ライターとは生き方である
昨日は、ディスカバー編集教室のゲスト講義回でした。
ゲストは、古賀文健さん。
わたしもnoteは欠かさず読んでいます。
講義の最後に、今日の講義を取材したとして、10枚のイラストや図版に起こすとするとどんな10枚になるか。そして、それをどう並べるか考えてみてください。
という、まさかのアフター宿題を出されました。
今日はそれを考えてみたいと思います。
1。前提として
とは言っても、講義内容をそのまままとめるわけにはいきません。無料のブログの内容をまとめるのではなく、有料の編集教室で話した内容だから、権利は古賀さん並びにディスカバー21にありますからね。
それに、お金出して聞いた話をタダでダダ漏れするのは倫理的にどうかとも思います。なので、いろいろはしょることにします。
2。古賀さんとは誰か
古賀さんはバトンズというライターの会社の代表であり、ライターとして名前を馳せている方です。なので、今回はライターについて伺う回という位置づけだろうと思っていました。
最初に、干場校長から本日のゲストの紹介があります。
日本ではライターがまとめた本でも著者名は取材された方だけを載せて、ライターの名前は奥付に協力とかで載るだけのことが多いという不思議な慣習がありますが、古賀さんは著者として名前が出せる日本でも唯一と言っていいライターです
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の勇気二部作のヒットもあり、自分の単著もあるというのが、古賀さんがライターとして稀有なところでしょう。
これも著者としてまとめています。
他にも、ライターとしてまとめた本ですが著者名にはなっていないものもあります。この本は、幡野さんの名前だけですが古賀さんがまとめています。
そんな古賀さんは、冒頭に面白いことを教えてくださいました。
3。翻訳家の位置づけ、ライターの位置づけ
勇気二部作は、30か国近い諸外国でも出版されていて、海外累計570万部を超えるそうです。それ以外と併せて古賀さんの関わった本は、今世界で1000万部以上売れているというお話です。
日本人からすると不思議なことに、この海外版には、翻訳者の名前が筆者と一緒に載っていないのだそうです。
英語圏では、英語であること、英語にすることが当然で、外国語から英語にする翻訳者に対して敬意を払うことがないようなのです。
これは、ライターが、著者と同じ位置づけになる海外の敬意の高さを思うと、ちょっと意外です。
日本と海外では、ライターと翻訳者の位置づけが逆転しているようです。それは多分、日本では、日本語は誰でも書けるが、外国語が読めて日本語に訳せるのはすごい、という自虐的な発想があるからなのでしょう。
明治期に諸外国の文物を持ち込むことで文明国となった経緯があり、戦後もアメリカから先進のものを取り入れることに熱心だった国民性が、翻訳者への敬意と、ライターへの不敬をうんだのかもしれません。
4。ライターとは「取材者」である
では、ライターとは何者なのでしょうか。
古賀さんは、ライターとは取材者である、と定義します。
そして、ライターの日常は全て「取材」なのだと言い切ります。
だから、今日、この講義も「聴講」するのではなく、「取材」だと思って聞いてくださいとおっしゃいました。
これは、会場一同驚いたと思います。
「聴講」ではなく「取材」とはどういうことなのか。
実は最初に自己紹介された際に、先ほど挙げたような自著を示して
講義の前に読んできた、もしくは以前読んだのを読み返した方
と、手を挙げさせました。わたしは、一番前の席にいたので、どれくらい手をあげたのかわかりませんでしたが、もちろんわたしは手をあげました。
目の前の古賀さんの表情はあまり芳しい感じではなかったので、それ程挙げなかったのかもしれません。ただ、ここまでは自己紹介でよくある話です。
でも、それは伏線でした。
この講義が取材ならば、皆さんは、読んできたはずです。
古賀さんは、静かに話を続けました。
5。人生を受動的に生きるか能動的に生きるか
あらゆる場が取材の場だと考えれば、行動が自ずから変わるはずだと古賀さんは続けます。
例えば、仕事から帰って奥さんからその日あった愚痴話を聞かされる時。
ただ聞いているのならば、それは受動的です。しかも苦痛でしかない。
でも、奥さんの話を「取材」するのだと思って聞いたらばどうでしょう。
積極的に質問もするでしょうし、前のめりになって相槌も打つでしょう。
それは能動的な態度だし、日常の過ごし方になるわけで、それがライターとしての生き方になるのです。
なんという発想転換。いや、生き方の転換かもしれません。
自分をライターだと考えて、全てを取材なのだと考えれば、自分の周りに起きることを受動的にやり過ごすのではなく、積極的に見聞きし能動的に生きることができるようになるのです。
でも、わたしは、これはちょっと意識してます。ブロガーですからね。
こうしてnoteを書こうと思ったり、ブログに書き留めようと思うと、やはり「取材」しなければなりません。芝居を見ても、映画を見ても、本を読んでも、なんなら歩いていても、電車に乗っていても、それをどう書こうかと考えると、視点が変わりますし、思考が変わります。
その訓練は積んできています。だから、編集教室のゲスト授業の前にはその方の本を読んでから行くようにしてきました。
よかった。
6〜8。編集教室としての講義
ここからは、編集教室なので、編集の話もしましょう、ということになります。ここで伺った話は、かなり膝を打つものばかりだったのですが、そこはオフレコで。
一つだけ書くと、編集者としての編集と、ライターとしての編集の2種類があって、その2種類がバランスよく組み合わさると、素晴らしい本ができる、ということなのです。
ここの内容が、6から8になります。
9。ダメなライターは何がダメか
講義では、事前に童話「桃太郎」を21枚のイラストで表したものを見て、そこから9枚選ぶという課題がありました。
そこで学んだことはオフレコですが、チョイスの練習と意図を持った編集というようなことです。
そして、ダメなライターは、同じものから選んでも全く違う内容にするもので、編集者としても、そこには気を付けないといけないという話になります。
取材の中身には抑えなければならない要件があります。
・おもしろいポイント
・欠かせない話
・心が揺さぶられた言葉
これを編集者とライターが共有できてないと、記事はまとまりません。
でも、それに苦労している編集者のなんと多いことでしょう。
10。質問コーナーで起きたこと
こうして講義が終わり、質問コーナーになりました。
そこで、わたしは、やらかしてしまいました。
古賀さんといえば、名編集者の柿内芳文さんとのコンビで知られています。
勇気二部作も、堀江さんの「ゼロ」も柿内さんの編集で古賀さんのライティングです。
古賀さんのnoteにもよく登場されますし、対談もされています。
わたしも、こんな記事をnoteで書いてます。
でも、今ひとつ、柿内さんが何をしたから古賀さんが素晴らしい本をかけたのか、どういう編集技術なのか、がわかりませんでした。なので、こんな講演会にも行きました。
ここでも書いたように、柿内さんの意思の強さとか、古賀さんと見ている角度とか志向している平面の違いは感じました。
で、そのことを伺おうと質問したのですが、言い方がまずかったかなと。
柿内さんの何がすごいかわからないのですが、どういうところが違うのでしょう、また優れた編集者とはどういうものでしょう
と言ったらば、会場に柿内さんがいらしたのです。
流石に焦りましたが、言ってしまったものは仕方がありません。
でも古賀さんの答えは、実は、事前に予想していた通りでした。
編集とライターが馴れ合わないことが大事で、価値観が違うことが重要。こういうものが読みたいという角度が違うから、組むと良いものができるのでしょう。圧倒的な結果を出している人で信頼できるから編集者として柿内さんと組むことになります。
友人だからということよりも、違うことを認め合っていること、それを受け入れていることが重要なのでしょうね。
あと、古賀さんは読者に手に取ってもらうには導入が大事だと思うが、柿内さんは売れるには読後感が大事だという話も面白かったです。
終了後に速攻で、柿内さんにご挨拶に行きました。
多分、柿内さんからすれば、何も気にならないような些末な出来事だったかと思いますが、こう見えて小心なわたしはドギマギしました。
これも読んでおけばよかった。
最後に
とんだオチになりましたが、古賀さんの講義は静かな中に迫力のあるものでした。経験と覚悟からにじみ出る言葉もさりながら、醸し出す雰囲気は落ち着いた哲人の装いで、自信に満ちたというとちょっと語弊がありますが、揺るぎないものを持った方にある重心の下がり具合を感じました。
浮ついてないんですよね。
そして、一番心に響いたのは、ライターという職業を選ぶというのは、生き方を選ぶということだという言葉でした。
例えば、スポーツも、趣味ではなく職業となると、一日の全てをトレーニングに費やすことになります。食べることも寝ることもトレーニングになります。
勉強でも、好きで学ぶレベルから研究者になれば、寝ても覚めても研究テーマについて考えていないと競争に勝つことはできません。日本の大学教員は、教育と事務に時間と思考をさかねばならず、研究に没頭する時間が少ない。これでは世界の競争に勝つのがは難しい状況にならざるを得ません。
物を書くという事も、趣味ではなく仕事ならば同様の生き方になるのは当然だというのが、古賀さんの考えです。一日中、書くことに対するトレーニングに費やすのは、職業ライターとして当たり前のことなのです。それが、全てが取材だという姿勢につながっています。
職業としての編集者もまた、一日中、手掛けている本のこと、次に作りたい本のことを考え続けているのが当たり前にならないといけないのでしょう。その考え続けるということが、柿内さんを超一流の編集者にしているのだろうと、今は思っています。
まとまったのかどうか、昨日の宿題に答えてみました。