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2024年【読書回想】
一年を振り返って
1月、堀江敏幸全冊読破計画継続中。翻訳を除き、ほぼ読み終わった。翻訳はどうしようか迷っている。さんざん堀江敏幸推奨本の書評を読んだけど、まだフランス文学にはそれほど食指が動かない。
2月、妻の部屋に置いてあった『殺しの四人』(仕掛け人・藤枝梅安シリーズの第一巻)をふと手に取り、止まらなくなる。すべて再読する。池波正太郎の文体の魔力的な魅力。ショートショート書きとして一度は通読しておくべき『掌の小説』(川端康成)をようやく読む。分厚い。たいへんな数の掌編を読んだが、記憶に残るものは意外に少ない。
3月はわりあい自由な読書。趣味に走っている。
4月は『ひらがな日本美術史』の第一巻を手に取る。私は美術に造詣がないが、日本の美術を写真付きで概観できるこのシリーズは素晴らしい企画だと思う。話は埴輪から始まる。
5月6月は橋本治の月。6月にはずっと気になっていた今村夏子と初遭遇。ハマる。
7月、ついに『ひらがな日本美術史』全七巻を読破し、『失われた近代を求めて』(橋本治)を読み始める。現在私たちが使っている言葉、言文一致体誕生の流れを追った本である。『緩やかさ』は豊崎由美がXで推奨していたから読んだ本。私の数少ない海外小説体験は豊崎由美の導きによるものが多い。3月の『老人ホーム 一夜の出来事』も同様。
8月、海外の古典をあまりに読んでいないことにコンプレックスがあった。いきなりスタインベックの『怒りの葡萄』を読み始めた。奇跡的な大当たり。調子に乗ってヘミングウェイの『武器よさらば』も手に取るが、こちらはさほど感銘を受けず。莫言の『蛙鳴』はよかった。
9月、月刊文藝春秋を買って芥川賞二作を読んでみた。『バリ山行き』にハマる。今年は大河ドラマの当たり年。「光る君へ」が素晴らしすぎるので、『源氏物語』に手を出す。新訳がいいだろうと思い、池澤夏樹編の『日本文学全集』に書き下ろされた角田光代訳を読む。五年の歳月をかけたそうである。
10月、近現代の小説は読みたいが、なかなか手に取る機会がない。この月は珍しく太宰治を二冊読めた。日本文藝家協会編の純文学短編年間アンソロジーシリーズ『文学』と、池澤夏樹編の『日本文学全集』全冊読破を計画する。前者は2023年から過去に向けて遡っていき、後者は『古事記』から始まり、現代文学に到達する。どこかで合流するはずである。つまり、日本文学の流れを俯瞰できるのだ。こんなことを考えたのも橋本治が日本の美術をすべて紹介するというものすごい書物を作ってくれたおかげである。読破には二、三年かかるだろう。
11月、12月は日本文学俯瞰に向けての読書。『日本文学全集』が2巻にして早くも頓挫しかけている。私のもっとも苦手としている詩歌を扱った巻なのである。この難所さえ乗り切れば……。
2024年をまとめると、いままで避けてきた古典と教養に目が向いた年。きっかけとなったのはなんといっても橋本治の偉業『ひらがな日本美術史』の存在である。日本文学を俯瞰したいという野望を抱く。合間合間に海外文学やずっと追いかけている作家の新作も挟み込んでいきたい(たとえば、吉村萬壱とか絲山秋子とか)。
今年記憶に残った10冊
■『水車小屋のネネ』(津村記久子)
舞台は蕎麦屋とその裏にある水車小屋である。水車小屋にはオウムの仲間であるヨウムが住んでいる(たいへん長寿な鳥)。ネネはヨウムの名前だ。ネネをいろいろな人がお世話する。一章で十年が経過する。当然、章によって語り手は変化するが、みんながネネを通じてつながっている。川の流れがだんだん広くなっていく様子を眺めているようだ。登場人物がみんななにかしら苦しい過去を抱えていて、順繰りに助け合う。津村記久子は安定していいものを書くなあ。
■『神と黒蟹県』(絲山秋子)
営業職の女性、凡(なみと読むが、みんなにはボンちゃんと呼ばれる)が黒蟹県に異動を命じられ、引き継ぎのため退職する雉倉さんと得意先回りをするところからこの物語は始まる。黒蟹県は絲山秋子がゼロから想像した土地で、本には地図もついている。モデルがないからこそ自由になんでも書けるという部分があり、内容はかなり尖っている。あとは神様の出し方。神様はいろいろな人に変貌して出てくるのだけど、そのキャラがみんな軽くて、そこが新鮮だった。神は細部に宿るという言葉を地で行くような連作長篇。
■『みんなのお墓』(吉村萬壱)
目の付け所がいい。お墓。全裸の女性が深夜にオナニーをしているというイメージが鮮烈。冒頭を読んで「不穏だ」と思い、これまで吉村萬壱の小説で不穏でなかったものがあっただろうかと思い返した。なかった。それでもこの小説は群を抜いて不穏の気配が強い。情報が圧縮されている。展開が速い。物語密度が濃い。人間がふつうに行っていることがいかに異常なことであるかを突きつけられた思いがした。必読だけど猛毒の小説である。
■『はじめての橋本治論』(千木良悠子)
本邦初の本格的な橋本治論。こんなに重要な作家がなぜ論じられてこなかったかというと、その著作が膨大すぎるという点は置くとして、やはり論じるのが難しかったから手が出なかったからではないか。著者は橋本治のことを規格外の小説家だと言い切っている。私もそう思う。とくに初期の口語文体は素晴らしい。著者は中学生の自分が『桃尻娘』に出会い、いかに救われたかをこんな口調で語る。「『桃尻娘』は愚かで孤独な中学生に光を与え、知へと導いたのだ。読めるようになった「大人の本」の世界は広大だが、橋本治みたいに親切に手を取って啓蒙してくれた作家は他にいない。」。少なくとも『桃尻娘』にハマった人は必読であると思う。本書は小説だけに焦点を絞っているので、続々と後続の研究本が出て来てほしい。
■『ひらがな日本美術史』全七巻(橋本治)
私は美術にも歴史にも知識がなくて、こういう者を「無教養」者と呼ぶ。本書は「無教養」者を救ってくれる救済の書である。新潮社の「芸術新潮」に「日本美術史を書いてくれと頼まれ」一九九三年の七月号から二〇〇五年の十一月号まで、十四年間をかけて日本にあらわれた美術を俯瞰した。写真も豊富。毎回刺激的な内容で、私は気が狂ったようにメモをとった。歴史に残るのは結局のところ、こうした人の心を刺したアートであり、政治や経済ではない。この七巻の全集を読めば日本がわかる。
■『とんこつQ&A』(今村夏子)
今年はじめて出会った小説家でいちばん素晴らしかったのが今村夏子であった。寡作気味であり、作品数はあまり多くない。どれから入ってもいいと思う。『とんこつQ&A』にしたのは単純にいちばん面白いからだ。ラーメン屋で働くことになった「わたし」はコミュ症気味で、お客さんに話かけることはおろか、店にかかってきた電話を取ることもできない。ところが、喋るべきことがメモに文字として書いてあると、スムーズに声が出ることがわかる。そこから始まるQ&A暴走小説。よくこんな発想したと感心すると同時に、ディティールの見事さとエスカレーションの凄さに惚れ惚れする。
■『黄金夜会』(橋本治)
言わずと知れた尾崎紅葉『金色夜叉』のリメークである。新聞に連載され、作者の死後に出版された。死の直前までこんな凄いものを書き続けていたのかと思うと、取りあげざるを得ない。こうやってリメイクしないと、尾崎紅葉の名前すら忘れられてしまうのではないかという危機感が感じられる。完全な換骨奪胎で、話はいきなりタワーマンション五十三階での年越しカウントダウンイベントから始まる。お宮の職業はモデル。息もつかさぬ展開が見事。
■『怒りの葡萄 上下』(ジョン・スタインベック)
今年は古典を読もうと思って、とくに理由なく手を出したアメリカ古典文学がぐっさり心に刺さってしまった。トウモロコシ畑が全滅し、農民たちは葡萄畑で働く姿を夢見て、トラックを買い込み、カリフォルニアに向かう。その大移動をさまざまな視点から描く。悲惨きわまりない状況なのに、農民たちの心は明るく、どんな試練にも立ち向かう。おっかさんの家族を思うひたむきさには頭が下がる。貧困はこれからのキーワードだろう。ポジティブな精神に貫かれた「生き残り」小説の傑作。
■『バリ山行き』(松永・K・三蔵)
読書会のために読んだ芥川賞受賞作。作者自身、登山をする人だということで、山登りのシーンが素晴らしい。地上での会社勤めと、山での自由探求の構造が見事に造形されている。オモロイ純文学を目指しているというだけあって、リーダビリティの強さはピカイチである。「純文学なんて語感からして恐ろしい」と思って人にお薦めしたい。
■『源氏物語』(角田光代訳)
今年の大河ドラマ「光る君へ」は近来にない傑作だった。原作はなく、大石静のオリジナル脚本で紫式部を描いた。脚本、役者、演出の三拍子が揃うと、こんなに面白いドラマが生まれるという典型である。紫式部といえば『源氏物語』。1000年前に書かれた世界でも珍しい本格的な人間ドラマである。なぜ紫式部がこれを書いたのかというドラマを観たのだから、その作品を読んでみたいと思うのは自然だろう。『日本文学全集』の4巻から6巻に収められた角田光代の現代語訳を読んだ。クールな文体がウェットな物語にちょうどいい。
読書リスト
1月(7冊)
『曇天記』(堀江敏幸)、247ページ。
『オールドレンズの神のもとで』(堀江敏幸)、198ページ。
『東京の子』(藤井大洋)、384ページ。
『神と黒蟹県』(絲山秋子)、240ページ。
『傍らにいた人』(堀江敏幸)、258ページ。
『定形外郵便』(堀江敏幸)、249ページ。
『思いつきで世界は進む――「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと」(橋本治)、166ページ。
2月(9冊)
『殺しの四人』(池波正太郎)、282ページ。
『梅安蟻地獄 仕掛け人・藤枝梅安(二)』(池波正太郎)、358ページ。
『私的読食録』(堀江敏幸・角田光代)、342ページ。
『梅安最合傘 仕掛け人・藤枝梅安(三)』(池波正太郎)、361ページ。
『梅安針供養 仕掛け人・藤枝梅安(四)』(池波正太郎)、304ページ。
『梅安乱れ雲 仕掛人・藤枝梅安(五)」(池波正太郎)、360ページ。
『梅安影法師 仕掛人・藤枝梅安(六)」(池波正太郎)、264ページ。
『梅安冬時雨 仕掛人・藤枝梅安(七)」(池波正太郎)269ページ。
『掌の小説』(川端康成)、644ページ。
3月(7冊)
『水車小屋のネネ』(津村記久子)、494ページ。
『老人ホーム 一夜の出来事』(B・S・ジョンソン)、354ページ。
『入門 山頭火』(町田康)、237ページ。
『半暮刻』(月村了衛)、489ページ。
『ユートロニカのこちら側』(小川哲)、301ページ。
『中継地にて 回送電車Ⅵ』(堀江敏幸)、295ページ。
『小川洋子の偏愛短篇箱』(小川洋子編)、357ページ。
4月(7冊)
『みんなのお墓』(吉村萬壱)、180ページ。
『百間外伝 これくん風到来』(山本一生)、471ページ。
『あとは切手を、一枚貼るだけ』(小川洋子・堀江敏幸)、309ページ。
『はじめての橋本治論』(千木良悠子)、325ページ。
『公正的戦闘規範』(藤井大洋)、288ページ。
『わたしたちの怪獣』(久永実木彦)、302ページ。
『ひらがな日本美術史』第一巻(橋本治)、229ページ。
5月(5冊)
『日本幻想文学全集12 久生十蘭』(橋本治編)、250ページ。
『ある晴れたXデイに カシュニッツ短編傑作集』(マリー・ルイーゼ・カシュニッツ)、233ページ。
『ひらがな日本美術史』第二巻(橋本治)、237ページ。
『顎十郎捕物帳』(久生十蘭)、100パーセント。
【『橋本治「再読」ノート』(仲俣暁生)、80ページ。
6月(9冊)
『ひらがな日本美術史』第三巻(橋本治)、261ページ。
『森林通信 鷗外とベルリンに行く』(伊藤比呂美)、190ページ。
『新顎十郎捕物帳』(都筑道夫 イラスト:橋本治)、196ページ。
『ひらがな日本美術史』第四巻(橋本治)、193ページ
『生きる演技』(町屋良平)、357ページ。
『ひらがな日本美術史』第五巻(橋本治)、207ページ。
『首里の馬』(高山羽根子)、202ページ。
『ひらがな日本美術史』第六巻(橋本治)、207ページ。
『むらさきのスカートの女』(今村夏子)、211ページ。
7月(11冊)
『ひらがな日本美術史』第七巻(橋本治)、236ページ。
『あひる』(今村夏子)、172ページ。
『木になった亜佐』(今村夏子)、190ページ。
『失われた近代を求めてⅠ 言文一致体の誕生』(橋本治)、245ページ。
『とんこつQ&A』(今村夏子)、220ページ。
『失われた近代を求めてⅡ 「自然主義と呼ばれたもの達』(橋本治)、245ページ。
『失われた近代を求めてⅢ 明治二十年代の作家達』(橋本治)。
『父と私の桜尾通り商店街』(今村夏子)。
『貝の続く場所にて』(石沢麻依)、151ページ。
『緩やかさ』(ミラン・クンデラ)、174ページ。
『新時代の話す力』(尾形憲太郎)、319ページ。
8月(12冊)
『しょーもない、コキ』(眉村卓)、241ページ。
『星の子』(今村夏子)、220ページ。
『蛙鳴』(莫言)、476ページ。
『名場面でわかる 刺さる小説の技術』(三宅香帆)、260ページ。
『「書く」ってどんなこと?』(高橋源一郎)、85ページ。
『黄金夜会』(橋本治)、424ページ。
『自転しながら公転する』(山本文緒)、664ページ。
『尾崎紅葉の「金色夜叉」』(山田有策)、255ページ。
『そして私は一人になった』(山本文緒)、250ページ
『怒りの葡萄 上』(ジョン・スタインベック)、447ページ。
『怒りの葡萄 下』(ジョン・スタインベック)、332ページ。
『再婚日記 私のうつ闘病日記』(山本文緒)、282ページ。
『武器よさらば(上)』(ヘミングウェイ)、273ページ。
『武器よさらば(上)』(ヘミングウェイ)、308ページ。
9月(7冊)
『カフカ・セレクションⅡ』(フランツ・カフカ 柴田翔訳)、315ページ。
『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈)、201ページ。
『成瀬は信じた道をいく』(宮島未奈)、199ページ。
『サンショウウオの四十九日』(朝比奈秋)、144ページ。
『バリ山行き』(松永・K・三蔵)、168ページ。
『源氏物語 上』(角田光代)、689ページ。(「日本文学全集 04」)。
『源氏物語 中』(角田光代)、660ページ。(「日本文学全集 05」)。
10月(6冊)
『斜陽』(太宰治)、青空文庫。
『正義と微笑』(太宰治)、青空文庫。
『文学 2024』(日本文藝家協会編)、346ページ。
『筒井康隆の文芸時評』(筒井康隆)、203ページ。
『文学 2023』(日本文藝家協会編)、345ページ。
『源氏物語 下』(角田光代訳)、637ページ。(「日本文学全集 06」)。
11月(3冊)
『文学 2022』(日本文藝家協会編)、363ページ。
『文学 2021』(日本文藝家協会編)、325ページ。
『日本文学全集01 古事記』(池澤夏樹訳)、397ページ。(「日本文学全集 01」)。
12月(2冊)
『文学 2020』(日本文藝家協会編)、318ページ。
『文学 2019』(日本文藝家協会編)、301ページ。
計、85冊。
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