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自分としての「最高の幸せ」を見つけたお話し③~丁寧な暮らし No.13~

テーマに対する文章が長くなったので、3回に分けて書いています。今日は最終回。閑暇な時間とそれがどう幸せか?についてです。

今回もまた、前回の振り返りから。

【前回の振り返り】

  • セネカ曰く、人生は十分に時間がある。人に影響された時間を使うから、少なくなるのだ

  • まずは閑暇の時間を設けることが大事で、実はその閑暇の時間こそが最高の幸せだと気づく

  • 私の閑暇とは「夜、素敵なスピーカーでJAZZやクラッシックなど素晴らしい音楽を聴きつつ、暖炉の前で絵本や哲学書を読み、眠りにつく日々」

年始にセネカを読み、少し時間を設けようと有給をとり、とある軽井沢の宿に休暇に行きました。

そこでは、目的を持たず本当にのんびりとした時間を過ごしました。

暖炉の前で温まる。むしろちょっと暑いくらい♪


エムズシステムのスピーカーで音楽を聴きながら、絵本をのんびりと読む


リスが餌を食べている姿を見ながら、朝食をのんびり食べてました


閑暇の時間って本当に気づきが得られました。

ただのヒマではないのですよね。
ただヒマしているときって、基本は何もせずとも頭は動いていたりします

「あー、今日の夜ご飯何にしようかな」とか。
「明日の仕事、こういう手順でやろうかな」とか。

積極的に閑暇の時間を過ごすとき、私の場合は上記に書いたような時間を過ごすとき、全身でヒマを・時間を感じます

暖炉に揺られる火にぬくもりを感じたり。
音楽を肌で感じたり。
絵本のイラストと文字からワクワク感を感じたり。

全身がリラックスしていくのを感じました。

正直思いました。

社会や仕事、他人の事をなにも考えずに、ただこのような時間に浸っていられることが一番の幸せなのでは?

そして、肩の力が抜けました。

仕事で何かを成し遂げようと。
教育関連で、生徒達の力になってあげようと。
アコギ弾けるようになって皆に褒めてもらおうと(笑)。

そういった「何かをしないと」という、少し肩に力が入ったような状態が、落ち着きました

人は、そんなに何かを達成しなくてもいいのかも知れません。

哲学者フィリップ・ヴァン パリースの「ベーシックインカムの哲学」という本の表紙がサーフィンをしている人の写真です。
本の中で下記のような記述があります。

彼らはサーフィンをしているだけで何も生産的なことをしていない。
が、少なくとも地球の破壊に寄与している人達(資本主義者?)よりも生産性が高い可能性もある。

「ベーシックインカムの哲学」から抜粋・要約

実は、人の生活に本質的には必要のない贅沢品を作って環境破壊に寄与するよりも、のんびりと自然を楽しんでいるだけの方が、地球に優しいのでは?

サーフィンもそうだし、音楽聞きながら本を読むのも、さほど環境破壊しないですよね。

当然、なんだかんだでお金がないと食べ物も変えなければ住む家賃も払えないので、最低限は何かしらの仕事はしますが。

より多くの時間を閑暇に使った方が、人類皆より幸せになれるのでは?と結論づけました。

セネカに沿うのであれば、当然閑暇に身を置いた後に「本当に自分のやりたい事」が見つかり、それを成す為に一生を過ごすのかも知れません。

でも、この閑暇に身を置くことすら難しい世界では、閑暇に身をゆだねることが出来ればもう十分に幸せなんじゃないかな?って思います。

ここまでが今年に入って学び、実際試して、自分なりの筋道を立てた結果です。

現時点での私の"最高の幸せ"は、繰り返しになりますが

夜、素敵なスピーカーでJAZZやクラッシックなど素晴らしい音楽を聴きつつ、暖炉の前で絵本や哲学書を読み、眠りにつく日々を過ごすこと

です。

本当は一日そういう生活をしたいのですが、まだまだ現役なので、少しずつ仕事をしない時間を増やすことが今出来ることです。いい音が出るアンプなんかも探してみてもいいかも。

家には当然暖炉がないので、ランタンなんかを置いてもいいかも知れないですね。

そうやってより閑暇の時間を過ごしつつ、その先に何があるのかをのんびり探っていきたいと思います。

全3編に渡ったnoteも以上です。
大変長い文章だったと思いますが、最後までお付き合い頂いた方々には本当に感謝です!
ありがとうございます!

noteもどんどん書いていこうと思いますので、引き続きどうぞよろしくお願い致します。
合掌。

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