定年なんて気にしないと言える60歳になれるかどうかが、これから大事なんだと思う
先日、自分で書いた記事と呼応したので、ちょっと前の記事だけど引用させていただく。
そうかと思った。
私は、60歳過ぎの人生を考えられなかったのではなくて、ノストラダムスの大予言に向けて、人生が終わることを受容していたんだ。
この中で、ノストラダムスの大予言の話を書いたけど、本当に心底染み付いていたから、その気持ちを受容せざるを得なかった。
さとなおさんが解説した受容プロセスを引用させていただく。
キューブラー=ロスの死の受容プロセスというのは、エリザベス・キューブラー=ロスというアメリカの精神科医が60年くらい前に発表した理論で、ヒトが死を受容するに至るには、以下の5つのプロセスを経る、としている。
第1段階:否認
死ぬことを拒否し否定する段階。周囲から距離をおく。
第2段階:怒り
死を避けられないと自覚し、「なぜ自分が死ななければならないのか」と、強い怒りを感じる。
第3段階:取引
死をなんとか避けられないかと、神と取引をしようとする。何かにすがろうという心理状態。
第4段階:抑うつ
死は避けられないと知り、気持ちが滅入り何もできなくなる。
第5段階:受容
自分が死に行くことを受け入れ、心に平安が訪れる。
20代では怒っていたけど、30代は取引に入り結婚し、でも30代後半に1999年が近づいてくると抑うつが来て眠れなくなり、精神科に行ったりして一旦は受容したのに、大王は降臨せず、何も起きなかった。
行き場を失った思いのまま、40代は惰性で頑張れたけど、50代では行き詰まった。
プロセスを巻き戻すかのように、再度抑うつに入り、やっと取引から、怒りに向かおうとしているのかもしれない。
定年だの、老境だのを否認し、再度、生の在り方に向けて何かをつかむには、若い時のように何かを学ぶ必要がある。
そういうことに気づいたから、このところの行動なんだな、と思った。
noteを始めたり、人に会ったり、動いてみたり、書いてみたり。
60歳をもう一度捕まえ直すために、取りに行くんだなと思った。
考えてみれば60歳って還暦なんだ。まだ2年ちょっとあるから、その間に準備しておく必要がある。
もう一度生まれ直すみたいなものだから。そこをスタート地点にしてもいいわけだな。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。