その自信、根拠ありますか?
しつこいようで申し訳ないです。
私の記事への返歌をいただきました。
拙い話を読んでいただきありがとうございます。お話はごもっともなので、読んでいただければと思いますが、私がインスパイアされたことをもう少し書かせてください。
この中で、さとなおさんは、100分の1の作り方として、私が書いたような大変さを中和するように、下記のように書いておられます。
「漠然とではなく、イメージとして具体的に考えるとわりと努力の方向が見えますよ」ということ。そして「そんなに継続して努力する人って多くないので、1/100くらいなら意外と数年でなんとかなる」ということです。
この継続して努力する人って多くない、というのが肝でして、だから大変なわけです。前回書いた、基準という話、自己評価を正しくしないと見誤るよ、ということについても、きちんと拾っていて、私が会社の例を出したと同様に、会社の中ではなく、分野での話としています。
「会社」という「いろんな分野の集合体」ではなく、たとえばあなたが「広報」の担当者なら、社外も含めて「広報担当者たち」で具体的に1/100を考えます。
また、ニッチのあり方と同様に、誰かの目を通すことも書いています。
※ただしその様子をSNSやブログなどで発信はしたほうがいいです。そうしないと誰にも知られずに得意、という微妙なことになります。
その上で、具体的にイメージしましょうということなんですよね。
それは、根拠がある自信を作りましょう、ということなんだと思います。具体的なイメージに基づいた努力をしたかどうか、レッドオーシャンならば資格ということも視野に入れる。それは、自分が100分の1であることを自分なりに根拠がある評価をする必要があるんだということではないでしょうか。
私の自分への評価は根拠のない自信だったように思い返してます。記事の中で友人と飯を食っていて思いついたと書きましたが、その時も、根拠のない自信で生きてきた自分の行き詰まりという話をしました。自分が軸で行けるところまでいけたけど、所詮は自分だけがそれを信じていたのではないか、周りも信じてくれているときはある程度勢いがあるけど、そうじゃなくなった時に、この状況はきついよね、ということです。
自分を信じる根拠は、過去の成功体験だったりするのですが、それが他人に対して説得力を持つかどうかというと、やはりある価値体系の中に位置づけることができるものでないと難しい。
そこに必要なのが客観的な評価基準を裏付ける体系だった知識なのではないかということは前回書いた通り。
当然、さとなおさんが闘う相手の途方も無さ(だってアレルギーですから)を分かった上で、そのエネルギーをキープするために、途方も無いエネルギーが必要なことを続ける(毎日1時間アートの勉強して、ぬか床ひっくり返して、note書いて、コミュニティにメッセージも送って)ことへの敬意は持っているつもりです。
だって、私にはできませんもの。毎日勉強しなきゃな、本読まなきゃなと思っても、進みませんもの。だから、なりたい人はなればいい。でも挫折してもダメなんかじゃ無いよ、そっちの方が多いよ、ということを書きたかったんです。
自分の人生を振り返りつつ、しくじり先生のような気持ちで。
でもね、私も、体系だった勉強につながるような読書をしたいなあ、という思いはあります。
最近、日本史の本ばかり読んでいるのも、あまりにも日本史のことを知らない(まあ他にも知らないことだらけですが)と思ったのと、学生時代に習ったこととずいぶん変わってきていると聞いたから、もう一度流れを知りたいなと思っているからです。
あと、歌舞伎と落語について、もう少し知りたい。先代団十郎の本とか、玉三郎の本とか、先代芝翫のこととか、読んでみているのも、そのあたりのため。
日本文化をもう少しきちんと知りたいと思っております。
ゆるゆるとですけどね。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。