DoingとBeingか?

何をするか?(Doing)
どうありたいか?(Being)

僕の中では3,4年前くらいから意識する言葉で、やっぱりどうありたいか?が無いと何をしたって空っぽな気持ちになるから、Beingを大事にしたい。と思っていました。

この前、地域の変態さん(誉め言葉)が集まる場づくりを考える会で変態のマスターヨーダ的な人から、

どうありたいか?を言語化した時点で何をするかに置き換わっている

という話を聞いた。Beingは自分の中にあるけれど、アウトプットした時点でDoingに変わっている。人にやさしくありたいと願うと、優しさをもって行動することになっている。BeingとDoingは表裏一体。結局、究極的にBeingにはたどり着けない。

Doingばかりだと空っぽになるからBeing大事だと思っていても、Beingには一生たどり着けない。じゃあどうしたらいいの?って思っている中で、今日気が付いたことは、

やらなければならない(must)ではなく
やりたい(want)なんやろうなと

”やりたい”だけでやれるほど社会が甘くないのはわかっている。でも、
”やりたい”がなく”やらなければならない”と
”やりたい”のために”やらなければならない”は全然違う。
自分たちが何をしたいか?をもっと表に出せたらいいのかなと思う。

”やりたい”を追求している人たちはやっぱり魅力的だ、
子供たちが心から遊んでいる様子を見ると、とても魅力的に見えるのはやっぱり”やりたい”を体いっぱいに表現しているからだと思う。

子供たちが”やりたい”をいっぱい表現できる未来になってほしい
大人たちが”やりたい”を少しでも表現できる社会になってほしい
そう思うから、僕は”やりたい”ことをこれからやりに行く。


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