「バイアス」というバイアス: バイアス概念濫用の危険性
認知バイアスという言葉が使われすぎると……
「認知バイアス」という概念が普及しはじめ、日常やビジネスの場で多く使われるようになっています。人間が意図せずに非合理的な判断をすることがあること、そしてそれ自体は「生き残り」という観点からは合理的であること、それ自体は責められるべき事ではないこと、といったことの理解が広がることは重要です (藤田, 2021)。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK202KA0Q4A121C2000000/
しかし、その一方で、この言葉が過剰に使われ、正確さを欠く場面が増えているのも事実です。このような「なんでもバイアス」という状況は、科学的理解の欠如だけでなく、不必要な誤解や対立を生む可能性があります。
このブログでは、認知バイアスの正しい理解を再確認するとともに、十分な理解を伴わないまま使いすぎることで起きる問題について考察します。
認知バイアスとは何か?
認知バイアスとは何かについては、リンク先の記事と本で解説しておりますのでご参照ください。「認知バイアス」とは、私たちの認知の偏りを指します。この「偏り」は、必ずしも否定的な意味ではなく、私たちが限られた身体の限られた情報処理能力を使って周囲の世界を理解する時に起きるものです。
また、脳が効率的に情報を処理する際に「近道」をつかう際にも生じます。心理学では、この近道を「ヒューリスティックス」(Tversky & Kahneman, 1974)と呼びます。
ヒューリスティックスを使うことで、素早く、そして大体うまく行く意思決定を可能にします。しかし、「だいたい」うまくいくということは、まあまあの確率でうまく行かないことがある、つまり誤るということでもあります(Kahneman, 2011)。
例えば、「ぱっと見の見た目が良い人」を見て「この人は仕事ができるだろう」と感ずる現象は「ハロー効果」(Nisbett & Wilson, 1977)というバイアスの一例です。
また、「背が高い人はバスケットボール経験者だろう」と即座に推測するとき、「代表性ヒューリスティックス」(Kahneman & Tversky, 1972)の影響を受けているでしょう。
これらのバイアスは、私たちが素早く結論に到達する助けになる一方で、誤った結論を引き出すリスクも持っています。
認知バイアスという概念が心理学で広く研究されるようになった背景には、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴァースキーによる1970年代の研究があります(Kahneman & Tversky, 1979)。
彼らの研究は、意思決定における人間の非合理性を解明し、行動経済学(Kahneman, 2003)やマーケティング(Hanson & Kysar, 1999)、さらには司法制度(Ogloff, 2002)にも影響を与えました。
濫用されるバイアスという概念
認知バイアスという言葉が広く使われる一方で、使いすぎによって、本来の意図を損なう危険も生じています。系統的でもなく、人間の認知の法則と関係のない誤りまで「バイアス」と呼ばれることで、バイアス概念が不正確に拡張され、本来の概念の持っていた意味が失われていきます。
心理学者ゲルト・ギゲレンツァーは、この現象を「バイアス・バイアス ("bias bias")」と名付けました。ギゲレンツァーによれば、人々がバイアスを指摘するあまり、実際には合理的な判断まで「バイアス」としてしまうことがあるのです (Gigerenzer, 2018)。
現場での誤解の3つのシナリオ例
以下に、認知バイアスが間違って言われそうな場面を3つほど想定してみました。例はいずれも架空です。
1. 会議での即断即決
新商品の名前を決める会議が行われているとしましょう。参加者たちが一生懸命アイデアを出し合う中、遅れてきた社長がいきなり「これに決めた」と提案します(藤田, 2024の例より)。この時、「それはバイアスの影響だ」と批判されることがあります。しかし、もしその判断が社長の長年の市場経験や直観に基づくものだった場合、それをバイアスと一括りにして批判するのは適切とは言えません。むしろ、その判断が合理的かどうかを丁寧に検討すべきでしょう。
2. 採用面接での外見評価
企業の採用面接で、面接官が「この人はスーツの着こなしが良いからきっと有能だ」と感じたとします。この判断は「ハロー効果」に基づくものである可能性が高いです。しかし、この候補者が実際に有能である可能性も十分にあります。
ハロー効果に注意しつつ、能力テストなどの客観指標と合わせて判断する必要があります。ここで「外見に惑わされるな」とバイアスを排除するほうに注意が向きすぎると、本当に適した人材を見逃す危険性があります。
3. プロジェクト選定での確証バイアス
あるチームが、新規プロジェクトの実現可能性を検討しているとします。リーダーが「このプロジェクトは絶対に成功する」と信じ、それを裏付ける情報ばかりを強調してしまう場面があります。もし、自分の意見を支持する情報にばかり注意が向いていたら、これは確証バイアスです。
しかし、リーダーがその意見と反対意見を裏付けるための情報を十分に収集し、反対意見も考慮した上で判断したのであれば、それはバイアスとは言い切れません。反対意見を重視しすぎることで、むしろチャンスを逃す可能性もあります。
バイアスを正しく理解するためのポイント
認知バイアスを適切に扱うためには、以下の視点が役立ちます。
バイアスは万能の説明ではない
すべての判断が「バイアス」によるものとするのではなく、文脈や背景を考慮した上で、その判断の合理性を評価する必要があります。バイアスの科学的定義を知る
バイアスは、私たちの認知システムの特徴から来る、系統的な偏りを指します。単なるミスや意見の相違をバイアスと混同するのは誤りです(Gigerenzer, 2018)。バイアスとは何かについては、信頼できる書籍や論文ではきちんと紹介されていますので、そのような書籍を参照しましょう。自分自身を振り返る
他人のバイアスを指摘するだけでなく、自分の判断がバイアスに影響を受けているかを考えてみましょう。
バイアスを理解し、活用する
認知バイアスは、私たちが意思決定や行動をどのように行うかを理解するための重要な概念です。しかし、一般化されすぎたり、科学的な基礎から離れて使われてしまうと、かえって誤解や対立を生む原因になります。
それを避けるには、バイアスという言葉を、流行りの「キーワード」と表面的に捉えて使うのではなく、その背景にある科学的研究の蓄積に対する理解を深める必要があります。
言葉が本来の文脈から切り離されると、本来の意味を失って字面だけが独り歩きしてしまいます。バイアスを真に理解するには、人間の認知についての基礎的な理論から体系的に理解する必要があります。
それによって、より公平で正確な意思決定が可能となり、個人や組織の成長にも寄与するでしょう。ビジネスにおいてバイアスを考える際に、この視点を活用してみてはいかがでしょうか。
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文献
Gigerenzer, G. (2018). The bias bias in behavioral economics. Review of Behavioral Economics, 5(3-4), 303–336. https://doi.org/10.1561/105.00000092
藤田政博. (2021). バイアスとは何か. 筑摩書房.
藤田政博. (2024). リーダーのための最新認知バイアスの科学. 秀和システム.
Hanson, J. D., & Kysar, D. A. (1999). Taking behavioralism seriously: The problem of market manipulation. New York University Law Review, 74, 630–749.
Kahneman, D. (2003). Maps of bounded rationality: Psychology for behavioral economics. American Economic Review, 93(5), 1449–1475. https://doi.org/10.1257/000282803322655392
Kahneman, D. (2011). Thinking, fast and slow. New York: Farrar, Straus and Giroux.
Kahneman, D., & Tversky, A. (1972). Subjective probability: A judgment of representativeness. Cognitive Psychology, 3, 430–454. https://doi.org/10.1016/0010-0285(72)90016-3
Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk. Econometrica, 47, 263–291. https://doi.org/10.2307/1914185
Nisbett, R. E., & Wilson, T. D. (1977). The halo effect: Evidence for unconscious alteration of judgments. Journal of Personality and Social Psychology, 35, 250–256. https://doi.org/10.1037/0022-3514.35.4.250
Ogloff, J. R. P. (2002). Taking psychology and law into the twenty-first century. Kluwer Academic/Plenum.
Tversky, A., & Kahneman, D. (1974). Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases. Science, 185(4157), 1124–1131. https://doi.org/10.1126/science.185.4157.1124