男は色気と可愛げ
「男はねえ、結局、色気と可愛げなのよ。」
カウンターでバーボンをロックで飲みながら、師匠は言った。
「はあ、そうなんですか?」
何のことかわからず、適当な相槌を打った私は、その時、29歳だった。
師匠とよぶのは、私の上司で仕事の師匠だったからだ。彼女は老舗出版社で編集の仕事をしていたが結婚・出産で独立し、その後誘われて入った会社で企業広報誌の仕事などをしていた。その会社に転職した私は彼女から編集の仕事のイロハを教わった。編集の仕事で遅くなると、タクシーが捕まりそうになるまで、二人でどこかに飲みに出かけるのが、この頃の日課だった。
「女は度胸、男は愛嬌よ」
師匠はメンソールのタバコをプカーっと吹かしながら、誰に向かっていうでもなく、続けた。
「逆じゃないんですか?」
まだ素直だった私は、バカ正直にツッコんだ。
「わかってないわねえ。女は度胸よねえ、ママ」
師匠は、カウンターの向こうに立つママに同意を求めた。
「まあ、あなたみたいな女ばかりならそうなんだろうけどね」
薄ら笑いを浮かべながら、ママは答えた。
「何よ、それ」
師匠は、怒るでもなく、ママに言うと、タバコを揉み消した。
タバコは、吸っている時よりも、吸殻になってからの方が臭い。タバコを吸わない私は、そう思いながら、まだくすぶっている吸殻を見た。
「男はねえ、度胸なんか無いのよ。だから、男は度胸と言いたがるわけ。女は女に生まれた時から愛嬌があるんだから、今更言わなくてもいいのよ。でも、男は女に自分だけに愛嬌を振ってほしいから、女は愛嬌なんて言うの。わかるか、坊主」
坊主になってしまった。これはかなりヤバイ兆候で、師匠の酒量がピークを超えたことを意味する。
「度胸ないわよねえ、男って。だから私は独り者なのよ。男なんて、色気と可愛げがなければ、役立たずのボンクラよ。ソーダ割りにして」
師匠は自分でも酒量がピークを超えていることを自覚したのか、ロックからソーダ割りになった。
「そんなに男に怒るところを見ると、まだ現役のつもりなの」
ママが師匠をからかう。
「あら、あたしは現役よ。娘が高校生になったら、また恋するつもりよ」
そうなんだ。
40過ぎの師匠が現役だと言うのを信じられない思いで見ていた29歳の私だったが、50を過ぎた今ならば師匠のいうことはわかる。そして、後日、師匠はある男性と出会い50歳を手前にして一緒に暮らすことになるのだが、この時はまだ知る由もない。
「ママだって、現役なんでしょ」
「当たり前じゃない。私は一生現役の恋する乙女よ。」
いや、どう見ても女装の化け物じゃん。
私は、二人の会話を聞きながら、ペルノーのソーダ割りを飲んでいた。そして、心の中で毒づいてみた。ママは、ゲイバーのママだった。
「坊主。聞いてるか。男は色気と可愛げなんだよ。色気がなければ可愛げでいくしかない。お前は、可愛げがない。だからモテない」
「あら、そう。この子結構可愛いところあると思うけど?」
「ママは誰でもいいんだから」
「何言ってんのよ。私は男にはうるさいのよ。誰センじゃないんだから」
私は、さらにエスカレートする会話の間で、首を竦めて、戦闘機が通り過ぎるのを待って防空壕の中にいる気分だった。
「何よ、誰センって」
「誰でもいいからやっちゃう奴のことよ。専門がないから、誰専」
「ふーん。専門ねえ」
「好みがあるでしょ。若いのがいいとか、年寄りがいいとか。若いのは若専、年寄りは老け専。細い人が好きとか、デブが好きとか。色々あるのよ。でもね、オカマに捨てるものなしって言って、どんなタイプでも必ず、そういう人が好きってのが現れるのよ。だから、女に幻滅したら、いつでもいらっしゃい、ボク」
ママは、私の方を見てニッコリと金歯を見せた。
「いや、ボクはいいです」
慌てて愛想笑いをしながら答えた。
「誰センって、ヤリマンじゃない」
「それは違うのよ。その時は恋愛なんだから」
二人の会話はさらにエスカレートする。
そんな日があったことを、なぜか昨夜思い出した。
師匠は元気なのだろうか。70歳を過ぎて仕事を引退し、今は、香港で娘夫婦と一緒に暮らしているはずだけど。
師匠の名言には、もう一つ「女の腐ったのという言葉は男にしか使わない」というのもあった。「女は腐っても女だけどね」と続くのだが、これもなかなかの至言だと思う。
バブルの頃の、思い出である。
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