マルクスは「マルキスト」ではなかった
最近、本を読むスピードが遅くて、やっと読み終えました。
NHKテキストを読み終えて
100分で名著の良いところは、番組も面白いのだけど、このテキストが実によくできていて、番組を反芻する以上に読み物として優れているところだと思う。
そして、このテキストもプロデューサーが語るように素晴らしい。
偉そうに書いていますが、企画の文案は、膨大な資本論の記述をどうまとめるかについて、私が頭を悩ませている間に、斎藤さんがあっという間にたたき台を作成してくれました。もちろんそれをベースにかなり手をいれさせていただきましたが、講師が、プロデューサーが何も言わない間に企画文の素案を考えてくるなんて通常はないことなので、本当に助けられました。
斉藤さんの中に、マルクスを語るベースができているからできる所業でしょうね。
で、読み始めて驚いたのは、マルクスは「共産主義社会」「社会主義社会」という言葉を使っていないという指摘でした。
マルクスは、コミュニスト(共産主義者)というよりも、コミュニズム(コモン主義者)なのです。
国有で富の私有化を禁ずるようなコミュニズムは、マルクスの目指したものではないというのです。
マルクスは、アソシエーションという言葉で労働者の自発的な相互扶助を資本家に対抗する鍵と示しています。
そこに描かれている社会像は、どうも昔、運動家たちから聞いた姿とは異なっているように思えます。
マルキストという言葉の思い出
大学1年生の時に見た芝居が、竹内銃一郎の「檸檬」でした。その主人公が、革命家の世を偲ぶ仮の姿であるさすらいのレモン売りとして「昔マルキスト、今サンキスト」というセリフがあるのですが、私はこの時初めて、「マルキスト」という言葉を聞き、マルクス主義というのを調べました。
高校生の時は、世界史はやりましたが、受験ではマルクスなんか出ませんからね。
その時のイメージは、「革命」による資本家の打倒を掲げて暴力的に社会の改革を目指す過激な左翼の姿でした。
そしてノンポリな私は、それ以降、特にマルクスについて考えることもなく、大学を卒業して、就職したところで、また過激な闘争に身を捧げる人たちに出会うわけです。
私がとった戦略は、言われたら「そうですノンポリですが何か?」と返すのと、彼らに負けない読書量と知性を見せつけることでした。
資本論はなぜ「誤読」されるのか
この時読んだはずの「資本論」はとにかく日本語として難しく、翻訳が悪いのか、もともと面倒くさい文章なのか、書いてあること以上に、その有り様を疑いながら読んでました。
確かに回りくどい修飾語と比喩によって彩られた文章が、悪筆に埋もれているのがマルクスの特色で、彼の字はエンゲルスを含めて生涯3人(マルクス自身とエンゲルスと架空のもう一人)しか解読できなかったとかいう実しやかな噂まであります。
だからなのか、エンゲルスが誤読して書いている部分もあるとまで言われます。
まあ、それくらい読みにくい文章を、さらに翻訳してあるわけですから、全く読む側のことを考えていないと言っていいものです。
そして「階級闘争」とブルジョワジーに対抗する「プロレタリアート」という言葉だけが一人歩きし、過激な「マルキスト」を生んでいくわけです。
だって、私の経験では、ほとんどのマルキストは資本論をじっくりとは読んでいないんですからね。
そこにマルクスの悲劇があるのかもしれません。
「資本論」以降のマルクスを読み解け
それを読み解いてくれているのが、このテキストということになります。
世の中には『資本論』のたくさんの入門書はありますが、『資本論』に眠っている、将来社会という観点から読み直すものはあまりありません。そこで、番組では、グローバル資本主義社会が行き詰まり、その暴力性をむき出しにしつつある中で、もう一度、別の未来の可能性を、マルクスの代表作『資本論』を通して考えてみたいと思います。
マルクスが「資本論」を書いたのは150年前なのに、そこに書かれている資本主義のもたらす未来社会の図は、まさに今の私たちが生きている社会そのものであり、指摘する問題は、私たちが抱えている問題です。
そして、その解決の糸口になるのが、マルクスが提起する「アソシエーション」によるコモンの再生なのだと斉藤さんは指摘します。
ただ、私たちが「資本論」を読んでも、そうした未来像に気がつかないのは、資本論は第1巻こそマルクスが刊行していますが、2巻、3巻はエンゲルスによる編集物であり、未完の著だからなのです。
資本論に掲載できなかったマルクスの描いた膨大なメモをはじめとして、その思索を研究する「MEGA」というプロジェクトがあり、その結果、新たにマルクスの思想そのものを見直す機運が高まっているのは、近年のことのようです。
いわば、「資本論」に書かれていることよりも、それ以降、及び、それ以外のマルクスの思考が、実は、現代社会の行き詰まりを解消してくれるかもしれないというのが、マルクス及び資本論が脚光を浴びている理由のようなのです。
それを「富」と「商品」、「価値」と「使用価値」、「労働」と「物質代謝」といった用語から解説していくのが、このテキストです。
特に「過労死」「環境問題」「イノベーションとブルシットジョブ」と言った現代的な問題が、なぜ起こるのかを、資本論の中のマルクスの指摘から読み解いていくあたりが、斉藤さんの真骨頂と言えるでしょう。
斉藤さんの本にはまだ手がついてないのですが、まずは、このテキストだけでもお読みになることを勧めます。
次は、こっちを読んでから書こうっと。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。