デジャヴがすごい
この1年、発作が治まっているために、自分が障害者だという自覚すら失いかけているのだけれど(一方で、がん患者であるという認識を持ち続けていた)、発作が続いていた時期はデジャヴがすごかった。
「既視感」というやつだ。
「あれ? この前見た状況じゃなかったっけ?」と記憶を振り返る。
でも、いざ振り返っても心当たりがない。手探りだけが残る。居心地の悪い感覚。それが意識減損の目眩に重なるから、30分ほど横にならないと意識がもとに戻らなくなる。
側頭葉てんかんの症状にある「海馬の硬化」というのは、自覚がない。記憶の低下は年齢相応なのかなとも思うし。あるいは、服薬による精神的な緊張感を失ったところから来る振れ幅のない意識のためかも。
でも、それも、この1年で変わった。
抗癌剤治療をしている間、つまりは休職中に、担当医に無断でリボトリールを1/4まで減らした。一気にではない。徐々に。そしたら、気持ちが晴れやかになった。そして、悲しくなった。自分は障害者であり、がん患者なのだと実感が湧いてきて涙が溢れてくるようになった。薬の効果がなくなってきたら、人間らしくなった。
それまでやる気のない生活を続けてきたのに、リンパ腫で10キロも体重を減らしながらも気持ちは前向きになって、あれこれとやりたいことが出てきた。そこでやれることは限られていたけれど、自分で判断できることは前向きに進めることができるようになった。
その一つは退社。
障害をオープンにしても待遇が変わるわけでもなかった小規模な会社からははずれようと。そう、自分はステージ4まで行ったがん患者だったんだよ。もう無理するのはやめよう。障害者として生きていけばいいじゃないかと。
デジャヴのない日々のなかで、現実は毎日、日めくりカレンダーみたいに訪れてくる。
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