東京Eggストーリー②/エッグベネディクト×パンプキン×戦争
今年はなぜか「戦争」とつながってしまう。レストランで念願のエッグベネディクトのモーニングを食べた後、私は、東京駅から錦糸町に移動し、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂1丁目5-4)へ向かった。
東京大空襲・戦災資料センターに来たのはこれで二回目だが、今回、私が興味深く見たのは、空襲で崩れたカテドラル関口教会の写真だった。
去年の8月6日広島忌、私は東京の新宿区経王寺で行われた作家・田口ランディさんの講談風「原爆が落とされるまで」のイベントに参加し、その帰りに関東ではなかなか手に入らないハードトーストを買いに関口フランスパン屋へ寄った。関口フランスパン屋は、関口教会の経営していた孤児院の子どもたちに何か文化的な職業を身につけさせようとして、パンの製造を始めたのがルーツである。
パンの香りは幸せな気持ちで心を満たしてくれる。関口フランスパンでパンを買い、近くにある関口教会へ移動すると、西日に光る東京カテドラル聖マリア大聖堂がとても美しかった。東京カテドラル聖マリア大聖堂を設計したのは、広島の平和都市計画に参加し、広島平和記念資料館を設計した建築家の丹下健三だ。澄んだ空を見上げながら、東京からヒロシマのことや平和についてをしみじみと思った。そんな思い出が浮かんでくるので、空襲で破壊された関口教会の写真はより痛ましくてならなかった。
どうも私は、戦争と食べ物の接点を引き寄せて考察してしまう傾向があるようだ。子どもたちへ戦争をテーマにしたお話会を開催したときも食べものを介して、展開する構成にした。これは、味覚ならエピソード記憶となって忘れないだろうという願いと、いちばん身近で日常的で共感できるのは食べ物なのではないか、と考えたからだ。
この発想は、自分の暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたいという気持ちを大切にしていた雑誌「暮らしの手帖」創刊者・花森安治さんへのリスペクトも込めている。
◆ 累卵(るいらん)たる世界の片隅で
ひと通り展示を観てから、図書コーナーで「東京大空襲・戦災誌 第4巻 報道・著作記録集」( 東京空襲を記録する会) の本を見つけ、本の中に7月20日のパンプキン爆弾のことが新聞記事になっているかどうか調べてみた。もしもあったらすごいな。そう思って、どきどきしながら、ページをめくっていくと・・・
記事を引用する。
「二十日午後八時半ごろ突如帝都に侵入したB29一機は折からの通勤混雑時を狙ったかのごとく、市街地の一部に対して僅か一発の爆弾ではあったが恰も奇襲と思える攻撃を加えた(中略)この日の一発の爆弾でも相当広範囲に爆風被害を及ぼしており、とんでもない場所の窓ガラスが破砕されている・・・」
あった、あった。続きも一部引用する。
「二十日朝、偵察と見せかけて帝都に侵入したB29一機が、突如都心の一角には爆弾を投下したことは油断大敵の戦訓だった。たまたま焼跡の水中に落下しため、弾種について確定的判断を下すことはむずかしいが、その後調査の結果その破壊力や爆風による被害の範囲などから推して少なくとも五百キロ級以上の相当高性能のものであるらしいことがわかった、あれこれと目先をかえる敵の手口に豪も恐れ慄く必要はない(中略)備へあるところ一トン級爆弾といへども何らたじろぐところではない・・・」
なかなか興味深い見解である。しかし、この分析は間違っている。パンプキン爆弾は500キロ級でも1トンでもなく、46トン級だ。 規模が違う。
もしも、タイムマシーンがあるのなら1945年7月の東京へ行き、この記事を書いた新聞記者に本当のことを教えてあげたい。
「それは人類に向けて初めて落とされる非人道的兵器、原子爆弾の練習用爆弾なんですよ。その12日後に、原子爆弾投下の本番が実行されるんですよ」と。
閉館時間になり、館を出ると、外は日暮れて薄暗かった。館の前にあるブロンズの女の子の像に目をやると、ひまわりに水をあげている女の子の像の後ろに、ひびの入った卵があった。調べてみると、これは、「今にも壊れそうな平和」と「本当の平和の誕生」を表現し、卵にかけてあるリボンは「これ以上壊れないようにするための包帯」と「誕生を祝福するリボン」を表しているそうだ。
今回のドラマツーリズムは、偶然にも卵から始まって卵で終わるという不思議な展開になってしまった。今の世の中を例えるならば「危うきこと累卵(るいらん)の如し」と、言えてしまう。国と国がデリケートな卵のように重なりあい、いつ崩れるかわからない非常に危険な状態にある。そう思うと、リアルに怖くなってしまう。
だからこそ、世界の片隅から祈る。どうか、どうか、と。 【了】
(2018年10月 記)