干場さんの前向き力に学びたい
新型コロナウイルス禍のなかで、生活が変わるというような話はいろいろありますが、コロナと共に生きるという時代になることは間違い無いでしょう。
そのことは、不安を生みます。
我が敬愛する編集教室校長の干場さんが、そんな質問に答えていたのでご紹介します。
質問:コロナが怖い
コロナが怖くて仕方ありません。 肺炎になるのは苦しそうだし、世界中が大恐慌になって電気や水や食料に事欠くことになったらどうしよう? と、今から考えてもしょうがないことが気になってしまいます。。 どうしたら、干場さんのように冷静でポジティブになれるでしょうか・・?
3月25日に寄せられた質問だそうですが、これ、その時にすぐ答えたのではなく、時間が経って、答えが変わってきていることも書いています。
コロナとの付き合い方=不安との付き合い方(その1)
人はなぜ、不安になるのでしょう?
それは、よくわからないからだと干場さんは説明します。
これは情動理解の基本ですね。
情動(emotion)は、生体に入力された感覚刺激への評価に基づいて生ずる生理反応(自律神経系、免疫系、内分泌系の反応)
行動反応(接近、回避、攻撃、表情、姿勢など)
主観的情動体験
の3要素からなる。
それはさておき、不安になるのはわからないからなので、正しく知りましょう、ということになります。知るためには情報を集める必要があります。
このためには、信頼できる、すなわち、出典元が信頼できる組織・個人のものであり、エビデンスに基づく記述である情報を、多方面から集めることです。数が多くても、偏った立場からの情報だけでは実態に迫れません。それどころか、デマに翻弄されることにもなりかねません。
知る、行動する、準備する
知ったらば、次に行うのは備える。
脅威の実態を知ったらば、それに出会わないように行動し、万が一に備えてリスク分散をはかり、最悪に備えて(この場合は罹患し入院すること)準備をしておく。
リスクを冷静に計算しつつも、それに備えるためにできることで、信頼できるソースが推奨する、コストに見合う程度のことは準備しておく、ということです。備えあれば憂いなし、とは言いませんが、備えあれば憂い半減、ぐらいまでにはしておくことでしょうか。
この、次を見据えて備える、最悪をイメージして準備する、というのは経営も同じでしょうし、国家運営も同じだと思います。
経営者である干場さんの面目躍如、というほどのことでも無いのですが、こうした当たり前に思えることが、この国の多くのリーダーにできていないように思えるのはなぜでしょう。
考えても仕方がないから、できることをする
そして、相手を知って、起きるであろうことに準備をして、その後はどうするのか。
考えても自分にはどうしようもないことについて、あれこれ心配している暇があったら、小さなことでいいから自分にできることをする、ということです。
ここが、干場さんの真骨頂なのですが、行動することを推奨します。
人間が、つい不安の中に止まってしまうのは、そのほうが脳が楽だからです。何かをする方がエネルギーが必要で、不安だからと空想に逃避する方が、エネルギーは少なくてすみますからね。
自分の手ではどうしようもないことを、あれこそ考えて不安になってしまうのは、そうしている間は、行動を起こさなくてすむからです。つまり、逃避です。いまは、どうしようもない不安から逃げ出したい、と思っているかもしれませんが、不安から逃げ出す最大の方法は、不安の正体を知ることです。
そして、決め台詞!
行動こそが、不安をなくします。
不安は妄想(バーチャル)であり、行動は現実(リアル)だから。
かっこいい!
でも、ここまでは4月の頭の話でした。
コロナとの付き合い方=不安との付き合い方(その2)
ここで返事をしておけばいいのに、いろいろあって、これが投稿されたのは、5月に入ってから。
状況は、さらに変化し、答えるべき内容も変化せざるを得ません。
その後、飲食、観光、娯楽、芸術を中心に、休業要請に基づく休業、それにともなう倒産、内定取り消し、破産、失業、ホームレス化、自殺など、経済活動の急速な縮小に伴う世界恐慌以来とも予想されていた事態が現実のものとなり始めていくなかで、わたし自身、不安、というか、迷いが生じてきてしまいました。
私たちに何ができるか、そもそも出版に何ができるのか、問いは自らを苛みます。
そして、気づいたことが二つあると干場さんは書きます。
一つは、この漠然とした不安というか気がかりは、ずっと続くんだな、ということ。
with コロナ の時代とは、with 不安の時代だと。
先ほどのその1では、不安をなくすために「知る、備える」ということを書いていましたよね。そんな干場さんも不安は付き纏うことに気づきます。
つまり、不安と自分の距離感というか、関係が変わったわけです。
わたしは、不安は持つべきでないものという立場から書いていました。それが、気づいたことの二つ目でした。
不安を否定する立場から、肯定する立場、いや、受け入れることが自然なのだと気がついたわけです。
わたしたちが、将来を予測できる、いまここにないものを幻想できる唯一の生物であるかぎり、不安はなくならない。最初に書いたとおり、いまここにないもの、未来のことを考えれば、必ず不安になるのですから。それが自然な働きなのですから。
この変化は、干場さん自身の今後の思考を大きく変えるかもしれません。
不安を吹き飛ばす、勢いのある言質だけが、世を牽引するわけではないと気がついたからです。そこにあるものを受け入れて、その上で、何を考えるかが重要だと。
だから、不安になっている自分を責める必要はなかったんです。
不安と敵対する必要はなかったんです。
不安と敵対せず、それでも前へ
では、どうするべきなのでしょう。
やっぱり、まずは自分にできることをする、以外にできることはないといまは思っています。
それでも前に進むしかないのだということですね。
そして、そういう人がたくさんいることも見えてきています。
不安と向き合い、脅威を明らかにしたうえで、それをチャンスにしている人たちです。これをきっかけに世の中を変えようとする人たちです。
その1の結論は、「行動こそが不安をなくす」でした。
では、その2の結論はなんでしょう。
行動しても、不安はなくならない。次の不安が生まれるから。
でも、行動すれば、何かが変わる。
現実の時空間に歪みを生じさせるから。
いい方向か悪い方向かは分からない。でも、現実を変える。
行動は不安を無くさないかもしれないけど、現実を変えることはできる、というものでした。
やはり、前へ。その場で足踏みしていても何も変わらないならば、何かを変える行動を起こそう。前向きです。
そして、さらに名言です。
考えてもどうしようもないことを考えつづけるなんて、思い上がりもはなはだしい。だってそれ、何でも自分でコントロールできるはずだと思っているということでしょう?! だって、人事を尽くして天命を待つ、じゃないですけれど、できる限りのことをしたら、あとは運に任せる!!
受動的になるからやられちゃう、能動的に
こんな境地に達した干場さんが、先日オンラインイベントで語っていた言葉がまた良いです。
https://40s.tokyo/lifestyle/202005/905/
例えば、東日本大震災の時との類似を示しつつ、
なんか、あの時と似ているなって、今感じてる。新型コロナウイルスのおかげで何が変わりますかと尋ねられたら、「働き方改革やリモートワークが進む」といった表面的なことを言う人が多いんですけど、そうじゃないものもすごくあると思うんです。今のとんでもない資本主義を見直すとか、いろんなチャンスにできる。とはいえ、個人の中でどう消化していけばいいのか。私自身もまだ消化しきれていない状態です。
そして、やはり行動を推奨しています。
そうじゃなくて、自分から働きかける。働きかけるためには、いろんな人の意見を聞いて、見て、自分が納得感があるものを選ぶ。あるいは「総合してこういう可能性があるな」と考え、「自分はこうしていこう」とか「何ができるか」という風に一歩進む。なんであれ、どんな状況であれ、能動的になることが一番大事です。動いた結果、ダメだったとしてもね。
学ぶことが多いイベントでした。
コロナに負けるなではなく、コロナがあっても、結局、その状況を受け入れた上で、能動的に生きることが大事だということなんだと思います。
もうちょっと更新してくれると嬉しいけど、気長に待ちましょう。