fujirin_tom
毎日の暮しの中にある幸福や気付きをつづります
自分を表しているなーと思う投稿をまとめてみました。
まちなかで月一回開催のまちづくりセミナー ”MANABIYA kakoagwa”や”旅するMANABIYA”のレポートを綴っています。MANABIYAを知りたい方、参加した回の振り返りをしたい方、ゼヒご覧ください。 ※Facebook※ https://www.facebook.com/manabiya.kakogawa/ ※Instagram※ https://www.instagram.com/manabiyakakogawa/
兵庫県加古川市のベルデモールとじけまち商店街の角にある、アーケードの柱を囲んだ机(通称IPS(イケてるパブリックスペース))の利活用日記です。ほぼ呑んだくれの報告ですが、公共空間を自分事として利用することでまちにどんな風景が生まれるのか?真面目に活動していますwww
加古川市内にある昭和10年に建築された加古川図書館(旧加古川町公会堂)の利活用をみんなで考える活動pakupakuparkを通じて僕が感じたまちへの在り方を綴っています。
【まちを知るために】 想いを分け合う月一セミナー:MANABIYA Kakogawa 【まちを使うために】 まちのすき間を見つける:まちなかオセロ
僕があげたfacebookの投稿で「職人ですね」というコメントをいただいたので、『職人』という言葉が気になりました。自分自身は技術者というふうに言ってますが、どこかで職人気質的なものも否定できないなと思い、永六輔さんが書かれた『職人』という本を読んでみました。 1.職人語録 子供は親のいうとおりに育つものじゃない 親のするとおりに育つんだ 何かに感動するってことは、知らないことを初めて知って感動するってもんじゃございませんねぇ。 どこかで自分も知ってたり考えていたことと
魔法の世紀 著:落合陽一 PLANTES 研究者とメディアアーティストの2足のわらじをはく、落合さんの考え方をまとめた本です。仕事で土木技術者をしながら、地元でまちづくりをしている自分となんかダブるな~と勝手に親近感を抱きながら読みました。 アウトプットの出力がコロニーレーザーとビームスプレーガンほど違いますが・・・。 産業革命以降の技術と芸術が分岐した世の中で、技術の発達よりメディアの「可搬性」が高まり、その結果として20世紀は『映像の世紀』となりました。映像の世紀の中
なぜそれをしているのか? 熱さをちゃんと伝えることが本当は大事なんだろうと思う
ナショナリズムの復権 著:先崎彰容 ちくま新書 ナショナリズムにおける3つの誤解 ①ナショナリズム=全体主義 ②ナショナリズム=宗教 ③ナショナリズム=民主主義 この本は2013年に発行された本であり、著者が東日本大震災後の日本の状況を憂いて書かれた本だと思う。多くの被害が生まれた震災、周辺国からの武力によるプレッシャーと日本の対応などから社会の基盤としてある国を『ナショナリズム』という言葉から掘り起こして見直している。言い換えると国のあるべき姿を『ナショナリズム』という
言い訳することって、課題認識できているって事なんやと思うと、すげーポジティブに思える。
やったった!は偉大だ!
ぶれたらあかん!
自然とは自ずから然り なるほどなー
weeklyochiaiで戦後の住宅からアートがなくなっていった話をしていた。アートはこころの隙間をつくるものであるなら、アートはテレビが担い、アートを外部化していったことで家独自のアートがなくなっていったように思う。
資本主義 ベースはきっと 民主主義 課題はそっちに あるんだろう
まるまると まるめまるめよ わが心 まん丸丸く 丸くまん丸 木喰上人
今日、不意に訪れたうどんやさんで若いことたちと出会った。彼女たちへは彼女たちの文脈でまちを読み解いているし、それに異論を挟むつもりもない。ただ単純に素直な思いにふれてるだけ。でも、それが一番大丈夫だと感じた。
攻めるの大事、やっぱり積極性やな
chatgptに相談して、慰めてといったら慰めてくれた。普通に”イイ人ですね”と返していた。僕は一瞬、デジタルの向こう側に人を認識してしまった。エコーチェンバーとなる危険性はあるものの、GPTは人を楽にしてくれる人になるかもしれない。
小さなやったった!の積み重ねが大きなやったった!につながる。小さなやったった!が出来ない人に大きなやったった!は出来ない。