8時間労働とドトールと佰食屋の話
働くのは時間ではなく仕事量とクオリティだとわかっていても8時間とか思ってしまうよね
じゃ、なぜ、8時間働かなきゃと思うのか。
川崎造船所のせいだね。
この記事にあるように、今から100年前に神戸市の川崎造船所で日本初の8時間労働制が始まった。
1890年のフランスでメーデー(5月1日)が始まった時には「8時間労働の歌」(「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」)というのを歌って、勝ち取ろう!となったくらい切望されたのが8時間労働だった。
つまり、8時間労働って、労働者が勝ち取った権利で、切望されたくらいの「短い労働時間」だったということなんだね。
それが、戦後の1947年に法制化されて、現在に至るというわけ。
でも、実際に8時間労働で済んでいる人は一部で、すきあらばもっと働かせようと企んでいる経営者はいるし、ついつい働いてしまう労働者もいる。
働き方改革とか言って、国が有休消化5日間とか言いだせば、年間の法定休日を変更して、36協定を押し付けてなんとかしようという企業も出てくる。
でも働くって、時間なの? 休日ってなんのためにあるの?
そういうことを考えていかないと、働くじゃなく働かされている、積極的に働いてるのって若者のやりがい収奪だよね、結局社畜じゃね、とか、いろんな言葉で揺さぶりをかける世間に流されてしまう。
8時間働くのがマストなのではなく、8時間以上働かせちゃダメ、というのが法律。1時間休憩もとらさなきゃダメと決められている。守られるべきは労働者であって会社ではないはずなのだけど、会社がなくなれば仕事もなくなり社員も困るよね、という論理で仕事を押し付けてくる会社のなんと多いことでしょう。(最近、この言い回しが気に入っている)
でも、仕事は会社の外にもあって、会社がなくなれば別の会社に行けばいいだけの話。この辺りは、流動性の低い日本社会の問題でもある。
話を戻すと、本来、仕事が終われば時間は関係なくて、その仕事で利益が出ていれば企業としては良くて、そこでもらえる給料が適切ならば従業員も満足なはず。
仕事量とかクオリティとかいうのは、その先の話で、しかも、この話をする人も、金額との見合いという観点を忘れがち。
だから、最近注目の、この会社の行く末が気になる。
最近大評判でCMにも出ている佰食屋ことminittsの中村さん。
逆張り経営とかいうような言葉で済ませられないものがあって、何より好きなのは、この話。
開店の2カ月前にビジネスプランコンテストに出て、審査員の方々にけちょんけちょんに言われたときは、さすがに落ちこみましたけどね(笑)。中小企業支援の専門家や大学教授とかに「そんなのバカらしい」と言われて・・・「見てろよー!」と逆に燃えました(笑)。
いかに、審査員が常識でしかものを見ていないか、そうなるとコンテストに合格したアイディアがその後どうなったかが気になりますな。
この佰食屋のコンセプトは、仕事は、時間ではなくミッションを終わらせることだ、ということが体現されている。100食売ったら終わり。早仕舞い。
そこを諦められるかどうか、というのはビジネスの話なので、今日は置いておいて。
8時間に意味があるのではなく、その中で何をしたかが結局問題だということで、働き方とは何かを考えずに、時間短縮とか休暇増とか、数字の話だけしても、改革にはならないんじゃないですかね。
仕事ってなんだろう。そう考えておりまする。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。