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日本の近代化と日本文化の変容

私の専門は文化人類学でも民族学でもないので、そういう学術的アプローチから、この問題を考えているわけではないのですが、考えていくとやはり、こうした専門分野ではどうなっているのだろうという興味が湧いてきます。

素人なりの類推と乏しい経験に基づいた思考で、下記のようなことを書きました。

見る人の変容が起きるのは、体験の広がりがあるからで、それは多くの場合、他の文化との接触によって引き起こされるのではないかと思います。

偶然見つけた論文なのですが、1963年に発表された「日本の近代化と文化変容」というタイトルで大変興味深いです。

近代化と文化変容とは本来別個の現象であり、 概念である。 けれどもヨーロッパ以外の後進地域においては、 本格的な近代化は多くヨーロッパの近代文明との接触後、 はじめて進行したために、 近代化と文化変容は実際上は重り合い、 からみ合った一連の過超として現われてくる。

この文章にあるように、西洋以外で起きた近代化は文化変容と伴ってしまうわけで、それは日本も例外ではないのですが、西洋の近代文明と接触した時の日本文明は、すでにある成熟を遂げていたことが、中米・アジア・アフリカ諸国とは異なる点だと言えます。この論文でも、そこを挙げています。

日本の場合、 開国以来急速なテンポで近代化を進め、 植民地所有国の末に加わることすら可能であったのは、 その開国が行われたのが世界資本主義の特定の段階に当っていたことと、 当時、 日本がすでに高い程度に文化的・ 社会的に成熟発展していたことが重要な要件だったであろう。

この論文では、日本が西洋文明と接した後に、尊王攘夷から八紘一宇までナショナリズムに向かうことになった要因として、この近代化と文化変容の重なりが起こした社会心理学的な反動現象なのだと指摘しています。

日本の近代化、 文化変容の過程を通じて、 日本の民族文化が、 いかなる役割を果すか、 またいかに新らしく形成されて行くかは、 我われ民族学者にとって大きな関心事であろう。

そして、この論文を上記のように締めているのですが、まさに、日本文化と呼ばれる民族文化が近代化と文化変容の過程で、どう新しく形成されたか、というのが、この一連のグダグダな文章の目的でもあるわけです。

それと、1991年に発表された「近代日本における文化受容の諸問題」という論文のなかで紹介している上山春平の「600年周期と20年周期説」というのも面白い。このサイクルによれば、日本が欧州文化を摂取し受け入れ始めたのが1500年くらいで、その頂点が2100年頃だろうというスケールの大きな話で、そこから先は、独自の文化が生まれるらしいです。20年というのは、その受け入れと内面化のサイクルで、1900年、20年、40年、60年と20年ごとに受け入れから排外(欧化と国粋)への切り替わりのタイミングが来ているそうです。

日清日露に進む1900年代、満州事変に進む20年代、大東亜戦争になる40年代、日米安保の60年代となんとなくあっている気がしてきますね。その意味では、2020年に何かが切り替わるんでしょうか?

この論文の筆者は、欧化と回帰(国粋)のサイクルとして、もう少し長い25年ほどのスパンを示し、欧化の時期として、明治開国時、大正デモクラシー、戦後デモクラシーという3つの頂点、回帰の時期として、日清日露戦争、15年戦争、60年代から70年代までの日米安保期を挙げています。そのサイクルでいうと、80年代90年代の欧米化を経て、現在は、2005年くらいから回帰の時代に入っていることになります。

何れにしても、二本だけですが論文を読んでみて、民族学の分野からも、哲学の分野からも、欧化と国粋というのは、近代化と文化受容を考える際に、キーワードと言えそうだということがわかります。

日本文化が、なぜ、現代日本人から遠いのかを考えるには、この欧化と回帰ということも考えていくと面白いかもしれませんね。

ますますややこしくしてどうする。



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