発売から40年以上謎が解かれていない「謎とき本」があるらしい
アメリカで出版され、当時ベストセラーになり、何十万という人間が挑戦したにも関わらず、未だにその謎が解かれていない謎解き本がある――。
そう聞くと「一体どんな謎なんだ」と気になる方も多いかと思います。この、とある謎解き本にまつわる話が長い年月を経て現代のフォークロアみたいになっていて、非常に興味深かったので記事にまとめてみました。
どんな本なのか?
本は「妖精の宝箱」と言うタイトルで、1983年に二見書房から出版されました。
原著は英語で書かれており、写真の本は日本国内向けに翻訳出版されたものになります。
その原著は「THE SECRET」というタイトルで発行されていて、仕掛け人はByron Preiss(バイロン・プリース)氏。「全米を舞台にした巨大な宝探しを企画したい」という発想から制作された、いわゆる謎解き本の一種です。
仕掛けがかなりセンセーショナルかつ大規模であったため、当時マスコミでも多く取り上げられ、全米のベストセラーになったそうです(実際の発行部数は不明)。
本書に記された「謎」とは
裏表紙にこう書かれている通り、本書には12枚の絵と、12篇の詩が収録されています。
その絵と詩は1枚と1篇づつが対になっており、それぞれの謎を解くことによってある「場所」を特定することができる。そしてその場所を採掘すれば、宝物を手に入れることができる…。
本によれば、実際に埋まっているものは「宝箱に入れられた鍵」であり、その鍵を出版社宛に送付すると賞品として宝石がプレゼントされる、といったものだったようです。
仕掛け人であるバイロン氏は、この本の発行にあたり実際に1年かけて全米を回り、12個の宝箱を地中に埋めたそうです。
かなり大掛かりな仕掛けだったことがわかります。
ただ問題は、宝探しの舞台がアメリカ大陸全土に渡るため、仮に謎が解けたとしても実際の採掘までのハードルが高すぎることですが、「宝箱の正確な位置を手紙に書いて送り、それが正解だった時も宝石を受け取る権利が与えられる」というフォローもあったようです。
これについては日本語翻訳版でも同様の措置が取られていて、推理を国際郵便で送れるように、エアメールのとじ込み付録まで付いています。実際に日本から推理を送った人も結構いたのかもしれません。
謎は解かれたのか
前に書いた通り、この「THE SECRET」という謎とき本はベストセラーになり、大きな話題を呼びました。
数多くの人が謎解きに挑み、各所が採掘され、その様子が連日新聞や雑誌を賑わすほど宝探しがブームになったそうですが、宝箱はなかなか発見されませんでした。
そして…ついに最初の宝箱が発見されたのです。本の発売から約2年経った、1983年8月のことでした。
最初の謎が解かれるまでに2年を要したというのも驚くべき話ですが、「本当に宝箱が埋まっていた」というのも驚きを持って伝えられたようです。
宝箱が見つかったのは、イリノイ州シカゴのとある公園の地中でした。
透明なケースの中に宝箱が収められており、宝箱の中には鍵もしっかり入っていました。発見したグループには賞品として時価1200ドル相当(当時)のエメラルド1つが贈呈されたとのことです。
最初の発見はどのようになされたのか
では、肝心の「絵と詩に隠された謎」とはどのようなものだったのか。
既に謎が解かれた宝箱について、絵と詩を見ていきたいと思います。
以上が「シカゴの宝箱」のありかが隠された「絵」と「詩」です。
本書に収録された12枚の絵と12篇の詩は、それぞれ対になったものではありますが、どの「絵」と、どの「詩」がセットになっていて…ということまでは書かれていません。それは自分で解明する必要があるというわけです。
また、これまでの謎解きの過程で、12枚の絵が大まかな都市を、12篇の詩が細かい埋蔵位置を、それぞれ指し示していることがわかっています。
改めて絵を見てみましょう。
注目すべきポイントに注釈を打ってみました。
簡単に解説します。
左上にある射手、そして、右上の風車が描かれた塔。
この2つは、シカゴ市内に全く同じ建造物が存在することが確認されています。
この2つ、よーーく絵を見ないとわかりませんが、たしかに「これで間違いない」と断言できるくらい形状が酷似しています。仮に似たような建物が他にあったとしても、この2つの建造物が同時に存在するのは広大なアメリカ全土でもシカゴしかなかったというわけです。
さらにダメ押しで、絵に描かれた亜人が右耳につけているイヤリングの形をよく見てください。
…いまいち分からない?じゃあ上下逆さまにしてみましょうか。
そう、勘の良い方はお分かりかもしれませんが、雄牛(bull)の形をしているように見えますね。bullといえば、シカゴを本拠地にしているNBAチームのシカゴ・ブルズがあります。
これで「この絵が指し示している都市はシカゴだ!」と確定できたわけです。
さらにもう一つ、絵の右下に緑色の宝石が見えますが、これが謎を解いた者に与えられる賞品ということになります。宝石は、12枚すべての絵に一つずつ描かれています。
さて、絵の謎を解くことで宝箱がシカゴにあるということはわかりましたが、じゃあシカゴの一体どこに埋まっているのでしょうか。
肝心なのはそこで、一口にシカゴといってもかなり広く、シカゴ市の面積は東京都とほぼ同じです。やみくもに探すわけにもいきません。そこで必要になるのが、対応する詩の解析になるわけです。
12篇の詩のうち、どれがこのシカゴに対応するのかすら分からないわけですが、突破口となったのが「第12の詩」のこの部分です。
先ほど、絵の中に「射手の像」が描かれていて、それはシカゴに存在する建造物であると書きました。この詩の謎を解いたグループは、「MとB」を「Men」と「Beast」ではないかと解釈したのです。
たしかにこの絵の元となった射手の像は、人と馬で構成されています。
この像がどこにあったかというと…
シカゴ美術館近くにある、グラント・パークと呼ばれる公園の中でした。
これ以外にも、絵の中にグラント・パークを指し示すヒントがあり、ここまでの解読でグラント・パーク内に宝箱があることはほぼ確定と言える状況になってきました。
が、まだまだ問題は続きます。グラント公園の面積は約129ヘクタールで、実に東京ドーム27個ぶんの広さがあります。この中から小さな宝箱を見つけないといけないわけですから、さらに詳細な手がかりが必要です。
そのヒントは、もちろん詩の中に隠されているはずです。
「Lはすわり…」
この「L」とはなんでしょうか。
詩の謎を解いたグループには心当たりがありました。グラント・パークにまさにこの答えがあったからです。
エイブラハム・リンカーン(ABRAHAM LINCOIN)の坐像。まさに「L(LINCOIN)はすわり…」を指しています。このリンカーン像の近くに宝箱が眠っているはず、そうグループは考えました。
さらに解読は進みます。
「Lはすわり、左」「彼の肩のむこうに」つまり、リンカーン像を正面から見て「左肩の向こう側」、方角で言うと北西方向に宝箱があるのではないか?
ある程度あたりを付けた解読グループはこのエリアの採掘を始めましたが、なかなか宝箱は出てきません。それもそのはずで、このエリアに限っても相当な広さがあります。当てずっぽうに掘ったのでは埒が開かない。
さらに場所を絞る必要があるのですが、何か目印になるような手がかりはないだろうか…。
※ここからは、これを書いている私の推理も含まれています。
手がかりになりそうなものがいくつかあります。
まずは上記引用3行目の「柵」。リンカーンの左肩の向こうのエリアにはたしかに柵があります。
リンカーン像のすぐ西には「Van Buren Street」という駅があり、シカゴ市内を走る地下鉄の終着駅になっています。公園と線路を隔てる部分に柵が設けられているのです。
この柵の形、よく見ると絵の中にも似ている部分があります。
さらに詩を読み進めると、「ごろごろという音」は電車が走る音、「静けさ」はこの駅が路線の終着駅であり、電車が停止する際の静けさとも読み取れます。「10×13」は、柵と柱の数ではないか…?
これらを手がかりに採掘を進めた結果、かくしてついに、宝箱は本当に掘り当てられたのです。
宝箱は、リンカーン像の左肩の向こう、路線敷と公園の境に設けられた柵の、一番北側の根本あたりから発見されました。ほぼ詩の通りに隠されていたことになります。
宝箱には本に書かれている通り鍵が入っていて、発掘グループはこれを著者の元に発送、約束どおり賞品としてエメラルド一粒を受け取りました。
2番目の発見
次に宝箱が発見されたのは、なんと最初の「シカゴの宝箱」発掘から21年後、2004年の3月でした。
20年近くも謎を追い続けた執念には頭が下がります。
この宝箱はクリーブランドから見つかったため「クリーブランドの宝箱」と呼ばれていますが、その謎がどうやって解かれたかについては長くなるので割愛します。私の感想としては「よく見つけたなぁ」だったので、この謎も相当複雑なのは間違いありません。
もちろん、この発掘者も賞品として一粒の宝石を受け取っています。
バイロン氏の死去
2つ目の宝箱が発見された翌年の2005年7月、衝撃的な出来事が起こりました。
本書の仕掛け人であるバイロン・プリース氏が52歳の若さで亡くなったのです。
(訃報を報じるNYタイムズへの記事リンク→https://www.nytimes.com/2005/07/11/nyregion/byron-preiss-52-digital-publishing-pioneer-dies.html)
この本の謎はすべてバイロン氏が考案しており、またその答えを誰にも伝えていなかったため、謎の解答=宝箱の隠し場所を知る唯一の人物がこの世からいなくなってしまったことになります。
宝箱探しを続けることは絶望的になったと皆が思いました。
そんな絶望のさなか、手がかりを知る人物として、本書のイラスト(12枚の絵)を手掛けたジョン・ジュード氏の名前が挙がります。
彼は、仕掛け人のバイロン氏から全米各所の写真やメモを受取り、指示に従って絵の中にそれらを巧妙に隠し、作品を仕上げていたといいます。
「つまり、ジュード氏は宝箱のありかを知っているのではないか…?」
その質問に対し、氏はこう答えます。
「資料はすべてなくしてしまったし、昔のことなので忘れてしまったよ。それに、答えを知っていたとしても絶対に言わない!彼(バイロン)と約束したんだ」
生前にバイロン氏と交わした固い約束。素晴らしいお話ですよね。
しかしやはり、謎は自力で解かねばならないようです。
また、バイロン氏には残された家族(妻と二人の娘)もいて、本にまつわる権利や、遺された賞品の宝石はこの家族が管理を引き継いでいます。
宝箱の正確なありかを知る者がいなくなったとは言え、実際に宝箱が掘り出され、鍵が発見された場合には、彼の遺族から宝石を受け取ることができます。
この謎は、バイロン氏が亡くなった後も生き続けているのです。
3番目の発見
バイロン氏の死後も宝箱の捜索は続けられましたが、次に発見されたのは「クリーブランドの宝箱」の採掘からさらに15年後、2019年10月のことでした。
絵と詩の謎を解いた人物が、宝箱が埋蔵されていると推測されるボストン市内の公園に赴いたところ、なんと施設取り壊しの真っ最中。
慌てて工事を担当する事業所に掛け合い、工事をストップするよう必死の説得を試みます。
しかし、事業者からすれば「宝箱が埋まっているかもしれない」という赤の他人の妄言じみたものを信用するわけにもいきません。採掘は絶望的かと思われましたが…。
なんと工事作業中、あるものが現場から発見されたのです。
地中から発見されたのは数個の陶器の破片。時計のように書かれた数字と、特徴的な顔のシンボル。これまで発見された宝箱の蓋のウラ側と酷似しています。粉々になってはいますが、間違いなく埋設された宝箱の破片です。
しかし、中に入っているはずの鍵が見当たりません。
工事の責任者は一時的に作業をストップするように命じ、今回工事差し止めを求めた人物立ち会いのもと、鍵を探すために総出で採掘を行いました。
そしてついに、鍵が発見されたのです。
かくして「ボストンの宝箱」の謎は解かれ、約38年の時を経て、鍵がバイロン氏の遺族の元に届けられました。
発見者には本の約束通り、賞品として一粒のペリドットが進呈されています。
残された9つの謎
こうして12個の謎のうち、シカゴ、クリーブランド、ボストンの3つの謎は解明されましたが、これを書いている2024年4月現在、残り9つはまだ未解決のままです。
つまり残りの宝箱は、アメリカのどこかで発見されるのを未だに待ち続けているということになります。
謎解きや採掘にあたり、新たな問題も持ち上がってきています。
まずひとつは、40年という長い年月が経っていること。
これまでの3つの宝箱がすべて公園から発見されていることから、残りの9つに関してもおそらく公園にあるだろうと推測されています。
これは、原著の注意書きに「埋蔵されているのは、生命の危機にかかわる場所(鉄道線路や高速道路など)、公私を問わず花壇、本書に関係した者、その家族、友人の私有地ではない場所」と明示されていること、また、容易に立ち入ることができ、かつ掘削ができるところは公園以外にはあまり無いということからも分かります。
ただし、公園でも取り壊されることはあるでしょうし、なんらかの施設の新設や移動があれば、工事の際に地面を掘り返してしまう可能性もあります(ボストンの埋蔵現場がまさにそれでした)。
もし宝箱が埋設された場所にそのようなことが起これば、発掘は絶望的になってしまいます。
また、そこまでの施設の変更が無かったとしても、絵や詩に描かれたヒント(建造物や地形)が長い年月の間に取り壊されたり、変わってしまったりすることも十分考えられます。そうなれば、埋蔵箇所にまつわるヒントは意味を成さなくなります。
第2に、採掘の許可の問題があります。
公園は公の場所であり、誰でも立ち入ることができますが、それでも好き勝手に掘っていいというものではありません。それぞれの公園ごとにルールがあり、管理者の許可を得てから採掘するという手続きが必要です。
公園によっては採掘許可が出るまでかなりの時間を要するケースもあり、これも謎を解く上での障害になっているそうです。
もっとも、仕掛け人のバイロン氏が宝箱の埋設に許可を得ていたのかどうかはわかりませんが…。
世界中の人が謎ときに挑戦したにも関わらず、まだ大多数が未解決なのは以上のような理由があると思われます。
和訳版が残した「最後のヒント」
話を少し戻します。原著「THE SECRET」は1981年に発行され、その後1983年に日本語版として「妖精の宝箱」が発行されるわけですが、その翻訳作業に関して面白いエピソードがあります。
本書の翻訳は真崎義博さんという翻訳家の方が手掛けているのですが、翻訳作業にあたり大変にご苦労された部分があるそうです。
それが「12篇の詩」の部分で、「文章の中にヒントが隠されている」という特性上、翻訳は慎重にならざるを得ず、ひとつの単語を取ってもどのように解釈すべきか非常に迷った、というニュアンスの記述があります。
真崎さんはどうすべきか考えた末、原著の英文と、日本語訳文を併記するという形で詩を掲載しました。
さらに、本書の仕掛け人であり謎の答えを知る人物、バイロン氏に国際電話をつなぎ、それぞれの詩について「ヒント」を教えてもらうことに成功したのです。
さて、バイロン氏から直々にもたされたこのヒント…宝箱を追い求める人にとってどれだけ貴重な情報かお分かりいただけるでしょうか。
実はこの本、原著の英語版以外には、この日本語版しか翻訳・出版されていません。当然ながら原著にはヒントなど1文字も記載されていませんし、この日本語版に掲載されたヒントが唯一の公式な手がかりになるわけです。
日本語版発売当時、多くのトレジャーハンターがこの本を求め、入手するためにわざわざ来日した人もいたそうです。
日本語版が発売されたのが1983年3月、最初の宝箱が発見されたのが1983年8月ですから、この日本語版に掲載されたヒントが宝箱発見の大きな手助けになった可能性は十分考えられます。
唯一の翻訳版に記された、仕掛け人自らが伝えたヒント――。
これも非常に興味深いお話だと思います。
もっとも、この日本語版はあまり発行されていない(少なくとも重版を確認できていない)ようなので、当時でもこの本にまつわる話を知る人はそれほど多くないのかもしれません。
謎はまだ生きている
さて、ここまで本書の誕生から現在に至るまで何が起きたか、時系列を追って書いてきましたが、12の謎のうち9つが未解決であり、アメリカのどこかに宝箱がまだ眠っているのは紛れもない事実です。
40年という年月が経ち、地形の変化や施設の変更等で実際の採掘が極めて困難になっている可能性はあるものの、その夢とロマンを追い求め、今も世界中の人たちが謎解きに挑戦し続けています。
仕掛け人であるバイロン氏は既にこの世を去ってしまいましたが、「人々が宝箱を追い求める限り、バイロンの魂は生き続ける」と遺族の方が語っていたのが印象的でした。
日本に住んでいる方がこの謎にアクセスすることは、本が絶版になっているため非常に困難ではありますが、機会があればこの謎に触れ、謎解きに挑戦してみてはいかがでしょうか。それをバイロン氏やその遺族の方も望んでおられると思うのです。
(追記)
現在、英語版の原著「THE SECRET」のkindle版を購入することができます。
日本語版「妖精の宝箱」は絶版となっていますので、読むためには実際の本を手に入れるしか方法がありませんが、英語版に触れたほうがより謎の答えに近づけるかもしれません(和訳のニュアンスが正確かどうか不明であるため)。
最後に
今回のノートをまとめるにあたり、以下のサイトを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
https://12treasures.com/