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本とごはんと実験ちゃん   【太宰治「女生徒」ロココ料理編】

◆太宰治 『女生徒』
1938年(昭和13年)9月に女性読者の有明淑(ありあけしず)(当時19歳)から太宰のもとに送付された日記を題材に、女生徒が朝起床してから夜就寝するまでの一日を主人公の独白体で綴られた短編小説。作品の中の一文、「キウリの青さから夏がくる」は有名。『走れメロス』新潮文庫他、収録。

「ロココ料理」である。北村薫さんは小説『太宰治の辞書』(新潮社) の中で「このロココ料理のために、ヒロインの造形があり、全体があるといっても過言ではない」と登場人物に語らせている。太宰治の『女生徒』は、有明淑から送られた日記が元になっているが、作品の冒頭と終結部、ロココ料理のシーンは太宰の創案だ。それを考えると、このロココ料理のシーンは面白い。

『太宰治の辞書』では「ロココ」という言葉が「華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていた」と小説で語られていることから、当時、太宰が使っていた「辞書」を探していく物語だ。この発想と推理の視点は個人的にかなりワクワクする。

しかし、わたしは、言葉よりもこの太宰考案の「ロココ料理」自体が気になってしまった。テキストから読み取った視覚イメージを実際の形にするのは難しい。いや、愉しい。ならば、「実験」開始なのである!!

「あ、そうだ。ロココ料理にしよう。これは、私の考案したものでございまして。お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。卵のかげにパセリの青草、その傍に、ハムの赤いサンゴ礁がちらと顔を出していて、キャベツの黄色い葉は、牡丹の花弁のように、鳥の羽の扇子のようにお皿に敷かれて、緑したたる菠薐草は、牧場か湖水か。こんなお皿が、二つも三つも並べられて食卓に出されると、お客様はゆくりなく、ルイ王朝を思い出す。」 太宰治 『女生徒』より抜粋

 

△女生徒/ロココ料理実験

小説の文章から、材料のほうれん草・ハム・卵・パセリ・キャベツを用意する。お皿は蚤の市でも売られていた昭和レトロの皿をあえて準備。

文章の通りに想像して配置していく。わたしにデリカシイが足らないせいなのか、どこかお好み焼きに見えてしまう。ハムが珊瑚礁に見えない。ほうれん草の配置は明らかに違うと思うけど、牧場か湖水のように見せようとしたらこうなった。

マヨネーズをかけてみた。しかし、当時、マヨネーズは一般的でない。飾ってみて、なんとなく恥ずかしくなってきた。「お台所に残って在るもの一切合切いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ」という文言には合いそうだけど。

しかし、客人合わせて食堂には5人。ひとりひとりに出したと小説の文章にあるので一皿づつ出したとしたら、こんな盛り付けで分量はこれくらいかと分析。

これなら、ありがちなで、昭和っぽさも出てきたけれど、これは決してロココではない。ちなみに、何をかけて食べたかわからないので、味の素をかけてみた。色味が地味なので胡椒もぱらり。しかし、これでは普通すぎる。

「色彩の配合について、人一倍、敏感でなければ、失敗する」そうなので彩にプチトマトを加えてみた。ハムは珊瑚礁と貴族の扇子のイメージとし、とにかく自由に考えてみる。平成の女生徒ならこう盛るわよ、令和の女学生だって味よりインスタ映えよ、と思い、大胆に。ここまでやれば恥ずかしくもない。なおプチトマトが流通するのは昭和50年以降だから、当時のひとたちは存在すら知らないだろう。『女生徒』は昭和13年の話であり、思えば80年前の話だ。驚愕である。

さて、調子づいてきたので実験も佳境へ。もしもわたしが台所にあるもので「いろとりどりに、美しく配合され」「たいへん豪華なご馳走のように見える」「幻惑させる」ロココ料理を作れと言われたらどんなメニューを考えるか。自分なりに考えて作ってみることにした。

自分なりにロココ料理をイメージしようとすると映画『マリーアントワネット』が浮かんでくる。映画の中に出てきたアスパラやマカロンタワーをヒントに構成してみた。桜桃もシュークリームもカナッペも添えてみた。わたしの中のロココは、こんなイメージだ。

あ、悪のりしすぎて話が脱線してしまったので、元に戻す。ヨイショ、

小説では、ロココ料理のほかに「大きいお魚は、どうするのだろう。とにかく三枚におろして、お味噌につけて置くことにしよう。そうして食べると、きっとおいしい。料理は、すべて、勘で行かなければいけない。キウリが少し残っているから、あれでもって、三杯酢。それから、私の自慢の卵焼き」とあったのであわせて作ってみた。「お箸とお茶碗」の表記もあるので和食の構成。こうして並べてみると、「ルイ王朝」と思っていたのは主人公だけかも知れないと思った。

なお、今の感覚でテキストを読み解くと「ロココ料理」のキャベツは生のイメージになるが、当時、キャベツはメジャーな野菜ではなくてあまり流通もしていなかったと聞く。生野菜のサラダを食べるようになったのも戦後からということなので最後の皿のキャベツは茹でてみた。これなら醤油にもあう。なお、「自慢の卵焼き」がスクランブルエッグのようになってしまったのは、連日の実験で材料を使い果たしていまい、卵が一個しかなかったからである。

ロココ料理の研究は、「料理して、あれこれ味をみているうちに、なんだかひどい虚無にやられた」「あらゆる努力の飽和状態」の立証にもなった。わたしのこの実験も「窮余の一策」かも知れず。否、「華麗のみにて内容空疎の装飾様式」にはあっているかしらん。

まとめ/今回の実験でわかったこと

わたしは、太宰治の戦時中の小説を読むとき、うっかりと今の生活感覚のみで読んでいたことに気付いた。小説は、文学としての純粋な楽しみとは別にその「時代」の空気を缶詰みたいに後世に届ける役割もある。それは、歴史の教科書とは別の名もなき市民の暮らしを五感で感じられるようなものだ。

紙幅の都合により、今実験の一部しかお伝えできないが、この一編の小説からあらゆる「問い」が生まれ出たのは面白かった。太宰治の小説から日本の食の歴史のシッポを踏んでしまったようだ。

『女生徒』を巡る食と太宰のクロニクル】
1938年/昭和13年                                    4/1 国家総動員公布                              8月 有明淑、日記(4/30~8/8分)を太宰に送る・白米食廃止運動広まる       9/18  石原美智子とお見合い                     11月 太宰、石原美智子と婚約

1939年/昭和14年                                    1/8 井伏鱒二宅で太宰、石原美智子と結婚式をあげる               2月 有明の日記受け取る                             4月『女生徒』(文学界)発表 
11/6 米の配給制実施                       11/25 7分づきを強制する規則公布                      12/1 白米禁止令施行 ☆スローガン「飲んでて何が非常時だ」

1940年/昭和15年                             4/7 全国て毎月2回の肉なしデー始まる                5/10 毎週1回節米デー始まる ☆スローガン「贅沢は敵だ」
7/7 奢侈品等製造販売制限規則(贅沢禁止令)             8/1 東京府の食堂・料理店での米使用禁止

1941年/昭和16年                             11月 太宰、文士徴用も胸部疾患のため免除              12/8 真珠湾攻撃 米英両国に宣戦布告。太平洋戦争始まる

1942年/昭和17年                                 食糧管理法が制定され、酒造米も配給制へ

★主な参考・引用資料★
太宰治「女生徒」『走れメロス』 新潮社 1967年
北村薫『太宰治の辞書』新潮社 2015年
佐藤美奈子『戦下のレシピ』岩波図書 2015年
☆彡
映画『マリーアントワネット』 ソフィア・コッポラ監督 2007年公開

▲2017年のダザイベートに配布したフリーペーパーのテキストを再編集したものです。「本とごはんと実験ちゃん」はシリーズ化していきます。