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政治家に必要なのは「言葉」だとつくづく思う

この記事で取り上げた「義男さんと憲法誕生」を見ていて、今の国会議員にはない、戦後最初の議員たちの「気概」「言葉に対する厳密性」「議論する姿勢」に感銘を受けました。

憲法小委員会での「議論」に見る

確かに、日本国憲法はGHQの素案があって、それを日本語訳したものがあったわけですが、それを日本に定着させるために、憲法小委員会で白熱した議論があったことがわかったわけです。

鈴木義男だけではなく、芦田均を始め自由党や進歩党の議員も一言一句に対する検討を真剣に行なった結果、今の条文になったのだということが速記録を再現したドラマからだけでもわかります。

それだけに、こちらも見ないといけないかもしれません。

日本国憲法の施行から70年。平和主義の出発点が新たな資料で明らかになった。昭和20年9月、昭和天皇は勅語で平和国家の確立を明らかにした。しかし、GHQ草案の条文には平和の文字はなかった。その後、衆議院の小委員会で鈴木義男議員の発言を機に議論があり「国際平和を誠実に希求」する条文が第九条に盛り込まれたことが明らかになった。速記録をもとに小委員会をドラマで再現。“平和国家”誕生の舞台裏に迫る。

「平和」という言葉一つ盛り込むための議論があった。それだけでも十分見応えのあるやりとりがなされていることと思います。

さらに、その他にも鈴木による条文の追加や文言の訂正があったことが再現ドラマとして描かれます。

その辺りは、この記事が詳しいです。

国家賠償請求権や刑事補償請求権:国家賠償請求権(第17条)や刑事補償請求権(第40条)。すなわち、ここでもギダンさんは「国が間違った場合、国民はその損害賠償を請求できる、国にたてつくなど、もってのほかとしている戦前の意識から変えていくためにはこれらの権利を明確にしなければならない」と主張します。

この「国に楯突くなどもってのほか」という意識は、いまだに私たち日本人のどこかに染み付いている「お上意識」ではないでしょうか。この時、欧米では自明の理であっても日本では明文化すべきだという鈴木義男の主張があったからこそ、その後の冤罪や国家賠償訴訟などにつながったことを考えると、実にありがたいことだと思うわけです。

芦田委員長他、他党の議員も納得する言葉で条文の追加や切り分けなどを解く鈴木の姿が小委員会議事録を元に再現されていますが、その言葉の見事さに頷かざるを得ません。

もう一つ、鈴木が強く主張し、追加されたのが「生存権」です。

生存権(生活権):第25条の「生存権」は、はじめGHQ案には無かったもので、ギダンさんの提案によるものです。
 これもギダンさん自身、第一次大戦後のドイツの民衆の惨状を目の当たりにしたことがもとになっています。この「生存権」を検討の中で、第12条の「国民の自由と権利を保障する」条文の中に一緒にしてはどうかという意見が出されます。しかし、ギダンさんは「社会権は国家の義務である」と主張し、アメリカの憲法にも無かった「生存権」(生活権)を憲法の中に25条として入れました。これが戦後「生活保護」の制度となります。

生存権は、ドイツのワイマール憲法に盛り込まれたもので、アメリカ憲法には条文がありませんでした。GHQが提出してきた憲法素案に条項がないのはそのせいだったと考えられます。それを、GHQの素案にないから12条と一緒ではどうかという芦田委員長に対し、アメリカばかりではなく、フランスやドイツ、ソ連などの憲法も見るべきだと主張したのが鈴木でした。

戦前には東北大学教授として、また、人権派の弁護士として、世界の情勢や法律に詳しい鈴木だからできたとも言えますが、こうした高い見識の持ち主、さらに高潔な精神の持ち主が戦後最初の議会にはいたということではないかと思います。それは、鈴木だけではなく他の議員の発言にも多く見られるものです。

翻って、今の議会はどうなんでしょう。

なぜ「野党」は応援されないのか

先の記事を書いた方も指摘しています。

当時のこうした「議論」、とくに党派とか、派閥、思想を超えて相手の言っていることをよく聞き、その上で一致できるところを新しい形として作っていくという「議論」が行われていたこともよくわかります。
 ここに集まった政治家たちが、敗戦という政治の危機の最前線にあって、かつ、これからの新しい国づくりへの希望を共にもっていることを信じていたからということになのでしょう。

現在の国会にも弁護士出身の代議士は数多くいます。特に野党には多いように思います。護憲派だったり、人権派だったりする人が多いからでしょう。でも、そうした人たちの国会議論は、高い見識や高潔な精神が感じられるものと言えるでしょうか。

相手の言葉尻を捉え、訂正を求めたり、マウントを取ったり、言いまかそうとするばかりで、「議論」になっていないものばかりではないでしょうか。

そうした国会中継での姿や、インタビューに答える憤懣やる方ない表情ばかりを見せられるうちに、国民の多くは、特に若者は、嫌気がさしていることに気がついていないのでしょうか。

野党の仕事は与党の行動に対して「意見を述べる」ことであり、注文をつけることだというのはわかります。でも「イチャモンつけたり」「罵る」のは、野党の仕事ではなく、野盗のやることでしょう。

言葉遊びは別にして、なぜ今野党が応援されないのかといえば、やはり言葉の問題ではないでしょうか。

与党とくに菅総理から国民が納得する言葉がないことを指摘する声は多いですが、それを指摘する立憲民主党の安住国対委員長の言葉は、枝野党首の言葉は、国民の納得が得られるような言葉なのでしょうか。

ブーメランと呼ばれる自分たちを顧みない与党攻撃や、身内の問題を明らかにしない姿勢は、支持を得られるものでしょうか。

自民党を支持したくはないけれど、応援したい野党もいない状況をなんとかしてもらわないと、投票に行けないですわ。

 健全な民主主義には、存在感のある野党が欠かせない。改めて、野党第一党としての奮起を期待したい。

そのために必要なのは、何を保守すべきで何を革新すべきかを整理し、明確に腑分けして語る知性と、将来のあるべき姿を提示する理性と、それを語る言葉ではないでしょうか。

保守すべきは、日本をどんな国にしようと先人が考えたかであり、私たちは、未来にどんな国を渡そうとしているのかを求め、その理想に欠けている現在を革新すべきなのではないでしょうか。

与党を攻撃するだけではなく、自らの理想を掲げる毅然とした姿に、国民は期待を寄せるのだと思います。

だから一部の人たちが山本太郎に期待してしまう。何かあるように見えるからね。

4党合意で、今後どうなるのか、衆議院選挙に向けて、見ていきたいと思います。

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fujita244
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