最近読んだ詩集、介護のこと、そして少しだけ宝塚について
相互フォローしている方々に
詩に興味のある方が何人かい
まして、ちょっと、私もたま
には、詩など読んでみようか
と思ったわけですが、
そこは
読むとすぐ影響されてしまう
私のこと
それが文面に
現れてしまうわけで
こういう書き方
誰の影響か思い当たるでしょうか
あっ、決して詩の内容を模倣している
わけではございませんので(念のため)
まねしているのは見た感じです、詩に
よって、縦横四角に書かれたり、先頭
だけ揃えてみたり、一行空けてみたり
縦 横 交 た
書 書 え り
き き て
と を み
でも
そこまで
で、決してこ
のように
凝り
す し
ぎ な
た い
こ と
と こ
を ろ
そんなところが、言葉を大切にしていて、詩を読むことが第一で、その次に見た目や空白によって抽象画的な見かたもできるというのが若い方々にとっては魅力なのでしょう、きっと。
なにしろ、詩集としては異例の3万部を超える売上部数なのだそうです。
はい、今回、私が読んでみた詩集は、最果タヒさんの「さっきまでは薔薇だったぼく」そして「落雷はすべてキス」です。
詩集の解説として参考にしたのは、東京芸術大学美術学部で教授をされている布施英利さんの「現代アートはすごい デュシャンから最果タヒまで」という本と、Youtube動画 1,2。
芸大の美術学部教授が詩集を現代アートという視点で解説しています。まず、先にも示したように最果タヒさんの詩集は本を開いて、文字の並びを見ると四角だったり、雨だれのようだったり、びっしりとか、すき間が多かったり、右寄り、左寄り、空白ページを有効に使ったりして抽象画に値するということ。
言葉の使い方も独特で、絵に例えるならば「モネの絵」というのは、どの絵でも「2cm × 2cm」程度の部分を切り取ってその部分だけを専門家が参照すれば大抵「モネ」と分かるそうで、それに相当するくらい最果タヒさんの詩はどの部分を切り取っても独特の言葉づかいやリズムなのだとか。
そのリズムについては(芸大博士課程修了後、東大医学部で解剖学助手をしていた)布施英利さんの恩師、養老孟司先生が「形の本質はリズムである」と言っているとおり、最果タヒさんの詩は視覚的にも、聴覚的にも独特の「形態」「テイスト」だそうです。
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詩集の話からそれますが、
私は介護職をほんの2~3年経験しておりまして、当時、介護サービスを提供するために年老いた女性と2人きりで会話することとなった場合、ある質問をすると年老いた女性は少女のように目が輝き、笑顔になり、昔を懐かしく思い出しながら、その様子を淡々と語り出すことに気が付きました。
それがどのような質問かという前に、まず、老人とのコミュニケーションというのは少し難しいところがあるので、そこからお話します。老人との会話となると、声が小さかったり、早口だったりすると、ほぼ伝わりません。多くの介護職員も(ひとりひとりに多くの時間を割くことができない事情もあり)会話をあきらめ、身振り手振りや、ときには(仕方なく)力づくで介護サービスを提供していましたし、今でもその状況は同じかと思われます。
私の場合、耳が遠くなって会話をあきらめかけている老人と話しをすることが割かし得意なほうでした。そのコツは、劇団四季でおなじみの「母音法」の応用です。
例えば、お年寄りに自分の名前を伝えるとき「こんにちは、ふじーぴっくです」と言うところ「こお、んー、にい、ちい、わあ、~間~、ふう、じい、いい、ぴい、いい、くう、でえ、すう」と単一のリズムで、母音を強調しながら大きな声で伝えるのです。
そして、(ふじ~ぴっく調べ、東京にお住いの10人中5人くらい)約半数の年老いた女性の目が輝く質問とは「たあ、かあ、らあ、づう、かあ、のお、ぶう、たあ、いい、をお、みい、たあ、こお、とお、があ、ああ、りい、まあ、すう、かあ?」です。
回答はというと、「電車で行った」「バスで行った」「馬車で行った」という方もいました、「父と行った」「母と行った」「友達との付き合いで」無理やりとか、「出演者がステキだった」「ステージの最後にこんな歌を歌ってくれた」「日舞が最高」って和風だったのですかー?、「出演者が帰るところを外で待った」などなど、たくさんのお話を聞いたものでした。
出演者のお名前もいろいろ聞いたはずなのですが、今でも覚えているのは春日野八千代くらい。
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最後に、
最果タヒさんと宝塚歌劇団の話しがどう繋がるかというと、最果タヒさんは4年も前から宝塚歌劇団を観た感想を noteへ書いていたわけですよ。
読んでいただき、ありがとうございます。