#127【連載小説】Forget me Blue【試し読み53万文字】
【会社員×両性具有の管理人】寂れた商店街の一角にある駐車場の管理人であるイチは、ある日訪れた時間貸しの客、佐村と出会いすぐに惹かれていく。しかしどこか陰のある彼には悲しい過去があって——。
それから四人はすぐそばにあるフードコートに行き何か食べることにした。いつの間にか五時半になっていて、今日は昼食を食べた時間が早かったこともあり空腹だった。
「色色あるねえ。ポッテリアにペッポーランチ、まるまるうどん……」
「食いしん坊サムさんはどれにするん?」
「うーん、今日はうどんの気分かな! だからまるまるうどん」
だだっ広いフードコートの客席をいくつもの飲食店が取り囲んでいて、もうすぐ夕飯時だから既にたくさんの家族連れが席に着いていた。キャーキャー騒ぎながら小さな子ども達が通路を走り回っているのは、こういったフードコートならではの光景である。
「じゃあ俺もまるまるうどんにしよ! いろはちゃんはどうする?」
琉偉が自身に寄り添うようにして立っているいろはを見下ろして尋ねると、彼女は満面の笑みを浮かべて「あたしも同じのにする!」と答えたので微笑ましかった。イチはいつの間にか二人はすっかり仲良くなったな、と思い、案外佐村の思い通りに事が運ぶのではないか、と予想した。
そうして四人は大手チェーンのセルフうどん店「まるまるうどん」のカウンターに並んだ。それぞれトレイを持つと初めにトッピングを選ぶ——佐村はとり天に野菜のかき揚げ、それからちくわの磯辺揚げまで取っていたので思わず「食い過ぎやろ!」と突っ込んだ。すると後ろに並んでいた琉偉も唐揚げに佐村と同じくかき揚げ、それからおでんを一串皿に載せていたのでおおっと声を上げる。
「俺らみたいに図体デカいと、すぐ腹減るんスよ! ねえ、佐村さん!」
「まあね。でもぴっちぴちのルイ君に比べたら俺は衰えてるよ……」
「言うておんなじだけ食うとるやん!」
琉偉に佐村が答えているのにまた突っ込んだら、琉偉がくすくす笑って「いっちゃんさんと佐村さん、なんか夫婦漫才みたいッスね」と言ったのでイチと佐村は同時にぽっと頬を染めた。
ちなみにイチはとり天を一つだけ、いろはは何もトッピングを選ばなかった。そうしてみんなうどんを注文した——佐村は「牛さんおろしぶっかけ」の大を、琉偉は「牛さん温玉ぶっかけ」の同じく大を、イチといろはそれぞれ「塩豚さん温玉ぶっかけ」の中と小を選んだ。イチの通う呼吸器内科の近所にも「まるまるうどん」の店舗があり、そこの従業員はみんな中年女性で手慣れているが、ここイ◯ンモール店は全員男子学生のバイトでやや作業速度が遅い。
「いただきまーす!」
荷物を置いて取っておいたテーブル席にうどんを載せたトレイを持って行き、みんな腰を下ろすと揃って手を合わせた。琉偉の隣で食べているいろはは本当に幸せそうで、イチは心の中で「まあ、結果オーライか」と呟いて微笑んだ……。
明くる日の月曜、イチはいつも通り受付のチェアに座ったが、ふと思いついて昼前にヒカルの玩具屋を訪れた。先先週にホテル西縦インの前で見かけたが、あとひと月もすれば麻美の出産予定日を迎えるので様子を知りたかった。
「邪魔すんでー」
「邪魔すんなら帰りなさいよォ」
ふざけた挨拶をしながら店に入ると、何故だかオネエ口調で返事があった。けれどもそれには突っ込まないで、行儀悪くレジカウンターの上に足を乗せて椅子に踏ん反り返っている幼馴染みに声を掛ける。
「調子どうや? 麻美ちゃんは……」
「土壇場へ来て安定してきてる。でも腰が痛ぇってうっせーから、毎晩揉みに通ってるわ」
「おお、頑張ってるな。そんで慧は?」
「保育所。んで家ではプール遊びにおハマりになってな。庭のホースで水ぶっ掛けてやったら日が暮れるまで遊んでるわ」
ヒカルの言い様にあははと笑うと、イチはいつもの回転チェアに腰を下ろした。それから何気なく「名前は決まってるんか?」と尋ねる。
「俺が光で長男は慧。同じ漢字一文字にしたかったんだよ。そんで読みは麻美と同じ二文字で」
「ほうほう」
ちなみに生まれてくる赤ん坊は女の子だ。ヒカルは勿体振って少し間を空けた後、「ジャ、ジャーン」と古臭い効果音を口にしてから名前を発表した。
「花でーす!」
「おお、花ちゃんか! めっちゃ可愛いじゃん」
「だろ」
イチが褒めると、ヒカルは鼻高高になってふふんと言った。けれども「花」という名前は本当に可愛い。それから佐村も「一花」という名前を女の子の候補にあげていたな、とイチは思い出した。この世代に人気の字なのかもしれない。
「戸川花ちゃん、元気に生まれてくると良いな」
「おうよ。そんでお前の方はどうなん? 男の子だって聞いたけど……」
ヒカルには性別が分かった時、ラ◯ンメッセージを送って教えていた。それには返事がなかったのだけれど、もちろんちゃんと読んで覚えている——いつも素っ気ないが、ヒカルはイチのことを蔑ろにしたことは一度もない。
「うん。シンプルに『聡一』になったよ。漢字は聡い……」
「おお、二人の名前をくっつけたんか……良いじゃん。でも『さとい』の漢字、分かんねーわ」
「仕方ねーな」
幼馴染みは勉強が苦手だったから、イチはやれやれとため息を吐くとその辺にあった紙の端に「聡一」と書いてやった。するとぽりぽりと頭を掻きながら「素敵やん」と言ったので、「だろ」と応えて先程のヒカルのようにふふん、と得意げになる。
「でもまあ、麻美が産んでくれる俺とは違って、『聡一』ちゃんはお前が産むんだからよ、体大事にな……」
「うぇ? お、おう、サンキュな……」
不意に真面目な表情になったヒカルにそう言われて、イチはやや面食らったけれど嬉しくて、えへへ、と笑った……。
「俺、明日仕事帰りに髪切ってくるよ。良さげな美容院見つけたんだ……」
「おお、この前まで行ってたとこはやめたんか?」
夜、キッチンに立っている佐村が言ったのに、乾いてふかふかになったバスタオルを畳んでいたイチは顔を上げた。彼の髪を見るとまだそんなに伸びていないが、仕事柄イチよりも頻繁に手入れをしている。
「なんかまた写真撮られて……」
「はは。どこでもカットモデルにされるんだな。色んな店のイン◯タに載ってそう」
「俺としては笑いごとじゃないんだけど……」
振り返った佐村は顰めっ面でそう言って、イチはくすくす笑った。それから自分の髪を一房手に取り、「俺もそろそろ切りに行こうかなあ」と言った。
「イチは伸びても変にならないから良いよね。スーパー髪きれい星人だから……」
「スーパー髪きれい星人って!」
また妙な星の住人にされたな、と思って噴き出したら、佐村もあははと笑って再び小ねぎを刻み始めた。今日の夕飯のおかずは、夏にぴったりの冷奴である。
「そういえば明日は病院の後、ムラケンさん来るんだっけ?」
「おう。何時になるかは分かんねーけど、夕方までには絶対来るって」
テーブルの上には出来上がった冷奴の他に、ほうれん草のおひたしと鯖の塩焼き、それから炊き立ての白米を盛った茶碗が並べられている。至って庶民的な和食の献立だ。
「じゃあ夕飯は食べに行くのかな?」
「多分な。蒼士も来るだろ?」
「えっ、良いの?」
箸で木綿豆腐を切り分けながら聞くと、佐村は驚いた顔でそう応えた。それにこっくり頷いて「元元紹介するつもりだったし」と言う。
「じゃあ、美容院はまた別の日にするよ。そんなに時間掛からないとは思うけど、もし間に合わなかったら困るし……」
「おう、悪いな」
そんなやりとりをしながらぱくっと冷奴を口に入れると、よく冷えていて口当たりが最高だった——鰹節も瑞瑞しい小ねぎも本当に美味しい。
「これ、めっちゃ美味しいよ。明日から九月だけど、まだまだ夏っていう感じですな」
「そうだよ、まだまだ酷暑は続くから油断しちゃダメだよ。俺もだけど……」
佐村も冷奴を食べながらそう言って、イチはうんうんと機嫌良く頷いた。何気ない日常の一齣だが、最高に幸せである……。
次の日、イチは顔と首にしっかり日焼け止めを塗ると佐村の部屋を出た(最近ちょっと黒くなってきたので、今更ながら日焼け対策を始めたのである)。今からYレディースクリニックへ行きT市民病院への紹介状を受け取るつもりで、診察はないからすぐに終わる筈である。バスの時間まで少し余裕があったから、行き掛けに駐車場の受付に顔を出し代わりを頼んでいる祖父に挨拶した。
「じーちゃん、帰りにキョー◯イ寄るつもりだけど、何か要るもんある?」
「じゃあ、わらび餅買ってきてくんねえか。あらしま堂の……」
「え、それだけで良いん?」
スーパーキョー◯イの和菓子売り場にいつも置いてある有名菓子メーカーのわらび餅だけをリクエストされたから、イチはもっと他に要るものはないのかと聞いた。けれども祖父は首を横に振るので、分かったと頷くと「じゃあ、行ってきます」と言って駐車場を後にした。
今日は九月一日だから、学生たちは新学期が始まったのだろう。イチは学校と縁遠くなって久しいから、朝、前の道路を歩く小学生のランドセルを見るまで気づかなかった。
結構風は吹いているが生暖かくて、少し歩いただけで汗が吹き出してきた。歩き移動のイチはこのようにたくさん汗をかくから、ハンドタオルでは間に合わずフェイスタオルを使う——今回持っているのは佐村がどこかのファンシーショップで購入したもので、薄いピンクの生地に可愛らしいハリネズミのイラストがプリントされている。本当は無地のものが良かったのだけれど、何度も洗濯して解れていたから、比較的新しいこれを選ぶしかなかった。
いつもの循環バスに乗り二十分くらい揺られたら病院のそばの回転場に到着して、イチは料金を支払い降車した。家の近くと変わらず蝉がうるさく鳴いているが、少し遠くからツクツクホーシ、と聞こえたので「ああ、季節が変わったんだな」と思った。
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