人生には全て意味があるという誤解が、世の中を生きづらくしているに違いない
漠然と思っていたタイトルのようなことを、はっきりと言ってくれたのは、一発屋芸人として有名な(という言い方もどうかとは思うが)髭男爵の山田ルイ53世。
元々は、引きこもりに関係する事件が続いたことで、引きこもり経験者である彼にインタビューに行った毎日新聞記者。
記者の質問に「引きこもりは事件を起こす気力がないし、行動が及ばない」と答えた上で、彼は記者に質問する。「あえて伺いたいのですが、どうして僕を取材しようとお考えになったのですか?」
不意を突かれてしどろもどろになる記者は「当事者として、引きこもりを乗り越え、タレントとしてやっている、という姿は、同じ問題に苦しむ人の励みになるのでは、と……。」と答えるが、さらに山田ルイ53世は「いや、僕もよく取材で聞かれるんです。「引きこもりの、つらい6年間があったからこそ、今の山田さんがあるのではないですか」と。僕はいつも「そうではない。完全に無駄でした。6年間、遊びや勉強に励んだほうが、どれほど良かったか」と答えている。でもインタビュアーの方は「いやいや、そうは言っても、あの6年間があったから……」と、何とかふんわり、「美談」に着地させようとする。」
完全に、インタビューの趣旨が変わった瞬間である。これをそのまま載せた記者は、意図があるのか、ないのか「正直、そういうお話をこちらも期待していました。」という間抜けな返答をする。
主客が転倒する。記者が芸人に聞くという構図だったのが、記者をはじめとするマジョリティのそういう態度がマイノリティにとって社会を生きにくくしていることを暴いていく構図になる。山田ルイ53世は言う。
「それはしょうがないですよ。僕を含むタレントって、常にメディアからそういう「圧」を受けているのかもしれません。のどごしの良い、美談のオブラートに包み込みましょうよ、という……。」さらに続ける。
「自分の人生を総括できるのは自分だけなのに、世間もメディアも、引きこもりをしていた時間に、いやあらゆるものに、何かの意味、糧、学ぶもの、教訓を求め過ぎてはいないでしょうか。「『意味』『糧』至上主義」といってもいい。この空気が、時に引きこもりから「社会復帰」しよう、頑張ろう、という人の壁になりかねないのでは、と僕は思うんです。」
完全に飲まれた記者は「壁、ですか。」とおうむ返し。
山田ルイ53世は「引きこもる生活にも、本人が失敗と断じているようなことにも、何かの意味や糧がなければダメなんだ、というプレッシャー。」が「壁」なのだと返すと、メディアが極端な例を取り上げたがることをあげて、「こういう人や物語に偏るのは良くないと思う。」とまで言う。
確かに、そう言う極端な物語を取り上げて、あらゆる人に可能性があるとか、成功した自分も元はダメだったとか、這い上がれとか目を覚ませとか、人生はみんな自分が主役とか、ナンバーワンでなくてもオンリーワンならいいんだとか、そんな話ばかりになったのはいつからなのだろうか。
そう言う出世物語が一部のヒーローだけのものや歴史的な偉人伝の中ではなく、社会に蔓延しているために、社会のハードルが上がっていると山田ルイ53世は指摘する。
「そんな情報を浴びせられ続けることで、引きこもりの人にとっては「社会復帰」の、引きこもりでない人にとっては生きること自体のハードルが上げられてしまっていると思うからです。引きこもりで言えば、「何とか外に出てやり直したい。でも俺はそんなキラキラした物語には無縁だ、無意味な生活だけ送ってきた。なんかハードル高いなあ」と。「意味のないことには意味がない」「人間は輝かなければダメ」「人生の主役になるべきだ」。考えてみれば、そんな圧力に、生まれた時から囲まれているような気がする。こういうのがつらく、しんどい人は想像以上にいると思う。」
安倍内閣が3年前に打ち出した一億総活躍社会だとか、
全ての女性が輝くだとか
非正規雇用でも働けとか、就職氷河期は再教育しろとか
そんなに国民は社会のためにならなければならないのか。
そんな社会の風潮に対して、山田53世は言う。
「「活躍しよう」とか「輝きましょう」「意味のある生き方をしよう」というのは、一つの意見に過ぎません。「多様性」の時代といいつつ、定型の物語だけを求め過ぎている。糧にならない失敗の時間。何の意味もない無駄な過去。それをそのまま受け入れる。何の意味もなく生きていける、生きていいんだ、という雰囲気がある社会のほうが、僕はまっとうだと思います。」
あまりにも引用が多いので、ブログとしてはダメかもしれないけど、彼の言葉をそのまま載せたかったので許してください。
そして、最後に、この言葉で締めたい。
「キラキラ輝いて生きる義務など、僕たちにはないのだ」
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。