39. 五丁目の盗賊
いま思えばということはわりと多くてというか、どうしたってその場でわからないものが未来から過去を見た時にわかるというか、そういうことだったんだなと思うことは多い。なんでか最近よく目にする親の財布からお金を盗んでとか、カードを勝手に使って課金してとか、その行為が悪い事だと言えば確かにそうではある、なんていうのか大人が作った環境や営利目的で子どもが苦しくなっていくのはそれもそれでなと思うところではある。目の前に楽しいことがあるのに我慢をし続けるのに限界はあるし個人差もある、大人だって依存症みたいのは多々あって簡単には抜け出せないし、自分が子どもの頃なんて現実逃避的な部分も大きくあったように思える。ただそれを得るためにしていたことは、こんなものじゃなくて最低の極みだった、それでもそうしなかったら生きていけなかったのかもしれない、良し悪しは悪しだよ。
そういうのも中学になったらなぜか落ち着いた、特に楽しかったとも言えない、ゲームしなくなったわけでもないし、けどもう世界が違ったんだろう。そこまでの執着で逃避しなくてもいい何かがあった、きっと。別に教育の成果でもなければ、周囲の環境が良くなったわけでもない、どちらかといえば悪くなったような、もっと悪いのいっぱいいた。でもここらへんで盗みとかがカッコ悪いと思ってはいた気もする。ださいことはしたくないみたいな。そこからもう少し歳を重ねて、お金を稼ぐようになると、お金を稼ぐのは大変だと言われ続けてきたけど、1万稼ぐのってそんなに大変じゃなくね?と思ったりする。大金を稼ぐとか、生活をしていく中で余裕のある1万円とかは中々に大変ではある、でも欲しいものを手に入れるためだけに稼ぐ1万は我慢するよりもよっぽど楽だった。この当時の周囲も盗みとかはしなくなってた、多くはそんなに心配しなくてもそんなもんなんじゃないのかな。もちろん突き抜ける人もいるし、状況によりけりで何とも言えないところもあったりなかったりではあるものの。
三丁目の夕日みたいな時代に生まれていたら、そんなこともなかったのかな、額が小さいだけで状況は一緒か、ただ自分の時代、物を得て満足ができたからましだったのかもしれない。ゲームの課金なんてギャンブル依存症みたいなもんよね、環境自体を考えなきゃいけないし、そこにある痛みや苦しみも理解していかなきゃいけないんじゃないかと思う。綺麗事や正論をぶつけるばかりではどうにもならんよね。