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調べてみたら日本の高齢化に驚いた

編集教室の宿題シリーズ(?)第3弾ですが、社会課題を挙げて、解決策を調べて、本と人を提示という課題です。

今更ですが、日本が高齢化していることと、社会が対応し切れてないことに興味というよりも、年齢的に親の老後に直面していて、周りの友人・知人との話でも、介護とか入院とか施設とか、そういう話が増えています。

そこで知っているような気になっていた日本の高齢化について、改めて調べてみて、驚いた話をします。

まず、高齢化と言いますが、高齢化社会、高齢社会、超高齢社会と、言い方に色々ありますよね。これは定義があります。

人口全体に占める65歳以上人口の比率(高齢化率)が、7%を超えると高齢化社会。

14%を超えると高齢社会。21%を超えると超高齢社会。

化がつくのは、気配がする、化が取れたらなってる、超がついて超えてる、ということですね。

日本で、高齢化率が7%を超えたのは、1970年。今から49年前です。大阪万博の年ですよ。カップヌードルが生まれた年でもあります。成長期の最後だという感じではあったけど、もう高齢化していたんですね。

高齢化率が14%に達したのは、1994年。平成6年。Jリーグが始まったのが1993年。リレハンメル五輪。大江健三郎のノーベル文学賞受賞の年です。

高齢化社会から高齢社会まで、つまり7%から14%までに24年かかってます。

高齢化率が21%に達したのは、2007年。平成19年。Googleが携帯電話用の検索サービス提供。第一次安倍政権。初音ミク発売。初代iPhone登場。

高齢社会から超高齢社会まで、つまり14%から21%までに13年。

そして、2018年。平成30年。高齢化率は28.1%。超高齢社会の上に呼び方はないのですが、7%増えたことを考えると、超超高齢社会とでもいうべきなんでしょうか。

その間、11年。高齢化率の増加が加速していることがわかります。

さらに、高齢社会白書を見ていて驚いたのは、その内訳です。

「65歳〜74歳人口」は1,760万人、総人口に占める割合は13.9%。「75歳以上人口」は1,798万人、総人口に占める割合は14.2%で、65歳〜74歳人口を上回った。

これ、歴史上初めてのことです。いわゆる前期高齢者である65歳〜74歳よりも、後期高齢者といわれる75歳以上の方が多いんです。確かに、75歳以上は115歳くらいまであるでしょうけど、それにしても長生きの人が多いという感覚を裏付ける数字と言えます。

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そして、それは拡大していくと予測されています。これは75歳まで働いてもらわないと手が足らないと政府が思うわけです。

いま、団塊の世代が、74歳〜70歳(昭和20年から24年生まれ)ですから、来年以降、どんどん75歳以上になっていくわけで、それを反映して、2025年には2100万人越えが予測されています。

そして子供の数は減る一方です。

政府の予測数値の中でも、人口予測については正確だと言われます。推計しやすい要素ばかりだからですね。急に人口が減るのは戦争くらいですから。

これを見ると、「大人の約半分が年寄り」の世界がすぐそこまで来ていると言えます。

さらに、年齢の中央値、つまり人口のちょうど半分の年齢が、2025年には50歳を超えるとも予測されています。

団塊ジュニア(1971年〜74年生まれ)が50歳を超えたくらいですね。

2025年は、団塊世代が75歳を超え、その子供たちの団塊ジュニアが50歳を超える、さらに上のレベルの高齢社会が訪れるということでしょうか。

予想以上に、日本の高齢化は進んでいて、しかも加速しているわけですが、社会の方はそんなに変わっていないように感じます。マーケットが老人対応になっている(一部のジャンルが伸びているにしても)とも言えませんし、社会システムもそれだけ大量の老人を相手にすることを前提としたものにはなっていません。

ここに、想像以上の変革が必要なのではないかという懸念を持っています。老人対応などという言葉では生温い、明確な意識改革、視点の転換がなければ、日本社会は、経済的にも政治的にもずるずるとダメになっていくだけなのではないかと。

そのためにどういう視点を持つべきかというのが、私の問題意識です。

確かに、リンダ・グラットンさんの「ライフシフト」のような本がありますが、これは個人の考え方の話。

過去200年間、人の平均寿命は伸び続けてきた。そこから導かれる予測によれば、2107年には主な先進国では半数以上が100歳よりも長生きするのだという。すると、80歳程度の平均寿命を前提に〈教育〉〈仕事〉〈引退〉の3段階で考えられてきたライフコースは抜本的に考え直されなければならない。

この本を受けて、日本政府も考え方を変えようということらしいですが、そういう人生を生きるにふさわしい国かどうかを考えているのかどうか。

個人が100年を見据えた生き方を考えるときに、この国で老後を暮らすのは良いことなのかどうか、という選択の時代になっているかもしれないのに(特に高収入層は)なんか視点が違うような気がするんですよね。

リンダ・グラットン先生の御高説を賜っても、理解して行動しないとダメですよね。そのために漫画で学ぶというのも、まあいいですけど。

そのときに芯となる理念はどこに置くのか。

老人を理解する、という上から目線で考えるのではなく、自分が高齢者だったらどうするか、何が欲しいか、つまり「当事者としての高齢者」から始まる思考を補強するには何が必要か、という視点ではないかと思うんです。

「超高齢社会を支える当事者としての高齢者」という視座で社会を見ていくのをテーマにしたら、何が見えるか。そこにいま興味があります。




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