「ふさわしい自分」に近づくと、会いたい人に会える
突然だけれど、
このnoteを読んでくれているあなたには「憧れの人」はいるだろうか?
テレビやラジオ、本やYouTube。
何かの媒体の先でのみ、その体温を感じていた人。
そんな人はいるだろうか。
ぼくには何人も思い当たる人がいるのだけれど、
サッカーコーチ時代、何度もいつかお会いしたいと願った人がいる。
それがサッカー指導者の池上正さんだ。
サッカー指導で悩んでいたぼくは、たくさんの本を読むようになっていた。その中で出会ったのが池上正さんだ。著書「叱らず、問いかける」はぼくのバイブルとなったし、「サッカーで子どもを伸ばす 11の魔法」は何度も読み返した。
その当時、想像していなかったことは、
池上正さんと一緒に肩を並べて、子どもたちの指導をする日が来ることだ。こんな未来が実現するなんて夢にも思わなかった。それくらい、今日はぼくにとって、とても重要で、大切な瞬間だった。
ぼくは「指導」と「遊び」という言葉を使い分けるようにしている。
指導は「スキル」や「技術」などを身につけるために、ぼくたち指導者がトレーニングをデザインする。目的があり、その目的に沿ったウォーミングアップやトレーニングを構成する。
一方で、遊びは子どもたち自身がつくるものだ。その内容は参加する子どもや年齢、特徴によって姿、形を変える。
たとえば一般的な鬼ごっこは「鬼が逃げている人をタッチする」というルールだ。でもここに、小さな子どもが入ると「この子はタッチしちゃダメだよ」というルールが追加される。足が速いお兄ちゃんは「片足でケンケンしないとダメ」というルールが追加される。まさに変幻自在。なぜなら遊びとは「遊ぶことが目的」だからだ。参加しているみんなが楽しめること。何かの技術を身につけるための時間ではないことが遊びの大きな特徴だ。
もちろんそこにはグラデーションがある。
ぼくたちはその絶妙は塩梅にいつも頭を悩ませる。練りに練った練習で上手くならない子どもが、たった数十分の遊びで驚く変化を遂げる子もいる。
そんな考え方を教えてくれたのが池上正さんだ。
「いつか海士町に行きたいと思っています」
そんなメッセージをもらったのはいつだっただろうか。
受け取ってまもなく「9月に島根に行く用事があるから、その足で隠岐に行きたいと思います」と重ねて連絡をもらった。
憧れていた人が、「行きたい」と言ってくれている。
そんな嬉しいことが起こるなんて。
これを読んでくれているあなたにも憧れの人がいるはずだ。
そしてその人とはいつか、膝をつき合わせて食事をしたり、お仕事をご一緒したりする日がくるかもしれない。
ただ願うだけでは実現しないかもしれない。
その日がくることを願い、
そのときに「ふさわしい自分」になれるよう、
いまらか自分を磨いていきたい。
ぼくもまたそうしたいと強く思った。