平面には高さがある:デザインは設計であるという話
昨日は、ディスカバー編集教室のゲスト講義回でした。
2週続けてのゲスト講義となります。
先週は、ライターの古賀文健さんからライターと編集について伺い、こんな記事にまとめました。
今週のゲストは、イラストやデザインで著名な寄藤文平さん。
大人タバコ養成講座やR25の表紙のイラスト、装丁では「海馬」「元素生活」などが有名ですね。
いつもの通り、有料の講義なので、あまり細部については書きません。
センスとサイエンス
今回の講義タイトルは、「センスとサイエンス」でした。
これは、デザインとくに編集者が関わる分野であるグラフィックデザインについて本質的な答えです。
冒頭の干場校長からのゲスト紹介で、「寄藤さんはデザインの本質を問う」という言葉がありましたが、まさに、本質に迫るのが寄藤さんのやり方なのだと思います。
デザインについて議論するときに、その良し悪しに関わるのはセンスだという意見があります。生まれながらのデザイナーみたいな。
でも、そうではない。ある程度の理論と積み重ねの上に立っていないとデザインの良し悪しを論じることはできない、というのが、サイエンス派の言い分です。
そして、今日の講義では、このサイエンスの部分をたっぷりとご紹介いただきました。
平面は平らではない
その導入が、平面は平らではない、ということでした。
いや、平面なんだから、平らでしょう。と思うのが一般人ですが、認知心理学でも、平面を囲うと、場所によって認知のレベルが違うことがわかっています。
人間は、上と下を瞬時に感じますし、その差に敏感です。中央と端では心理的な重み付け(ウェイト)が違います。こうした心理学的知見に則ってデザインされた平面は、観る側に、そこに置かれた言葉や図像に、的確な意味と重み付けを与えることができます。
こうした認知心理学を活用した成果は、主に広告の世界で用いられていますが、広告のデザインもする寄藤さんは、本のデザインでも、こうした考え方を導入されているのだな、と思いました。
広告でいえば、例えば、こういう話ですね。
大きさは寸法ではない
こうしたウエイトという概念は、認識の場でも作用します。
よく、もう少しタイトルをたたせたいから大きくして、という様な指示をするディレクターやら編集者がいます。
でも、大きくすれば目立つのかというと、そんなこともない、というのが頼藤さんの説明です。
例えば、罫線で囲めば、大きくしなくても目が行きます。彩度や明度で差をつければ大きさが小さい場所でも視線を集めることはできます。
これも心理学の世界では常識ですが、意外に思われがちです。
人間は、機械と違って、自分の興味に応じて自動的にズームアップしたり、周りの映像を意識から消したり、聞きたい音だけ聞いたりする事ができます。カメラやマイクは、そこにある全ての絵や音を拾いますが、人間は選択してしまうのです。
この選択してしまう人間の特性を利用すると認識の場の動きをコントロールする事ができると寄藤さんは言います。
そして、それこそがデザインであると定義します。
詳しくは、以下の本を読んでみましょう。
図像には重さがある
写真に写っている人が誰かによって、その図像のウエイトは異なります。
よく知られている人ならば、重要である事がわかる様に扱わないといけないでしょうし、例え著者であっても、あまり有名でなければ、大きくしても目は引かないでしょうから、慎ましやかに扱う方がいいでしょう。
文字でも同様です。言葉に多くの意味がついている文字と、概念をあまり誘引しない文字では、意味のウエイトが異なります。意味とは、評価軸に沿った判断であり、文化的、社会的に異なります。英語のウエイトと日本語のウエイトは異なるので、同じ「意味」を持つ言葉でも、「意味のウエイト」は異なるので、同じ様なレイアウトにはならない、ということになります。
そういう各種ウエイトの違いを意識して、どこに置くか、どう置くか、なぜ置くかを考えていけば、自ずと答えは一つになっていく、それがレイアウトである。寄藤さんの結論は、そこにたどり着きます。
ロジックの手前にコンセプトがある
そうしたレイアウトは多数決で決められるものではなく、事前にデザイナーと編集者の間で同意したコンセプトに沿っているかどうかで決められるべきものであり、だから1案しか出さない、と寄藤さんは胸を張ります。
先ほどまで述べていた心理学的なウエイトを中心にしたロジックで組み立てていたレイアウト論はテクニカルなものとしてあるとしても、本質になるのは、このコンセプトをどう立てるかにおいて編集者とデザイナーがどの程度十分に意見交換したか、本の意味を伝えたかに尽きるのだと。
そこにフィロソフィーが出るのであり、そこを共有できない人とは仕事をしない方がいいから、そこで変な指摘を受けたり、揉めるようならば降りちゃう、とまでおっしゃいます。
文字の太さとか本文の組み方とかデザイナーの聖域を犯すようなことを言ったり、現場を見ていない上司や会議の結果を持ってきて、見出しを大きくして、みたいなことを言う奴とは仕事してもしょうがない、と言うことだそうです。
でも、それって本質だなと思います。
デザイナーとの向かい合い方
デザイナーも最終的には、テクニックではなく生き方なんだろうと思います。何にウエイトを置いて生きていくか。何を大事にするか。
そう言うものが、デザインの表面に出てくるから怖いんだと思います。
編集者は、そう言うデザイナーと本気で意見を交わせるような気概と意識を持って、サイエンスを心に秘めて、コンセプトを共有できるようにならないといけないのだなと肝に命じました。
あと、言葉にできないデザイナーはロジックもサイエンスもないから、たいしたことないです。そう言う人はセンスもたいしたことない。そう思った方がいいと、改めて感じました。
本のデザインということになると、こういう本も気になります。