、若くてイケメンだった。
一応、冗談とはいえ、職員室で口説いて貰って嬉しかったのも、いい思い出だ。



そうそう。
クラス委員のMちゃんは、当時から本当に頼れる存在で、担任の先生には特別可愛がられていた。

彼女しかウチのクラスを纏めたり、仕切ったり、また皆んなの事をちゃんと考えていた生徒はいなかったから、当たり前だ。

そんな彼女に嫉妬する奴もいたが、僻みでしかないと今でも思う。

彼女とは数年前に、実に数十年ぶりに再会を果たしたが、ちっとも変わっていなかった。

アニメ声というか、あの可愛い、かん高い声はそのままだった。
会った時は、歳を重ねたぐらいしか変わってなくて、びっくりした。

ちなみに、彼女は今は主婦をしながら、小学校の先生をしている。


私が文学の天才少女?だった事を思い出したのは、彼女が当時のことを覚えていてくれて、言ってくれたからである。

でも、私に言わせれば、好きで天才をやっていた訳ではない。
皆んなと同じように振る舞う事が出来なかっただけだ。
どうやっても同じ事が、言われた事を言われた通りに出来なかった。


生きているのが苦しくて、たまらなかった。
コドモ過ぎて何をどうすればいいかわからないまま、毎日ノートに向かって、何かを書いているしか出来なかった。


もっと、中学生らしい卒業文集の作文が書きたかった。
だから、私は『十三歳の地図』という小説を書いた。
でも、書ききれない何かがまだ残っていた。


フィクションとはいえ、エピソードの中にはノンフィクションな部分もいくつかあった。
少なくとも、あれは私の中学生時代の心のノンフィクション……書きたかった卒業文集の作文のようなものだった。


ねぇ、クラス委員のMちゃん。
あなたはやっぱりいつまでも、私のクラス委員だよ。
もう何十年も「先生」をやっているあなたこそ、天才なんだよ?

あの頃もクラス委員として、Mちゃんは天才だったし、今は先生として天才だから。
だから、今日も今日とて、いそいそと学校に行って、皆んなの事を考えて働いているんじゃない?



私は「二十歳過ぎれば何とやら」で、プロの作家になんてなれてないし。
今も病弱で気むづかしくて、いつも自分が嫌になってるし、毎日生きるだけで精一杯なんだよ?


あの頃のまま変わってないのは、私もなのかもしれないね。

変われないなら、仕方ないのかな?
ならば、私はあの頃のまま、ただノートに想いのたけを書き続けるしかないのかもね。


思い出の宝物は沢山あるけど、やはり今の私には、あの中学生の三年間はとびきりキラキラしてて……でも、なんか切なくて。

思い出したくない事も、忘れたくない事も、いっしょくたに抱えているの。


沢山の宝物が入った、私の宝箱をこれからも漁り続けよう。


ねぇ、中学生の私ちゃん。
オトナの私はこんな風に、君を思い出しているよ。

              了










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