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西武・そごうの広告が、この正月に話題ですね。

大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。

ここまで読んでくださったあなたへ。
文章を下から上へ、一行ずつ読んでみてください。
逆転劇が始まります。

伝えたいのは、「わたしは、私」ということらしいです。炎鵬という力士を主役に逆転劇が、というストーリーも見る人にアピールしていますね。

昔のパルコみたいですが、広告主が西武・そごうだということで、今朝の「スッキリ」を始め、各種ワイドショーなどでも年始の話題として取り上げられていました。

でも、これ、この記事で書いたインスタグラム小説みたいですよね。

元の記事は、こちら。

この小説を書いた、原里実さんは、去年、別のスタイルの小説も発表したみたいです。

小説の新しいスタイルを生み出すのって楽しそうですが、私にはできない世界。すごい。

話を戻しますが、西武・そごうの広告に原さんは噛んで無いんだろうな、と思います。やはり広告の方は文体がコピーライターぽいですからね。でもスタイルとしてはヒントになってないのか、西武・そごうの広告制作者に聞いてみたいなあ。

「広告批評」がなくなった今、こういう広告制作の裏側って何で知ることができるのかな。

こういうものかな。

広告が生み出す価値って、なんだろう。

商品の宣伝という意味での広告は、プロモーションとマーケティングの中に埋没して、企業広告しか残らない時代になってしまったような気がします。

西武・そごうの広告は、まさに企業広告なんですが、逆転の発想だけが取り沙汰され、肝心の「わたしは、私」がどっかに行ってしまうようだと、そもそも何を広告していたのか、という目的が抜け落ちてしまうのでは無いかと心配です。

それは、西武・そごうの企業メッセージが、「わたしは、私」であることの妥当性が否定されているのでないか、という心配です。炎鵬を通して、自らを信じ、自らの道をいく強さをアピールしているにしても、どう考えても先行き苦しい「土俵際」にある百貨店という業態が「逆転」する道につながる「広告」になっているのかどうか。

広告の力、というものについて、今、広告批評の天野さんが生きていたらなんというんだろうなあ。



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