『射精責任』日記① 私が想定読者です
はじめに
『射精責任』。一度聞いたら、決して忘れられない四字熟語。新しい造語でも、エッチなコンテンツのタイトルでもありません。大真面目に女性の身体と生命の安全、望まない妊娠による中絶を論じた、人文・思想ジャンルの全米ベストセラーを翻訳した本の書名です。
長引く出版不況と毎日おびただしい数の新刊点数のなか、新刊タイトルの発表というのは、そのほとんどが、日々、ネットの海に流れては埋没していく運命にあります。しかし、本書『射精責任』は、うっかり担当編集者がその名を口にした途端、大変な反響を受けました。書名を出すたびに何千・何百とイイネやRTをされ、拡散しました。
その多くは、ありがたいことに応援の声でした。書名と簡単な書誌情報、目次を公開し、予約を開始した途端、Amazon人気度ランキングで1位を獲得。しかし一方で、発売前にもかかわらず、「男に責任を押し付けるな!」「受精責任だってあるはずだ!」「出たw女の他責w」「フェミ界隈の話題にロクなものなんてない」という批判的なリプライが、毎日毎日、大量に送られてくる状況になりました。
あるいは、著者が保守的とみなされがちなモルモン教徒であるという断片的な情報を受け、「モルモン教徒が男性に責任を強調することで、中絶への忌避感を高め、女性の中絶の権利を奪おうとしているのではないか」という憶測も拡散されました(著者は確かにモルモン教徒ですが、プロチョイス派(女性の中絶の権利を保障すべきという立場)の論者で、包括的な性教育を積極的に行うべき、という主張をしています)。このような邪推は、なんと一部のプロの著述家や研究者らも加担し、拡散されていきました。
このテーマ、この書名の、とてつもない想像力の喚起力、どうしても人々を「黙ってはおけない」と思わせる力はなんなのだろう? この本が持つ不思議な力、そして発売前から寄せられ続ける「一体どういう本なのよ?」という多くのお声を受けて、担当編集者のふじさわが、本書を広大な外国書の海から見つけてから、発売するまでの様子を日記形式でお届けします。こんな感じで本って出版されてるんですよ、という過程を、なるべく赤裸々に綴っていこうと思います。
ガブリエル・ブレア『射精責任』(村井理子・訳/齋藤圭介・解説)
2023年7月21日より好評発売中!
運命のメール
2022年8月下旬。スウェーデン大使館が「旅費と宿泊費を出すから、スウェーデンの版権を、ストックホルムに見に来ない? 来たからってその場で買わなくてもいいから」という、太っ腹すぎて詐欺かと疑わんばかりブックツアーを計画していると聞きつけ、早速申し込む。無事に審査を通過。同行する他社の版元やエージェントとオンラインで顔合わせ。どうやら詐欺ではないらしい。文化にお金をかける姿勢が、我が国と雲泥の差で白目を剝きそう。
その場で、「なんでスウェーデンに行きたいの?」という話題に。私は、スウェーデンのフェミニズム・ギャグコミック『21世紀の恋愛:いちばん赤い薔薇が咲く』が好きで…という話をする。 それを聞いた同席していたエージェントが、商機を見逃さなかった。早速、売り込みメールが届く。件名には元気よく「射精責任!(EJACULATE RESPONSIBLY)」。
ギョッとしながらメールを開くと、本国アメリカ発売前の本書『射精責任』の情報が掲載されていた。アメリカではロー対ウェイド判決(女性の中絶の権利を保障した最高裁判決)が覆ったばかりだ。なるほど、アメリカではタイムリーな話題だ。とはいえ、まだ発売前。実際に、実績がどうなるのかはわからない。タイトルもちょっと過激だし、どうかなぁ…
企画会議
2022年11月。安倍晋三元首相銃撃事件をきっかけにして『宗教2世』(荻上チキ・編著)を、制作期間2ヶ月での緊急刊行。そして、『宗教2世』の校了時期と被ってしまったスウェーデン出張が重なり、燃え尽きていた(スウェーデンに行くことに決めた8月には、こんな企画はなかった。ゆえにこんな無茶な強行軍になるとは予想できていなかった)。
私自身も宗教2世当事者であったことによって生じたトラウマへの刺激。千人を超える当事者の声、数万字を読み続けたことによる二次受傷。毎夜続く悪夢。止まらない下痢と胃痛。両親との断絶。呆けた頭で、そういえばあの変なタイトルの本、どうなってるのかなー…とほとんど暇つぶし的にAmazonを検索。めちゃくちゃ売れてるやんけ。慌てて企画会議にかける。下読みの予算を獲得。
『宗教2世』の編集過程で、日本でも、宗教右派が女性の中絶の権利を阻もうという草の根活動をしていると知ったこと、経口中絶薬の承認の可否が話題になっていたこと、赤ちゃんの遺棄事件で母親が逮捕される度に「父親はどこへ?」という議論がSNS上で巻き起こることなどが念頭にあった。
著者は6人の子どものお母さんで、パワフルなインフルエンサー。そこで、担当していたエッセイスト・こだまさんとの対談でご縁があった、双子育児と介護と大量の仕事を抱えながらも、精力的な活動で読者を励まし続けている村井理子さんがぴったりでは、と翻訳を依頼。ご快諾。
版権獲得
年末。リーディングのレジュメを拝受。めちゃくちゃ面白い! 目次からうなずきが止まらなくて赤べこになりそう。欲しいぜ、版権。ということで、社内の上層部と、版権獲得の是非を問う会議に臨むことに。
しかし、どうやら風向きが怪しい…
企画書には、「著者のユーモアのある文体が魅力的」と書いたが、試訳を読んだ男性上司から「ユーモアは感じられない。責められているように感じる。怖い」「誰が読むのかわからない」というネガティブな言葉が次々と。マジか。どれとは言わないけど、あんな本もこんな本も出してる版元なのに。どんな本でも出せると思って、入社したんだけどな。
たしかに、翻訳書は和書の刊行よりお金がかかる。印税は原著者と翻訳者、両方に支払わなければいけないし、原著者にアドバンス料(前払い金)を支払うという和書にはない慣行もある。なにより翻訳書は和書より売れない。一部例外を除いて、圧倒的に売れない。翻訳書は和書より厳しい審査に晒される。
とはいえ、この状況。私以外、全員が中年男性の会議体。そこで発せられる「この本の価値ってなんなわけ?」という厳しい査定。これ自体は、本書が主張している「女性の痛みは、男性によって無視され続ける」構図そのものだ。この会議の風向き自体が、本書の必要性を示しているといってもよい。ここで引くのは嫌だなぁ…
そこで最終兵器「私が想定読者です!」を発射(『重版未定1』参照)。説得。ごり押しの結果、「タイトルが強烈で面白いかも」「テーマに同時代性がある」という理由で、版権獲得の承認を得る(一方、『射精責任』というタイトルには根強い懸念もあり、別案を検討しておくようにも指示があった)。
会議の経過を翻訳者の村井さんに報告。曰く、「怖いのはこっちだよ!」。
次回、「『射精責任』日記②」に続く。